<百人秀歌>
陽成院
筑波嶺の峯より落つる男女の川
こひぞつもりて淵となりける
筑波山の頂から流れ落ちる水が集まって男女の川となり、それがついには深い淵
となるように、あなたを恋しく思う私の気持ちはだんだん深くなって、今では淵を
なすほどになってしまったのだなあ。
小倉百人一首の「ぬる」は、完了の助動詞「ぬ」の連体形(係り結び)であるが、百人秀歌
のほうは「ける」である。助動詞「けり」の連体形である。過去の回想といった助動詞である。
百人秀歌のほうが古体というが、やはり、耳から聞いて聞き慣れてる「ぬる」のほうが自然
に感じる。
鯉が集まってきて、川が斑(ブチ)になったという珍解釈もあるが、それはさておき、古代
の歌垣の地として有名な筑波山を詠んだところが、この歌の「恋」というテーマを活かす設定
であったのだと思う。
男女の川は歌枕であるが、この川の名を四股名にしたのが第34代横綱男女ノ川である。
筑波山の神社の宮司が、百人一首のこの歌から四股名をつけてくれたのだが、最初は、男女ノ川
供二郎と名乗っていたが、この歌が「峯より落つる」なので、相撲取りの四股名で「落ちる」はゲンが
悪いという事で四股名全体を「男女ノ川登三」としたいう逸話がある。
さて、陽成院については、帝王としての資質に対して、奇矯な行動や非常識な行動があって、
退位させられたことになっている。大体、退位させた事実を正当化するために史書はこのような
不行跡があったから、天命により退位やむなくにいたったと書くのが、中国的な帝王の交代や
易姓革命の際の史書の書き方に準じた書き方である。
最初に時の権力者らの廃位の意思ありきで、あと付けの理由とも考えられないではない。わず
かな事実を針小棒大にとりあげられたのかもしれない。いずれにしても、退位やむえざる状態に
追い込まれことは事実であろう。もし、ここで、退位から日をおかずして、病に倒れ、恨み言
などを残して崩御するとか、自ら死を選ぶなどしていたら、当時としては、立派に怨霊になる
資格があったに違いないし、怨霊として扱われ、手厚く祀られていたかもしれない。
しかし、陽成院は81歳の天寿を全うした。怨霊にならなければならない必然は何も生じなかったのである。
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2008年6月5日 HITOSHI TAKANO