1-1論
運命戦は何故生じるか?
Hitoshi Takano OCT/2009
TOPICのシリーズの2004年2月の項で、
「運命戦」というのを書いたことがある。
運命戦とは、対技者が競技を進めていって、双方の残り札が、1枚ずつに
なった場合のことである。1-1(いちいち)とも言う。さきにTOPICに掲載
した時は、運命戦になった時の攻防について書いたのだが、今回は、運命
戦にいたる過程について考えてみたい。
運命戦にいたる過程は、主に三つあると思う。
(1)シーソーゲームで取りつ、取られつしながら、終盤にもつれ込み、1枚
-3枚から2枚連取でとか、1枚‐2枚から1枚とって1‐1というパターン。
(2)大差をつけられていて、ビハインドを背負っている選手が粘りに粘って
1‐1に持ち込んだケース。
(3)大差をつけていて、有利な状況でありながら、攻めあぐね、お手つきな
どしていて、相手に1‐1に持ち込まれてしまったケース。
「あれっ?」と首をかしげる方もいるのではないだろうか。
実は、(2)と(3)は、同じ事象を立場を変えて言っているだけではない
かと思われるだろう。実際見た目にはその通りである。しかし、当事者である
競技者の立場からは、(2)のケースと(3)のケースが存在するのである。
すなわち、自分がビハインドを背負っているが、希望を失わずに一生懸命、
粘りに粘って、1-1に持ち込んだと思える場合が(2)であり、自分がリード
していたが、何か集中力の糸が切れて、もたついてしまった結果、相手に
1-1にまでされてしまったという場合が(3)である。
客観的にみた1-1への過程ではなく、主観的にみた1-1への過程なので
ある。
さて、ではこの3つのパターンについてそれぞれ考えてみよう。
(1)は、途中経過の中で多少差が開くことがあったとしても、おおむね、僅差
で、一方がついていったりとか、先行と後退を繰り返しながら、枚数を減らして
行く展開の中での最終盤ということになる。3-3→3-2から2-2パターン
もあれば、3‐1パターンからの展開もあるだろう。
いずれにしても、こういう展開は、緊張感を維持し続けられる展開なので、
攻守についてバランスのとれた経過をたどっての1‐1となる。
試合全体の経過を見ていて、シーソーゲームで見ていて面白いが、1-1に
なったということの意外性は少ないだろう。
(2)は、前半から差をつけられ、中盤で、20‐10とか18‐9などの倍
セームとか、15−5の3倍セームなどにされてしまうパターンである。
ビハインドを背負う側は、相手が1枚とる間に2枚とるとか、相手が1枚とる
間に3枚取るというくらいの気持ちで、あせらずにそれでもきっちり粘らねば
ならない。確率的に敗勢のほうの陣が出る確率が高いのだから、相手は攻めて
くるし、自身は守りに重点を置くようになる。
しかし、相手が大量リードにまかせて自陣を省みずに攻めにきていれば、
敵陣を取れるチャンスが広がる。したがって、自陣への守りを固めていたと
しても敵陣の暗記は忘れてはならない。
あとは、相手の焦りやお手つきを誘って、相手にお手つきをしてもらうこと
である。
こうした流れの中で、最終盤に入っていって1‐1となるのである。
相手が1枚になったときには14枚持ち札があったのを全部守りきって逆転
したという試合もあったという。
とにかく、気持ちを切らしてはいけない。
相手優位というのは、相手の慢心をつくチャンスにもなりうるのである。
(3)は、前半から差をつけ、倍セームや10枚差くらいのリードを奪ったも
のの、途中から取れなくなってしまい、気づけば、最終盤で1-1に向かって
まっしぐらになっているようなケースである。
相手の粘りにもよるが、大体の場合は自分のほうに問題があることのほうが
多いだろう。
これは、(2)よりもはるかに実体験として語れる。1-8から3回自陣を抜かれて
あとは守られて負けた経験があれば、1‐13から、途中お手つきをして、2枚にふ
