練習しない日々

Hitoshi Takano Mar/2001

体験的「練習しない日々」

 3月になって、久しぶりにかるたを取った。前に取った最後が昨年の8月26日なので6ヶ月と少々の 間が空いてしまった。この間は実に結構長い期間である。かるたを始めたのは大学時代だが、あるきっかけ で練習の虫になってからは、週3〜4日の練習があたりまえだった。このころは3日あくと「ひさしぶり」 という感覚だった。長期休暇中で自会の練習がないと、1週間もとらずにいると他会の練習に出ていって 取らせてもらっていた。
 こんな私も、仕事を始めてからはさすがにきびしくなった。それでも、繁忙期に1ヶ月〜1ヶ月半の間 が空く程度であった。このころは、仕事に余裕ができたらかるたが取れるという期待を持って、「ひさし ぶり」にかるたが取れることが楽しみだった。
 「ひさしぶり」にかるたを取ることに不安の陰が忍び寄ってきたのは、「ぎっくり腰」を経験してから だ。別にかるたで「ぎっくり腰」になったわけではないが、治るまではかるたなど取れるわけもない。無 理をして再度腰を痛めるのではないかと不安になったものだ。それでも、かるたを取りたいという思いが 心のうちに熱く燃えていた。

 その後、もっともかるたを取らずに過ごしたのは、結婚の前後丸3年間である。かるたを取ること以外 に休日や余暇の過ごし方のバラエティーがあったからだ。このころの練習しない日々、かるたへの思いは かるた関連の執筆活動に費やされていた。また、他の分野の勝負の世界をメディア上で観戦するというこ ともあった。長かった競技かるた生活が、勝負の世界に少しでも触れることを欲する体質にしていたのか もしれない。
 この3年のブランクのあと、復活はしたが、仕事も忙しいので今度は3ヶ月くらい間が空くのは普通に なってしまった。それでも、時間を作ってはたまの練習にいそしんでいた。
 ところが、環境がかわって年間100を越える練習ができた1999年度の翌年である今年度(2000 年度)、それこそ「ひさしぶり」の大ブランクといえる半年間という今回の事態が生じてしまった。 しかも、今回は、日が経っても、練習への意欲が燃えてこないのである。いったい、どうなってしまった のだろう。こういうわけで次章では、多少の自己分析をしてみようと思う。

