小式部内侍
大江山生野の道の遠ければ
まだふみもみず天の橋立
決まり字:オオエ(三字決まリ)
橘道貞の娘というよりは、和泉式部の娘と言ったほうがよい
だろう。20代半ばで、死亡。出産の際に亡くなったといわれる。歌才に優れた愛娘の突然の死に、和泉式部は次の歌を詠んでいる。
とどめおきて誰をあはれと思ふらむ
子はまさるらむ子はまさりけり
愛惜の情の溢れる歌である。
さて、この大江山の歌の詠まれた背景は、権中納言定頼のところ
でも紹介しているが、少し詳しく紹介しよう。
金葉集の詞書にこうある。
「和泉式部保昌に具して丹後の国に侍りけるころ、都に歌合の有りけるに、小式部内侍歌よみ
にとられ侍りけるを、中納言定頼局の方にまうで来て、歌はいかがせさせ給ふ、丹後へは人遣は
しけんや、使はまうで来ずや、いかに心もとなくおぼすらむ、などたはぶれて立ちけるをひき
とどめてよめる」
当時、小式部の歌は母の和泉式部が作るのだという評判があったのだ。それを定頼がからかっ
たのだ。小式部はすかさず定頼の袖をつかんで、この歌を詠んだ。このようなとっさの時に縁語
や掛詞を駆使し、丹後の名所まで読み込んだ機知に富んだその見事さに定頼は返歌もできすに
袖を振り払って逃げ帰ったという。
「生野」には「行く」が掛かっている。「ふみ」には「踏み」と「文」が掛かっている。そして、
「踏み」は橋の縁語である。
見事な歌である。丹後の天の橋立は日本三景の一つ。あとの二景は、「陸奥の松島」と「安芸の
宮島」である。
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2008年5月2日 HITOSHI TAKANO