やして、自陣も2枚ほど抜かれて、あとは守られて1枚差で負けた経験もある。
この2回は極端な例かもしれないが、大量リードを後半攻めきれずに、徐々に枚差
を縮められ、お手つきしたり、自陣を抜かれたりしつつ、結局1‐1までもつれ込んだ
ケースなど多々経験している。
原因はいろいろだが、一応分類してみよう。
一つには、自分が大量にリードしたことによる安心感で、この調子なら勝てるという
慢心である。これで、集中力が切れてしまうのである。結果は、敵陣が攻めきれない。
無理に攻めてお手つきという悪循環である。
二つには、勝ちきろうという慎重さが裏目にでるパターンである。お手つきを怖れ、
敵陣を思い切り攻められず、確率的には敵陣が出る可能性が高いにも関わらず、自陣を
守ろうとする気の弱さが出てしまうケースである。
結局これは、自陣を守っていても慎重になって、音を聞きすぎて、相手に抜かれる
要因になる。
この二つの原因が、あいまって悪循環、負のスパイラルに陥っていく。冷静でいられ
なくなっているのだ。
これが1‐1にもつれ込む要因になるのだ。
(2)の立場でいえば、粘りに粘り、トラップを仕掛けて(3)の状態になるように
相手に仕向けることに尽きるといえよう。お手つきを誘うこともそうだし、敵陣が出た時
に、こちらの札に攻めに出ている敵陣の出札を確実に攻めることもそうである。自陣を抜
かせないことが、この誘いや攻めのスキを相手に生じさせることになるのだ。
ある意味、(1)には対策はない。シーソーゲームの緊張感の中、集中力を持続させ
ていくことで、どこかで100枚目の札を相手に送って、最後に勝つことを目指すしか
ないのだ。
そして、一番なんとかなるのが(3)のケースである。焦りや慢心を封じ込め、集中力
を高めることがポイントとなるからだ。
これは気の持ちようでなんとかなる。少なくとも、こうなる前の状況は自分自身が確実に
大きくリードしているのだから…。
相手が、自陣を抜いても、たまたまあたった程度に考えて焦らない。敵陣を何枚か続けて
守って取ったとしても、慌てない。たまたま、守っていた札が続いた程度に考える。いつか
自分が狙った札が出ると思っておく。お手つきをしそうな札は、無理に攻めずに確実に取り
にいく。相手が早かったら、相手はお手つきと紙一重だったと考える。リードしている自分
のお手つきと、リードされている側のお手つきでは、1回のお手つきの影響は大違いなのだ。
だからこそ、ビハインドを背負っている側にお手つきしてもらうことに勝利の近道があるの
である。誘いに早く手を出すくらいの余裕がほしいところである。
そして何より、勝ち急がない。今まで書いてきたことが勝ち急がないことでもあるが、相
手が1枚取る間に、1枚取れば今のリードのままいけると考えてもいいし、相手が3枚とる
間に2枚でも、相手が2枚取る間に1枚でも、とにかくなんとかリードしたまま終われるよ
うな展開ででも勝てるような気持をキープしていくことである。
このくらいの気構えでいればよいのである。
まあ、理屈ではいろいろ言っても、実戦は生き物だ。いろいろな展開が想定できる。特に
(3)の場合は、1‐1になる前に勝負をつけたいものである。でも、1‐1になってしまい
そうになっても焦ることはない。その時は、1‐1になっても自分が勝つつもりでいればよい。
そして、1‐1になったら信念をもって、迷わずに信じた1枚を取ればよいのである。
そんな気持ちで、ゆとりをもって臨めば、知らず知らずのうちに、1‐1になる前に勝負
が決しているのではないだろうか。
「1‐1になってもいい」という思いでのぞめば、「1‐1の運命戦になってしまうのでは
ないか。あれだけの大差のリードが50%の勝利確率になってしまうのではないか。」という
ビビりの呪縛から解き放たれる。
重ねて書くことになるかもしれないが、気持ちの余裕が大切なのだ。
1‐1になったら、1‐1を楽しめばよいのだ。
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