「練習しない日々」の心理

 学生時代は、1週間もあくと取りたくてどうしようもない思いになっていた。しかし、就職してからは そうもいかない。かるたに合わせて休暇をとったりしていたが、忙しくなると1ヶ月はあいてしまう。忙 しい時は、身体も疲れているので、身体を休めることも必要で、かるたは取りたいが身体を休ませるため に練習にいこうと思えばいける場合でも、あえて家でじっとしている日も出てきた。かるたを取りたいと いう欲望を理性がコントロールし始めてきたのである。前章でも書いたが、これは「ぎっくり腰」体験に よるところが大きい。身体がいうことをきかなくなる経験は、疲労をおした無理の怖さを私につきつけた。 練習復帰の際には、「練習によって、また、腰をいためてしまったらどうしようか」という不安感が抜け なかった。
 「ぎっくり腰」も「練習しない日々」の一つのエポックであったが、「練習しない日々」に関するもっと 大きな転機は、3年間のブランクである。この前とあとでは、かるたへの取り組み方が変わってきたと思う のだ。
 何が変わったのだろうか。まず、年間の練習量が減ったのは前の章で述べたとおりである。そして、試合 に、ほとんど出なくなった。出なくなったというより、練習の裏付けがないので気持ち的に出られないのだ。 試合に出る以上は、恥ずかしい試合はしたくないし、そういう練習不十分な人間が出て変な試合をしたら、 やはり相手に失礼だと思う。まして、団体戦ではチームとチームの仲間に迷惑をかけるという面もある。 試合に出るという目標がないと練習も練習のための練習になってくる。たとえば、仕事の都合でうまく練習 できる日ができたとする。しかし、その日は自会の練習がない。他会の練習ならばある。昔ならば、迷わず 他会の練習にいった。だが、練習の間が空いていると自会の練習で少し調子を整えてからでないと他会の 練習に顔をだせないということだ。他会の練習で、久々の練習で変な取りをするというのも失礼だと感じ るからだ。
 こうして、ますます間が空いて、自会の練習でも「リハビリテーション」などと言って参加する羽目に なる。悪循環に陥るのだ。そして、久々の練習は、翌日の筋肉痛を招く。この筋肉痛は、3年のブランク 後は、ほぼ毎度の話になった。そうすると体力や体調に不安を感じ始めるのだ。腰に痛みを感じたりする と「ぎっくり腰」再発の懸念が浮上する。だんだん、自会の練習にいくのでさえ、「体調のよい日に」と いう条件付けが必要になり、さらに練習に行く機会を自分で少なくしていく。
 3年のブランクで感じたもう一つのことは、かるた大会や他会の練習会に顔を出しても、顔ぶれが変わっ てしまったたということだった。知り合いがいないというのは寂しいものだ。練習や試合に足が遠のく一 つの理由になるだろう。
 さらに他にも原因をさぐってみよう。学生時代に取っていて卒業後取らなくなっていく選手と話すと、 「学生時代の取りができない」ということを言う。翻訳すると「練習が豊富で自分が一番強かった時、自 分の中で持っている過去のわりと良いイメージのかるたが、練習不足もあって取れなくなってしまった」 ということであろう。ここでイメージどおりに動かないことが歯がゆく、そして時には恥ずかしくなって しまい、取るのがイヤになってしまうのだ。自分が稽古をつけた後輩たちに苦もなく捻られるような負け 方をしたりすれば、なおさらである。この状態でも続けるためには、次の二つの考え方がある。
 (1)は状況がゆるさないことが多いので、この考えの人は結局取らなくなってしまうことが多い。(2)で 考えていかないとなかなか続けられるものではない。

 こうして、自分の身体も気持ちもだましだまし取ってきたわけだが、この最近の半年のブランクには、 また別の変化を感じたのだった。8月末から練習しない日々が始まり、9月は学生も夏休み中で練習の 機会が少ない。練習したくとも、練習の機会が少ない時にはなかなか都合がつかない。しかし、秋学期 が始まり、練習の機会がふえても今度は気持ちがのって来ないのだ。しかも、どうも身体が重い。練習 しない日々の悪循環にはまって来た。それでも、全日本かるた協会の機関誌「かるた展望」が届いたり、 1月の名人戦放送があると血が騒いでくるものなのだが、今年はそれさえないのだ。届けばすぐに読ん でいた「かるた展望」も読んだのは、到着から2ヶ月後だし、名人戦のBS放送のビデオも録画を見た のは2月下旬だった。無意識のうちに、こういうかるたメディアを見ることで湧きあがる気持ちを起こ させないように拒否していたのかもしれない。
 練習を再開した今となっては、これは不思議なことに思える。心も体も、かるたを取ることを欲して いなかったのだろうか? それとも、厄年という年齢的なものが引き起こした一過性のスランプのような ものだったのだろうか?

 答えは、見つからない。

 「今から行って1回取れる?」と電話しても、「これから最終回を取り始めるところです」と答えら れれば、「それじゃあ、練習には寄らずに帰る」と言わざるをえない。「時間がはやいから、もう1回 取ったら…」とは言えない。自分のために後輩たちの予定を変更させることになるのは本意ではないし、 自分としても無理強いしているようで嫌だ。それ以前に「これから最終回…」という言葉を聞いた時点 で、取りたいという思いの風船は萎みはじめてしまっているのだ。取りたければ、即座に他会の練習 に行くことを決心するか、無駄足になったとしても電話せずに練習場に直接顔をだすことにしたほうが よいのかもしれない。
 人の気持ちとはうつろいやすいものだ。ささいなことがきっかけで、「やる気」も起きれば、「練習 しない日々」の呼び水にもなる。

 競技かるたを試合形式で練習しようとすれば、一人ではできないものなのである。「練習しない日々」 が、いつまた現れるかは誰にもわからない。

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