「守りがるた」に関する一考察

Hitoshi Takano SEP/2000

発端

 慶應義塾には、一貫教育校といわれる附属の諸学校がある。幼稚舎(小学校)、普通部(中学校)、 中等部(中学校)、高等学校、志木高等学校、女子高等学校、ニューヨーク高等学院、そして、 中学・高校の6年間一貫教育を行う湘南藤沢中等部・高等部である。
 湘南藤沢中等部・高等部(以下、SFC中高と略す)には、競技かるたを行う「かるた部」が あり、職域・学生大会などの団体戦を中心とした活動を行っている。私は、湘南藤沢事務室で 8年間仕事をしていた関係で、この部のコーチを引き受けている。しかしながら、実際にコーチ できるのは、夏の校内合宿など、夏の職域・学生大会を目標にした練習の時くらいである。春の 職域・学生大会前は、年度末の繁忙期であり、日常練習は仕事の都合上いけないからだ。
 実質、年に1回のコーチの機会に何を伝えるかというのも難しい問題である。私自身も様々に 考え、顧問の教員とも話し、コーチの基本理念は「競技かるたは面白い」ということをわかって もらうことに設定した。
 それでも、一貫教育の強みで、3年で終わりではなく、6年間のつきあいというのは大きい。 彼ら自身が、試合や外部練習の中で様々な経験を積み、実体験として「攻め」の大切さに気がついて きたことは、大きな進歩である。
 私も言い続けてきたのだが、今まではどうもピンと来ていなかったようだった。やっと体験という 裏付けを得たのだ。
 しかしながら、頭では「攻めなければいけない」と感じでいても、実際の取りは「守り」である。 そういえば、以前、ある地域的にもやや離れたキャンパスを持つ競技かるた新興大学の学生と対戦 した時、「うちのかるたは攻めが基本です」と言っていながら、もろ「守りがるた」だったことを 思い出した。
 何故、「攻め」を認識していながら、「守り」になってしまうのか。しかも集団で。 この疑問に少し考察を加えてみようというのが、本論である。

「守りがるた」の誕生

 競技かるた以前に「かるた」(百人一首)で遊んだ時のことを振り返ってみよう。「ちらし取り」 とか「源平戦」で遊んだ方も多いことだろう。「ちらし取り」で札を散らす時、さりげなく自分の 好きな札を手元に置いた経験を持つ方も多いのではないだろうか。また、「源平戦」では2組に わかれて50枚ずつ並べるので、やはり、自陣に札を並べる時には、知っている札や好きな札を 自分にわかりやすいところに置いたのではないだろうか。
 こうした「かるた遊び」を始めた頃、百人一首の取り札からすべての上の句を覚えていた人は、 ほとんどいないことだろう。そうした時代、札の場所の覚え方も、取り札に書かれている下の句で 覚えるにしても、自分の知っている札を覚えるにしても、自分の前の札から一生懸命覚えたのでは ないだろうか。そして、特に自分の好きな札が自陣にない場合は、相手陣に自分の好きな札だけを 探して覚えるというようなことをしたのではないだろうか。
 これは、すなわち「守りがるた」を自然に始めていたことにほかならないのではないか。
 競技かるたを始めた時、誰かに教わるのでなければ、人は自然に「守りがるた」になっていくので はないだろうか。
 こうして「守りがるた」は誕生する。

「守りがるた」の循環

 身近に教える人がいない、日頃は、自分たちの中だけで練習ということになるとどうなるか。
自然に身につけた「守りがるた」となる。しかも、あとからこの集団に入ってきたメンバーも 先に始めたメンバーの有り様を見て、「守りがるた」を自然に身につけてしまう。相手が「守り」 で、「攻め」が甘く、遅いから、守れば札が取れる。たまたま攻めに行っても、相手の守りがき つくて取れない。逆に攻め急ぐあまりお手つきをするなどということになると、「攻め」に躊躇 が出てしまう。しかも、最初は、たまたまの相手の攻めに自陣を取られていても、しばらく練習 をするうちに自陣の守りがはやくなり、相手が攻めてきても守れるようになると、札を取れない 「攻め」よりも札を取れる「守り」のほうがいいという気持ちになってしまう。こういう練習状 態が「守りがるた」の循環を生むのだ。
 まわりが、全員「攻めがるた」で守っていても守り切ることができない状態で、攻めれば札を 取れるという状況下ならば、「攻め」を選択するだろうが、環境がこの逆なのである。
 SFC中高の場合、生徒が「守り」の循環に陥っているうえに、私がその「守り」を崩すほど 攻めが鋭くないということもある。実力の差により、序盤から中盤にかけて自陣も敵陣も取って 差を開くのだが、終盤の相手の守りでこの差を縮められてしまう。この時に私が相手の守りを ものともしない攻めを見せ、こちら側を攻めないと自分の札が減らない状況を作り上げれば、 少しは変化が見えるのかもしれない。
 なんとか「守りがるた」の循環を断ち切りたいものだ。

好転反応

 漢方薬には、即効性よりも長期にわたる服用で体質改善をはかるものがある。この過程の中で 一見副作用的に見えるが、それが薬の効き始めで、体質改善への第一歩につながるサインだと いうような時に「好転反応」という言葉を使う。
 「守りがるた」から「攻めがるた」への好転反応とは何だろうか。
 実は多くの場合、一時的に同一対戦相手との枚差が開いてしまうのである。たとえば、「守り がるた」時代に私とコンスタントに●7枚前後の差であったとしよう。これが、「守り」から「攻 め」への転換期には、一時的に●14枚前後の差になってしまうということである。もちろん、 今まで勝ってきた相手に負けはじめることもある。得意だった「守り」を封じて、まだ不得意な 「攻め」を行うのだからやむをえない。これを副作用と判断してやめてしまっては、体質改善は なされない。これは一時的なものなのだ。個人差はあるが、「攻め」を続けていくうちに今度は ○に転換するのである。
 こうして、今まで私は多くの後輩に勝利を献上してきたのである。

おわりに

 「守りがるた」の集団で、誰か一人が「攻めがるた」を心がけ、今までは勝てなかった相手に 勝利を収める。仲間から勝因を聞かれる。その時に「一生懸命攻めたんだ」と答える。これで仲間 も攻めるようになれば、「守りがるた」の集団も、徐々に「攻めがるた」の集団に変貌していくこ とだろう。「攻め」の集団になることで、今度は「攻め」の循環ができる。SFC中高かるた部に この「攻め」の循環ができるのはいったいいつのことなのだろうか。
 微力ながら、一歩一歩歩みを続けていきたい。


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