藤原敏行朝臣

住の江の岸に寄る浪寄るさへや
   夢の通ひ路人めよくらむ


決まり字:(一字決まリ)
 藤原敏行は藤原南家の富士麿の子である。平安時代において、摂政・関白を輩出するようになる のは藤原北家の流れである。書をよくした人で、村上天皇が三蹟の一人である小野道風に古今の書 の名人を尋ねたときに、空海(三筆の一人)とこの敏行の名をあげたという。

 宇治拾遺物語によると、能書家で知られた敏行が多くの人から法華経の書写を頼まれたが、清浄 潔斎せずに、女性に触れ魚を食する生活をしながら写経したために、地獄に堕ちて苦しみを受けた ということである。

 この歌は、初句と第二句は「よる」を導く序詞になっている。夜でさえ人目を避けて女性のところ に通っているのだが、夢のなかでさえもどうして人目をさけるのであろう。と、そういう意味である。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる

 この敏行の代表的な古今和歌集「秋の部」冒頭の歌と比較すると、「住の江」の歌が、清浄潔斎せ ずに写経した感じで、「秋来ぬ」の歌が、清浄決裁して写経した感じとでもいったらよいであろうか。
 清涼感が違うのである。

 しかし、定家の撰歌意図は、定家 自身が、夢の中でしか会えず、なお、夢の中であっても人目を忍ばなければならなかった後鳥羽院へ の思いを託したところにあったのではないだろうか。

小倉百人一首のページへ戻る
決まり字一覧へ
2008年4月30日  HITOSHI TAKANO