私の“かるた”に影響を与えた言葉(IV)
Hitoshi Takano FEB/2010
本当はこうやって遊ぶんだよ
厳密に言うと“かるた”にも“競技かるた”にも直接影響を与えているわけではないが、それ以上
に大きな影響を与えられた言葉ではないだろうか。
私が子供の頃といっても小学校にあがりたての頃だろう。といっても、正月であるから、あがりた
てというわけでもないだろう。
子供にとって、正月といえばお年玉をもらえる季節である。近所の家に年始の挨拶にいくとお年玉
がもらえた。そんな中、私は百人一首の読札を使った「坊主めくり」を教わった。いろとりどりの
歌仙絵は、子供の心をつかむのにそんなに時間を必要としなかった。
翌年の正月は、お年玉をもらうとともに、自分から「坊主めくり」で遊ぶことをお願いした。その
時には、百人一首という名前も覚えたが、文字だけ書かれた取り札については、関心を示さなかった。
その翌年の正月、「坊主めくり」で遊んだあとの一言が標記の言葉であった。
「本当はこうやって遊ぶんだよ」と説明されたのが、「坊主めくり」ではない「上の句」と
「下の句」による、「下の句」が書かれた取り札を使う「かるた取り」の遊び方であった。
この「坊主めくり」とは違う遊び方は、大人に伍して遊ぶ楽しみを教えてくれた。子供相手
のことと、上の句で取るなどと無粋なことはしないで遊んでくれたが、歌を覚えていない母親
とは、それなりに一緒に競い合った。父親の百人一首の解説本を貸してもらい、当時で20首
くらいは暗記しただろうか。覚えた札を大人よりも早く取ることが楽しかった。
この年のお年玉で買ったのが、田村将軍堂の練習用と書かれた百人一首の札だった。これで
家でも「坊主めくり」も「かるた取り」も遊ぶことができるようになった。
結局、お座敷かるたではあったが、歌は耳に馴染み、覚えた札も40首近くにはなったであろ
う。この頃の楽しかった思い出が、高校になって、クラスマッチの百人一首の選手となるきっかけ
となった。
そして、高校の時のこのクラスマッチの百人一首の経験が、大学での「かるた会」入会、
すなわち「競技かるた」につながっていくのである。
その後の流れを考えると、この時の「本当は…」の一言が、私が競技かるたを始めることに
なった淵源となっているのである。そういう意味で、直接的影響ではないが、それ以上に
大きな影響を与えた言葉なのである。
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