参議雅経

み吉野の山の秋風さ夜ふけて
   ふるさとさむく衣うつなり


決まり字:ミヨ(二字決まリ)
 作者は、藤原雅経。藤原氏の中でも、飛鳥井家に属する。飛鳥井家とは蹴鞠 を家芸とする家である。
 雅経は、篳篥(ひちりき)という雅楽の楽器の名手でもあった。さらには、 能書家としても知られる。才能のある人であったのであろう。
 蹴鞠といえば、後鳥羽院が和歌や刀剣とともに好んだものの一つである。 後鳥羽院にも蹴鞠仲間として後鳥羽サロンの一員として認められていたこと だろう。しかし、雅経の妻は、鎌倉幕府で重用されていた大江広元の娘で あった。このことで、幕府憎しの後鳥羽院には疎まれてしまう。
 だが、この立場で、雅経は、鎌倉幕府と朝廷の間の間を取り持つ役目を 担った。
 後鳥羽院に愛され、そして疎まれた雅経は、同じ経験を持つ定家にとって 共感できる人物であったに違いない。

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2008年3月  HITOSHI TAKANO