かるた小説
Hitoshi Takano Mar/2007
秋の田の
「まったく、恥ずかしいったら、ありゃしない。」
「すみません…」
「でも、A級での初入賞だろ。おめでとう。」
「はぁ、はい。ありがとうございます。」
「何言ってるのよ。A級の入賞者がやることじゃないから、恥ずかしいのよ。みっともないったら、ありゃしない。」
ここは、静岡駅近くの喫茶店である。若い男が二人と明らかに妊婦とわかる若い女性が一人、話しをしていた。
「でも、水木先輩だって、試合でお手つきくらいしたでしょう?」
「口応えするんじゃないの。お手つきっていっても、さっきのお手つきはA級の選手のお手つきじゃないでしょ。まったく、初心者でもしないようなお手つきじゃない。初心者以前よ。素人なみっ!」
「はい…。」
「それにね、南。もう水木先輩って呼ぶのやめてね。今は矢沢なんだから。」
「済みません。つい、昔の呼び方で呼んでしまって。でも、矢沢先輩って言ったら、どっちを呼んでいるかわからないじゃないですか。」
「名前で呼びなさいよ。ハナ先輩、サトシ先輩でいいわよ。」
「はい…。」
「ハナちゃん、もうそれ以上やめなよ。感情をおだやかにおさえないと胎教によくないよ。」
「もう、手遅れね。カルタの試合会場に来たこと自体、胎教に良くなかったわね。試合を見ている間中、自分が取れないもどかしさで、ストレス感じちゃったもの。」
「生まれる前から、母親のカルタ好きが昂じてストレスかけられるんじゃ、たまったもんじゃないよ。お前だけの子供じゃないいんだ。俺の子でもあるんだから…。生まれるまでは、もう、絶対に競技会場には連れてこないからな。」
「そうね。それのほうがよさそうね。」
「ハナ」と呼ばれている女性は、そういうと、テーブルの上の水をグッと飲んだ。「南」という男性は、「ハナ」とその夫である「サトシ」の後輩にあたるようだ。「南」は、カルタ競技の大会に出場した帰りのようである。
「まあ、それより、南、本当にA級初入賞おめでとう。俺たちの仲間のなかじゃ、お前だけだものな。大学から始めて、A級にあがったやつ。しかも、就職して二年もたったのに入賞するなんて、大したもんだよ。」
「ありがとうございます。たまたま、静岡支店勤務になったので、先輩んちで練習を続けられたおかげです。」
「南が、静岡勤務と聞いた時は、ちょくちょく会えるな程度にしか思ってなかったけど、うちの店のすぐそばに会社の独身寮があるなんて、すごい偶然だったよなぁ。」
「ぼくだって、まさか、就職してからも、水木先輩にしごかれるとは思っていませんでしたよ。」
「読み手と取り手がちょうど揃ったんだからな。もっぱら、俺が読み手だったけど、ハナちゃんが妊娠してからは、俺が取り手だからな。俺が相手じゃ、あまり練習にならないんじゃないかと思っていたけど、こうして結果が出てよかったよ。」
「でも、私のお腹が目だってきてからは、練習休止だったけどね。」
「しばらく、札に触れていなかったのが、よかったのかもしれません。すごく新鮮に感じたし、一枚一枚丁寧に取れました。」
「そうよ。サトシが練習相手をしたからじゃないの。南の今日の活躍は、以前の私の指導がよかったからよ…。」
「ほんとに、先輩たちに出会わなければ、百人一首を全部覚えることもなく、競技カルタをすることもなかったんですから…。この賞状はお二人のおかげです。ありがとうございました。」
「や〜だ〜。あらたまって、そんなこといわないでよ。照れちゃうじゃないの。」
「いえ、本当の気持ちですよ。」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど…。南さぁ、さっきのあのお手つき、ハナちゃんじゃないけど、いったい何だったんだ。『あきの』って、南の得意札じゃなかったんだっけ。」
「南の『あきの』の話は、わたし聞いたことがある。はじめて、カルタの話を南にした時、南は『秋の田』なら、詳しいですっていって、歌から作者から歌意、解釈、本歌まで、ほぼ、解説書なみの知識を披露してくれたの。これは期待できると思ったら、期待はずれ。それ以外は、ほとんど覚えてないんだから…。『あきの』とその他のギャップが大きすぎたのよね。」
「ええ、あの頃はそうでしたね。『あきの』だけが、やたら詳しかったんですよ。」
