さて、なにゆえにこんな話をしたかと言うと、我々は自分のよく知っている分野には、豊かな
表現をできるが、不得意な分野では、それほどの表現力を持たないということである。
表現が豊かということは、その事象に対する視点も多角的に持っているということであり、そ
れにともない、分析力も豊かであるということである。
私は職場の研修で、様々なディメンジョンから評価を受け、自分の強み・弱みを知るという
ものを体験したことがある。自分のもつ特性は、見方によってある部分では長所であり、ある
部分では短所になりうるわけだ。例をあげれば、ある特性は「慎重」というプラスの表現で評価
されるとともに別の見方では「臆病」というマイナスの表現もされるといえば、わかりやすいだ
ろう。
このとき、それぞれの評価のディメンジョンについて自己評価もしなければならない。そして
その評価を評価者の評価とつきあわせてみるのだ。
自分として不思議に思ったのは、自分が評価を高くつけた項目は評価者の評価では低く、自分
が低い評価をつけた項目が、評価者評価で高かったことであった。
このように評価の差が出てしまった原因は何故だったのだろうか?
これは、自分の設定したハードルの高さの差にあった。自分が不得意な項目は自分自身では評
価をはかる物差しの目盛りが粗いというか、合格点のハードルを低く設定してしまっていたのだ。
ハードルが低いから、それを越えられれば自分としての評価は高くなる。しかしながら、自分が
得意な項目は、自己評価の物差しの目盛りが細かい。自信がある分野であるがゆえに、いつしか
ハードルを高く設定してしまっていた。だから、ハードルに足をひっかけてしまい、自己評価は
低くなった。ハードルを越えたか越えないかだけで、評価してしまっていて、それぞれのハード
ルの高さの違いを見ていなかったわけだ。その点、評価者は違う。非常に客観的にハードルの高
さの違いを見て、どれだけ高く跳んでいるかを見ていたわけだ。
競技かるたをやっていて、いろいろな部分を反省し、次の試合に活かそうと考える。この時、
どうしても主観的評価に陥りがちである。得意な部分は、どん欲に「まだまだ足りない」と低い
評価を与え、次回にさらにそこを強化しようとする。しかし、不得意な部分は、「これだけでき
ればいいじゃないか」と高い評価を与えて、満足してしまう。
これでは、不得意な部分はいつまでたっても伸びない。
客観的に見てみよう。得意な部分と不得意な部分の差があるほど、不得意な部分の強化が、総
合力アップにつながる。ところが、人間不思議なもので、得意な部分はさらにハードルを高く設
定するのだが、不得意な部分は低いハードルで満足してしまう。ここに自己評価の盲点がある。
それは、得意な部分は物差しの目盛りは細かく、物差しの種類も多いから、分析力・評価力も高
いのに比べ、不得意な部分は雪を知らない民が雪のことを語るに近い分析・評価力しかもってい
ないからである。
いかに客観的な評価が大切かがわかるだろう。このために、練習のあとに相手と感想を披露し
あうことが重要であり、練習を見ている他者の言葉に耳を傾けることが必要なのだ。
自分の試合をビデオなので撮っておいて、第三者の目で自分の取りを見るというのも一つの
方法である。ただし、経験から言うとなかなか冷静には見られないものではあるが…。
ただ、だからといって、不得意な部分を強化すればいいのかというと、ことはそう単純ではな
い。競技かるたの場合、不得意な部分を強化したが、そのことによって得意な部分の力を弱めて
しまうことがあるからだ。
得意な部分の戦力が80点、不得意な部分の戦力が40点だったとしよう。点数を足せば120
点である。これを不得意な部分を努力して60点に引き上げたが、そのため得意な部分は70点に
下がってしまったとする。足せば130点だから、前より強くなったかというと必ずしもそうとは
いえないのがこの世界である。
何故か?
80点あったから、その人の個性となり戦力になっていたが、70点ではそうではないという
ことがありうるからである。その個性をつぶした代償としての不得意部分20点アップでは、補
いきれない場合があるからなのだ。
わかりやすく単純化していうと、攻め100点、守り0点のA選手が、攻め60点、守り60点
のB選手と対戦して、合計点の高いほうが勝つかというとそうではないということである。強い個
性のほうが、相手にとって脅威となるわけである。
長所の強化と短所の克服の双方が、バランスよく実現してこそ、戦力のアップにつながるのだ。
「敵を知り、己を知れば百戦あやうからず」という言葉があるが、己を知ることは実に難しい。
特に自己評価・自己分析がいかに盲点をもっているかを理解していただけたかと思う。いかに客観
的に自己評価・自己分析できるか。これも、ひとつの能力なのだろう。