陽成院

筑波嶺の嶺より落つる男女の川
   恋ぞつもりて淵となりぬる


決まり字:ツク(二字決まリ)
 陽成院は、若くして皇位を継ぐが不行跡により退位させられる。退位後も当時としては長命を 誇るが、晩年は出家している。
 小倉百人一首の中に坊主は13人と言われるが、これはいわゆる読み札の歌仙絵からそのよう に数えられるにいたっている。蝉丸は逢坂の関の近くの庵で琵琶を弾いていた人物であって、坊 主ではないという人もいるが、ここでは、慣例にしたがって坊主の札に数える。
 この13名のほかに、入道前太政大臣法性寺入道前関白太政大臣とは、入道であるから、歌 仙絵は衣冠束帯の姿であったとしても坊主であると考えれば、坊主は15人(76番の リンク参照)である。
 さらに、陽成院のように後に出家している人物を探してみると、結構いるのである。

・陽成院
大納言公任
権中納言定頼
三条院
藤原基俊
崇徳院
源兼昌
源俊頼朝臣
後徳大寺左大臣
皇太后宮太夫俊成
権中納言定家
従二位家隆

 もっと調べれば、まだ増えるかもしれないが、入道組2名と合わせれば後の出家組12名で 計14名となる。
 歌仙絵に描かれた13人と合わせて27人になる。姫札でいうと出家して尼さんになった人もいるが、ここでは省く。
 姫21枚、皇族(繧繝縁)10人と比較しても大所帯となる。百枚の四分の一を越える勢力と なる。この27枚を坊主扱いで「坊主めくり」をしたら、とんでもないことになりそうだ。
 恐るべきは出家軍団!!

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2008年3月  HITOSHI TAKANO