「なんで、また、『あきの』だけなんだい?」
「まあ、それは、ぼくと百人一首との出会いの話になるんですよ。」
「百人一首との出会いって…。ハナちゃんのバンドに入った縁で無理やりやらされたんじゃないのかよ?」
「先輩、それは競技かるたとの出会いですよ。大学に入ったら、思う存分バンド活動しようと思って、オリエンテーションでの演奏を見て、水木先輩のボーカルと春山先輩のギターに魅せられて仲間に入れてもらったんです。」
「そのボーカルさんのもう一つの顔が、カルタ取りだなんて、知るよしもなしだよな。」
「そうですよ。特に、ユキさんが入ってきたあとは、バンドの練習よりもカルタの練習が多くなりましたからね。」
「そうね。ユキにとっては、バンドは全く関係なしだからね。チームを強くするためには、個々人のレベルをあげるのみって考えだったからね。南は、同学年だから、遠慮なくしごかれたよね。」
「まあ、おかげでA級にあがって、四段ももらいましたけど…。」
「就職活動では、バンドやってましたっていうより競技カルタ四段ですっていうほうが、今のおかたい会社にはウケがよかったんじゃないか。」
「就職活動不要の矢沢先輩にはわからないでしょうけど、就職活動は大変でしたよ。ピアスははずして、髪は黒く染めて、ゼミの活動をアピールしましたよ。でも、学業以外で力を注いだことでバンドの話しをした前半戦は苦戦しました。しかたないので、途中からはバンドの話しはせずに競技カルタ四段をメインでアピールした結果が今の会社ですよ。本当は、自分を語るにはバンド活動は不可欠なんですけど…。」
「南、えらい。サトシ聞いた?自分を語るのにバンド活動は不可欠って、私もおんなじなのよ。それでこそ、私の後輩よ。お義母さんに聞かせてほしいような話しね。」
「まあまあ。それより本題にもどって、南と百人一首の出会いを聞かせてよ。ハナちゃんに強引にやらされたお仲間だと思っていたから、今まで聞いたことないんだから。」
「そうですね。そもそもは小学一年生のときに遡ります。二歳上の姉が、百人一首の札を親におねだりしたんです。どうやら、友達のうちで坊主めくりをやってほしくなったらしいですが…。」
「多いんだよね。きっかけは坊主めくり…。」
「そうなんですか。それなら、ぼくも御他聞にもれずってとこですかね。まあ、姉の百人一首のセットは、取札のほうは、数年間は、セロハンがついたままだったように覚えていますよ。」
「さて、それで坊主めくりがどういうふうに『あきの』に結びつくんだい?」
「坊主めくりは、お正月に家族でやるんですよ。まだ、ぼくは何もわからないガキんちょですから、まわりのいわれるがままですよ。遊びおわったら、親父が坊主めくりは、本当の遊び方じゃないんだっていうんですよね。姉もぼくもそんなこと言われても、興味示さないですよ。坊主めくりでの勝敗で、あの青い袈裟の後ろ向きの坊主を引いてしまったのが失敗だったたとか、ピンクの着物の姫を引いたので場の札がたくさん取れたとか言ってるんですから…。」
「まあ、子供はそうだよな。読み札の作者や歌よりも絵のイメージが鮮烈な印象で残るんだよな。」
「そうですよね。そしたら、親父が黄色い表紙のなんか古い本を持ってくるんですよ。これが、百人一首だって言って。当時は何かわかりませんけど、今思えば、百人一首の解説書ですよ。」
「子供向きのやつ?」
「いいえ、大人用のです。」
「子供には無理だろう。」
「そうですよ。姉はもちろん無視。ぼくは手にとってぱらぱらとめくったけど、今の解説書のようにカラーでもなければ、写真もつかってないので、興味の示しようもないですよ。白黒の歌仙絵が一首ごとにのってた程度だったと思います。」
「ふーん。それで?」
「それだけです。」
「それだけ?」
「そう、それだけ。」
「で、『あきの』にどうつながるの?」
「数日後、何をおもったか、母が閑つぶしにその本の『あきの』に書いてあることをぼくに読んで聞かせたんです。」
「子供にはむずかしいよな?」
「ええ。それで、ぼくもわからないなりに、いろいろと母に聞いたんです。刈り穂ってなんだとか、庵ってなんだとか、作者の天智天皇ってなんだって。」
「一応、興味を示したんだ。」
「そうです。そしたら、本の解説を含めて細かく教えてくれました。」
「理解したの?」
