サウスポー論(2)

Hitoshi Takano AUG/2009

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サウスポー有利説の根拠

 サウスポー有利説の根拠は、まず、数が少ないということに立脚している。 世界の人口の約10%といわれ、日本では10%に少々欠ける程度らしい。
 したがって、確率論的にいえば、右利きの選手は10人と対戦すれば、左利 きの選手と取るのは1人で、残り9人は右利きの選手である。
 一方、左利きの選手は10人と対戦すれば、右利きの選手と取るのは9人で 左利きの選手と取るのは1人である。
 ただし、これは理論上であり、私は約590人との対戦をしているが、そのうちの 左利きは約4.4%にすぎない。ちなみにA級選手との対戦は約220人で、そのうち の左利きは約4.9%である。数としては決して多くはないのである。
 すなわち、これらの数字が語っていることは、左利きの選手は、右利きの選手と取る ことに日頃から慣れているが、右利きの選手は左利きの選手と取ることに慣れていな いということなのである。
 慣れているほうが、慣れていないほうより、すでにアドバンテッジを持って いる。
 実は、左利き有利論はこのことに尽きるのだと思う。

慣れの正体

 では、左利きは右利きとの試合の何に慣れているのであろうか。そして 右利きは左利きとの試合の何に慣れていないのであろうか。

 右対右の試合において、現在の主流は、双方右下段の札を攻めあう対角線 の攻防が軸になっているといってよいだろう。
 しかし、右対左では、本来対角線で攻めあう札が、サウスポーであるがゆ えに、右下段対左下段の縦方向の軸に変わっているということである。
 この縦方向の攻防ラインに慣れているのが左利きで、右利きは慣れていな いということが、大きな要素なのである。
 そして、サウスポーの縦への手の出方は右利きの対戦相手の手が斜めに出 てくるのと違い、右利きの手の外側にまっすぐ出札に入って来られる感覚で 相手に受け止められるので、札押しではつらいというプレッシャーを与える のである。
 そして、右利きは対右においては、敵陣右への攻めを軸に置いているので 敵陣左が出た時には、自分から見て左から右への動きになるのだが、対左で 敵陣左への攻めを軸にすると、自分から見て右から左への動きになり、この 動きに慣れていないのである。
 左利きは、攻めにおいてはこの動きに慣れており、守りにおいては、慣れ ていない右利きのこの動きに、巧みな手の使い方で、右をブロックするので ある。左利き相手に、敵陣右下段を取りに行くと、しょっちゅう手がぶつか り、ブロックされて出札に届かないという経験を持っている選手も多いので はないだろうか。
 これらが慣れの正体である。

左利きの悲哀

 左利きは有利と言われ、それが少数派であるがゆえの相手の不慣れによる と分析してはみたが、左利きには有利でない数字もある。

 まず、名人10人、クイーン14人に左利きは一人もいない。
 名人戦・クイーン戦登場者60人(名人戦26人、クイーン戦34人)を 見ても、人口比で、いえばサウスポーは6人くらいいてもいいはずであるが、 私の知る限りでは、第32期の牧野守邦準名人しかサウスポーを知らない。
 “有利さ”=“強さ”ではないということだろうか。
 次に少数であるがゆえに、取りを参考にすべき先輩の数も少なければ、サ ウスポー独特の感覚や戦術・戦略を教えてくれる指導者や先輩の数も少ない ということである。
 サウスポーの初心者が、右利きばかりの先輩の間で練習して強くなっていく 過程には、自分なりの工夫が必要なのである。誰もが工夫はしていくとしても 教えてもらえれば、教わらないよりも早く気づくこともある。回り道をしいら れているようなものだ。
 周りに左利きの先輩がいなかったというサウスポーの選手から、右利きの周 りの人たちの話しを自分なりに左の立場に置き換えて、自分なりのスタイルに してきたと言う話しを実際に聞いたことがあり、同じサウスポーの先輩がいな いということなどは、少数派であるがゆえの悲哀であると感じた。

 有利と言われる点も、もろ刃の剣なのである。

 こう考えると、サウスポー有利説については、それほど有利なわけでもない ということになるのだと思う。

 最初に私個人の対左戦の勝率をみたので、最後も私の個人の対左戦の記録を もう一度検証してみよう。(2837戦までの記録)
 対左戦224試合中、5試合以上の対戦者は10人で、勝率が4割8分2厘。 しかもこの10人で対左戦の87%を占める。4試合未満の残り16人で、 勝率7割2分4厘である。
 対戦相手別では、3勝29敗、4勝14敗と大きく負け越している選手もいれば、 17勝17敗、11勝11敗と星をわけている選手もいるし、9勝0敗、5勝0敗 という選手もいる。これは、左利きだからというよりも、対戦相手と私との力関係 が戦績に出てきているのにすぎないのである。
 要するに、左利きという要素で有利・不利を語ることよりも、右であっても左で あっても、どちらにしても個々の選手の努力が大事だということなのではないだろ うか。

追記 (2011年11月)

 最近、3人制団体戦(文化祭での模範試合)で、3人のうち二人がサウスポーのチームを見かけた。聞くところによると、そこの高校のかるた部には高校1年から3年まで各学年に一人ずつサウスポーがいるとのことである。こういうケースはサウスポー技術の伝承が行われ、1年生はいろいろ参考になる意見を聞かせてもらえるだろう。
 それでも、2年生と1年生の取りやフォームには、相当の違いがあった。個性といってしまえばそれまでだろうが、実は、右利きよりも少数派である左利きのほうが個性的であるように思える。
 そんなことを思っていて考えついた。「サウスポー選手権」を開催してはどうだろうか?
 その大会では、取りは左手使用のみ認めるということで、本来は右利きの「にわかサウスポー」でも出場可能ということにすれば、純粋サウスポーの人数の少なさを補い、大会として成立するように思える。
 こういう大会を行うことで、左利きの技術向上に役立つ機会となるのではないだろうか。
 (社)全日本かるた協会で企画してみてもらえないものだろうか?

 
   <参考> インドへの手紙(X)-”Should I start playing karuta by left hand ?”

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