競技かるた選手の和歌鑑賞是非論

Hitoshi Takano JUN/2008

 2月ころからはじめて、小倉百人一首の各首にコメントをつける作業をおこなった。6月1日には 無事100首のコメントを作成し、リンクをはり終えた。

 小倉百人一首の作者名からのリンクは、 こちら
 小倉百人一首の決まり字からのリンクは、こちら!!

 これから、派生して「百人秀歌」で「小倉百人一首」にない歌についても、調べることにした。

 「百人秀歌」の決まり字からのリンクは、こちら

 さらに、愛国百人一首もすべてではないが、とりあえず5月末までに3分の2の歌について、チェック をおこなった。

 愛国百人一首の作者名からのリンクは、こちら
 愛国百人一首の決まり字からのリンクは、こちら!!

 こうして、様々な和歌に自分なりに向かい合う作業をしてみて、再度、競技かるたの選手に和歌の 鑑賞は必要か否かを考えてみることにした。

 社団法人全日本かるた協会は、その行うべき事業の中に「小倉百人一首かるたに関する調査研究」・ 「小倉百人一首に関する講演会、講習会の開催」というものを加えている。
 このことをもってすれば、競技を行う選手が、同協会の正会員もしくは準会員であれば、この 協会の事業として、その一端をにない、調査研究や講演会・講習会への参加も必要なことである ように思える。
 協会の事業はさておいたとして、競技者に和歌の鑑賞や和歌に関しての知識などは本当に必要なの だろうか?

 ただ、競技に強くなるためだけにであるならば、私はまったく必要ないと考える。

 歌も、一首を全部覚える必要さえないだろう。上の句は「決まり字」を頭に叩き込んでおけば いいのであって、そのあとの三句めまで覚える必要はないし、下の句も取り札を見て、上の句の 決まり字がわかればよいのであって、歌の四句め、五句めを覚えていなくてもよい。文字情報 に慣れているから、文字や言葉で覚えるのが楽なのであって、取り札は、文字を図柄のような 認識スタイルで覚えてもなんの問題はない。したがって、歌をまるまる一首覚える必要はまったく ない。
 まして、作者など全く知らなくとも問題ないのだ。
 ただ、競技の練習をしていれば、練習の際には、歌一首全部を聞くことになるし、読手役に なれば歌を一首まるまる読むことになる。そうすると練習を繰り返すうちに自然に百首を 全部覚えてしまうこともある。それは、それでいいが、これでは鑑賞をし、詠歌背景や技巧などを 知ることには繋がらない。

 繰り返すが、こういうことを知らなくとも、競技かるたの強さには関係ないのだ。

 しかし、競技者はこれでもいいのだが、競技を知らない世間の人は、そうは思ってくれない。 競技かるたをやっているしかも有段者などというと、小倉百人一首について歌を全部覚えて いることはもちろん、歌の意味や技巧や作者についても知っていると思われてしまうのだ。
 私自身は、随分昔のことになってしまったが、就職活動中の採用面接で面接者に聞かれた ことがある。最初は、百首の中で一番好きな歌は何ですかという質問だった。一首をまるまる 答えると、次には歌の意味を聞かれ、それを答えると何故好きなのかを聞かれた。そして、 作者名、詠歌背景、後日談まで含めて好きな理由を解説した。
 その会社にはあいにく縁がなかったが、その時の面接担当者の顔の満足げに感心した表情は 何故だが今でも覚えている。
 就職活動で、競技かるたの有段者ということで、面接担当者から好きな歌を聞かれることは ままあることであり、好きな歌を一首まるまる答えられるのは、まあ、当然といえば当然で ある。しかし、意味を聞くと結構答えられないことがあるのだ。理由を聞くと、歌の意味や 作歌背景などからではなく、取りやすい、聞きやすいという競技者からの観点で答えること が多い。おそらく、競技かるたを知らない質問者は、競技者としての観点からの好き嫌いを 期待しているのではなく、作歌背景や歌の意味からの良さというのを聞きたいのではない だろうか。

 別に就職活動の面接に限った事ではないのである。世間の競技かるたをしていない人々は 競技かるたの有段者に、そういう知識があることを期待しているのである。
 そう考えると、やはり、競技者で有段者と世間に名乗る以上は、百首すべてではなくとも 好きな歌くらいは、その世間の期待に応えられるだけの知識を持っていなければならないのでは ないだろうか?

 そればかりではない。こうした知識は、自分自身をいろいろな意味で豊かにしてくれること は間違いないことだと思う。競技の強さに役立つ役立たないということだけで判断するのではなく、 競技者としての教養として学ぶことも大切なことだと思うのだ。

 そういう意味で、今回、小倉百人一首の百首一首一首に向き合い、そこから派生して、百人 秀歌との相違に触れ、百人一首という定家が考えたスタイルを踏襲した 戦時中の徒花「愛国百人一首」採録の歌に向かいあえたことは、自分の中では、非常に大切な 確認の行為であったように感じるのだ。
 冒頭の各リンクにお付き合いいただければ、幸いに思う。

 自分の話にシフトしてしまったが、最後に結論をまとめよう。

 和歌の鑑賞やそのための知識は、競技かるたが強くなるためには必要ではないが、競技かるたが強くなった選手には、自然と必要になるものである。


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