「子供心になんとなくですが。で、歌は母と一緒に暗誦しました。だから、初めて覚えた和歌は『あきの』です。」
「そのあと『はるす』とか続いたの?」
「いいえ、『あきの』の一首きりでした。母も、時間つぶしの気まぐれだったんでしょう。でも、なんでぼくだったのかなぁ?」
「そうだよな。普通なら姉さんに教えそうなもんだよな。その場に姉さんはいなかったの?」
「いやぁ、よく覚えてないんですよ。 姉さんは習い事にいったり、よく外に遊びに出ていたので、ぼくだけだったのかもしれません。」
「それで『あきの』に詳しくなったのか…。でも、小一の記憶でそんなに詳しくなるか?」
「それだけじゃありませんよ。話には続きがあります。姉が小五になると小学生高学年用の百人一首の副読本をもらってくるんです。我が家で恒例になっていたお正月の坊主めくりのあとに姉がぼくに自慢げにみせびらかすので、うらやましがったんです。そしたら、一晩だけ貸してくれるというので、一生懸命読もうとしました。もちろん、順番に『あきの』から…。」
「で、どのへんまで覚えたの。」
「最初は、ぺらぺらめくって、絵とかを楽しんでいましたが、ちゃんと『あきの』から読み始めました。『はるす』『あし』『たご』くらいまで読んだかと思うのですが、なんかつまらないし、字面は追っても、頭にはいってこないんです。そこで『あきの』に戻って、何度も読みました。これが不思議と頭の中にはいってくるんです。前に一回覚えていたからでしょうかねぇ。」
「そうかもしれないな。」
「そして次は、小五の時になります。社会科の授業で、大化の改新の話が出た時に先生に中大兄皇子が天智天皇で、百人一首に歌がある話になって、知ってる人は手をあげるように言われた時に、クラスでぼくひとりだったんです。歌をきかれてすらすら答えて、すごくほめられたんです。」
「そういうのって、うれしいのよね。わかるわ〜。わたしも、そういう経験があるわ。」
「それで、その後、天智天皇を中心にその前後の歴史について、図書館などで調べて、すごく詳しくなりました。」
「百人一首にむかったんじゃないんだ。」
「ええ、古代史にむかいました。蘇我入鹿、大化改新、大友皇子に大海人皇子、壬申の乱、草壁皇子に持統天皇、軽皇子などなど。でも、秋の田の歌は、図書館で数種類の本で調べて、もっと詳しくなりましたよ。」
「でも、百人一首にはむかわなかったのね。持統天皇も柿本人麻呂も、そこら辺の歴史には、かかわっているのにね。」
「人麻呂は、皇統をほめたたえる歌を歌った宮廷御用歌人というところからは、ここらの歴史の傍証者かもしれませんが、歴史の本筋からは離れていますよね。むしろ、持統天皇は興味ある人物ですが、和歌のほうにはいきませんでした。だから『はるす』の歌も、そんなに興味をもって、調べたり覚えたりしませんでした。」
「百人一首との出会いにもいろいろあるんだなぁ。南は、まともなほうだよ。俺なんか、こいつと付き合い始めなかったら、ぜったい、ありえなかった話だから…。」
「先輩は、水木先輩に無理やりに覚えさせられたんですか?」
「無理やりなんて人聞きの悪いこといわないでよ。わたしのことが好きだったから、わたしのやってることに興味をもって、教えてくれっていうから教えてあげたのよ。ねっ?」
矢沢は、複雑な表情で首をかしげながら微笑んで、話題を南に振った。
「でさぁ、あの『あきの』のお手つきは何故おこったんだい。そんな好きな札なのに間違えるなんて、不思議だよな。」
「また、その話ですか…。自分の都合が悪くなると、すぐぼくに話を振るんだから…。」
「まあ、いいじゃないか。ハナちゃんも聞きたいだろ。」
「いやぁ、当事者のぼくが、本当に一番不思議ですよ。こんなこと初めてですよ。」
「でも、今日って札わけしていたんだろ。準々決勝は三回戦の裏札だろ。なら、三回戦で『あきの』があったら、次はないってわかりそうなものじゃないか。」
「いやいや、違うんですよ。今日は、どういうわけか、ニ回戦の裏札が三回戦で、一回戦の裏札が準々決勝で使われていたんですよ。それも後で知ったのですが…。」
「それは珍しいわね。一回戦の裏札を三回戦に使ってニ回戦の裏札を四回戦に使うことはよくあるけど…。それに、表札・裏札を順に繰り返す試合だってあるのにね。」
