権中納言定頼

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに
   あらわれわたる瀬々の網代木


決まり字:アサボラケウ(六字決まリ)
 作者は、藤原定頼。三舟の才で有名な四条大納言と呼ばれた藤原公任の子で、四条中納言と呼ばれた。父の 才を継いだのか、和歌だけではなく、管弦や書に才をあらわしていたようだ。
 しかし、似なくてよいところまで似てしまったようである。父親も、一言多く不用意発言のエピソードのある 人であるが、子の定頼も、その血筋を受け継いだようである。
 不用意に和泉式部の娘である小式部内侍に「お母さんからの手紙はまだ?」などと余計なからかいをするもの だから、「大江山」の歌を返されて、やり込められてしまう。ある意味で、大江山の歌は、定頼がいなければ 詠まれなかった歌なのだから、仇役にはされてしまったが、和歌史上では、大事なヒール(悪役)なのである。
 小式部内侍の歌に返歌もせず立ち去ってしまったことは、歌には歌で返すという風流なマナーを守れなかった ということで、本人が逆にからかわれるネタとなってしまったわけである。

 定頼が返歌を詠んだとしたら、どんな返歌だったのだろう?
 興味のあるところである。

 さて、この歌は、宇治川の明け方に霧が徐々に晴れていく風情を詠んだ歌である。
 霧が晴れて見えてきたものは魚をとるために川の瀬に仕掛けられた網代をはるための杭であった。
 この網代の杭が霧で霞んでいるときには何に見えていたというのであろうか?

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2008年4月26日  HITOSHI TAKANO