「そうなんです。だいたい、ぼくは、一回戦不戦勝で三十二名に残って、ニ回戦・三回戦と勝って、ベストエイトでしょ。一回戦の札が何か知らないんですよ。それで、ニ回戦では『あきか』が敵の右上段の一番端にあって、三回戦は『あきの』が同じところにあったんです。」
「で、準々決勝もか。」
「そうですよ。そのとおりです。知っているなら聞かないでくださいよ。」
「準々決勝のお手つきシーンは見ていたから、南が一人だけ敵の右上段払ったの見ているわよ。」
「でも、ぼくは『あきの』が敵の右上段の端、『あきか』がその隣だと思い込んでいたんです。だから、『あき』で払いにいった。完璧な払いでした。」
「おっきな声で『よっしゃ』って言っちゃって…。」
「だって、あまりに快心の取りだったんですから…。だから、相手の驚いた顔も、ぼくのあまりの鋭さに驚いたものとばかり思っていました。だから、払った札を取りに立ちあがった時、周りが誰も札を取った気配がないのに驚いたのは、ぼくのほうでした。正直、焦りました。」
「相手の子は、高校生って感じだったけど、さぞ驚いただろうな。」
「早瀬あゆみって子ですね。この名前は、ぼくの『あきの』のお手つきの記憶とともにずっと残るでしょうね。」
「相手の子も、。南と南のお手つきのことは忘れないんじゃないかな。」
「それで、南は、払った札を見て気づいたの。」
「そうです。拾った札を見たら、一枚は確かに『あきか』。でも、もう一枚は『きみがためは』に化けていました。」
「別に化けたわけじゃないだろう。最初から『きみはる』だったんだよ。」
「でも、ぼくにしてみれば、化けたという表現が実感なんですよ。ずっと『あきの』って信じていたんですから…。」
「いくら『わがころもではつゆにぬれつつ』と『わがころもでにゆきはふりつつ』が似ているって言ったって、お座敷カルタの初心者じゃないんだから。」
「もう、最初からの思い込み以外のなにものでもないですよね。もう、そう思い込んで暗記いれちゃったんですから、途中で気づきもしませんでした。もし、『あきか』が先に出ていたら、気づいたかもしれませんが…。」
「それにさぁ、南さぁ、『あきか』があったんだから、『あきか』に普通にお手つきしたように装えばいいのに、正直に『えっ、きみはる…?』ってつぶやいちゃうんだもの。」
「あれは、小声のつもりだったのかもしれないけど、けっこう会場に響いたわよ。」
「あれで、数箇所から、笑いがおこったんですよね。あの笑い声で、ぼくは頭が真っ白になってしまいました。」
「それで、結果は惨敗。」
「ぼくは、そんなに神経図太くないですよ。」
「まあ、わたしなら、そんなミスはまずありえないけど、したとしてもポーカーフェースを貫くし、そのあとの試合の流れに響くようなダメージを自分自身に残さないわ。」
「ハナ先輩のような百銭練磨の勝負師じゃありませんから…。」
「やっと、水木先輩でなくハナ先輩って呼んでくれたわね。」
「あれ、自然に口をついて出ました。」
「でもさ、ハナちゃんのことは、確かに勝負に辛い女性だとは思っていたけど、南のようなミスしても動揺しないっていうその自信ってどっからでてくるの。俺には絶対にできないな。」
「サトシは、心のゆれがすぐに表情に出てくるの。正直だし、わたしには嘘がつけないの。それが、あなたのミ・リョ・ク。」
「ぼくの前でのろけるのはやめてくださいよ。」
「なんか俺は、ハナちゃんの手のひらの上でころがされているだけの存在みたいだな〜。」
「そんなことないわよねぇ。」
「ぼくに同意求めるのやめてください。」
三人のテーブルは、笑いに包まれた。
「そろそろ、時間だな。南、初入賞おめでとう。また、がんばれよ。」
「今日は、応援ありがとうございました。ハナ先輩、元気な赤ちゃんを産んで下さいね。」
「うん、ありがとう。」
三人組は、他愛のない話を終え、喫茶店を出ていった。
店員が三人のいたテーブルを片付けていると、椅子に一枚のカルタの札が落ちていた。
その札は、絵のある札であった。拾った店員は、その札を読んでみた。
「天智天皇。秋の田の刈り穂の庵の苫をあらみ我が衣手は露に濡れつつ。」
……… 完 ………
(C)2007.3 Hitoshi Takano
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