「学校」と「かるた」

Hitoshi Takano SEP/2001

 夏の職域・学生大会が終わった。職域・学生大会のことを私たちは単に「職域」と呼び習わしている。 しかし、実態はどうであろうか?
 実際には、職域のチームは少ない。職域連盟に登録している団体はそこそこあるのだが、実際に大会に 団体として出場しているところは、数少ない。NECのように時間をかけてA級にあがって来たチームもあるが、 5人ででることさえ容易でないと大所帯のE級から抜け出すことさえできない。「職域」とは呼んでいても 職域・学生大会の参加チームの大部分は学校単位のチームなのである。
 一方、各会対抗団体戦(3人制)というのが2月に行われているが、こちらでは学生の会は16チーム中 4団体である。  この4団体は、すべて大学ベースの会であり、現役の学生だけではなく、会に登録している卒業生も出場して いる。他の12団体は、どちらかというと地域型の一般会と言われる会である。これは、高校以下の場合、 学校単位で全日本かるた協会への登録団体としているところが少ないということにもよるだろう。
 高校選手権の団体戦などをみると、一般会所属の選手が中心になっている高校もあるし、学校で初めて 競技かるたに触れた部活育ちの選手で構成された高校もあり、チーム背景もさまざまである。
 今回は、競技かるたの「普及の場」としての学校というものを考えてみたい。

競技かるたの普及における学校の優位性

 百人一首に初めて出会う場所は、どこだろう?
 「正月に家庭で」「正月に親戚の家で」「正月にご近所の家で近隣の人が集まって」「地域の子供会で」と いった回答は一昔前のことだろう。いまでは、中学校や高校の教材でというパターンが増えてきたのではない だろうか?
 当然、前者の場合は、イコールかるた札との出会いであるだろう。しかし、後者のパターンは、サブテキスト のような解説本が主流なのである。
家庭で覚える場合は、坊主めくりがきっかけだったりするが、坊主めくりで歌を百首覚えましたという話し は聞かない。かるた取りを大人がやっているところに仲間に入れてもらい、歌を覚えている札だけを見ている とその札だけは、大人に負けずに取れることが嬉しくて、歌を覚えたというケースが多いだろう。子供の頭は 柔軟で、興味を持ったことへの記憶力は抜群である。大人に伍してかるた取りができる嬉しさ、札を取れる嬉 しさが、歌を覚える動機付けになる。
 競技かるたのスタート地点に立つには、こうして歌を覚えるという第一関門を通りぬけなければならない。
 学校で覚える場合は、定期試験で出すからといって歌を覚えることが宿題となっているケースが多い。試験 が終わったら、一夜漬で忘れたという人も多いようだが、何はともあれ歌を覚えるという第一関門を強制的に 抜けさせるこの効果は、普及の土壌としては大きい。この試験のための宿題路線とともに校内かるた大会など があるとより効果的である。試験という動機付けの他に大会で勝つという動機付けが加わるからである。この 大会ではまるケースも多い。これではまったまま、競技かるた部に入部してしまったりする。その学校に競技 かるた部がなかったとしても、上の学校に進学したときにでやってみようという気がおきやすい。
 そして学校というところには同年代の仲間がたくさんいる。一人で始めるのは嫌だ、一人で入部しにいくの は恥ずかしいといった気質の子でも、仲間と二人、三人で連れ立って競技かるたの門を叩ける。しかも、すで に始めた子は、面白いからやってみないかと声をかける対象には困らない。自分の身のまわりにはたくさんい るわけである。
 家庭は核家族化し、少子化社会は進む中、家庭や近隣地域の単位で子供が百人一首を覚えてかるたを取ると いう環境は、本当に熱心な一部指導者のまわり以外では消えつつある。さらに子供たちにはデジタルゲームと いう恰好の遊び道具がある。このような中で、従来の家庭や近所を中心としたかるたとの出会いの場は望むべ くもない。
 こういう時代であるからこそ、学校は出会いを与える場所として、普及の場所として少なくとも量的な優位 性をもっていることは間違いない。ここであえて量的と断ったのは、家庭で親から子へ伝えることでの質的な メリットを否定できないからである。しかし、今後はそれさえも量における切磋琢磨や、学校の先輩から後輩 への指導システムなどより、質的にも優位と言いきれるようになっていくかもしれないだろう。

結び

 将棋や囲碁との出会いも、最近では家庭でというより学校でというケースがふえてきたようだ。競技かるた も含めて、こうした遊戯類は、日本の伝統文化である。伝統文化との触れあいも、教育の一環であるとすれば、 学校がこの部分ではたすべき役割は大きなものだと思う。
 職域・学生大会での学校チームの増大は、こうした傾向のあらわれであろう。また、卒業後は、学生会の 所属を離れて一般会の所属に変更する人もいる。今、普及における学校の優位性を述べてみたが、普及の環境 や手段はいくつあってもかまわない。学校の現場も、地域の場や職場といったところも、それぞれの特徴を 最大限に活かした普及を考えていきたいものである。
 つい先月、英国で行われた知的ゲームの国際的会合であるMSOの場でも「競技かるた」が紹介された。普及 においても、国際的視野を持たなければならない時代がきた。かるたの国際的普及にはたす学校の役割も今後 議論されて然るべきなのだろう。
 広い意味で学校の活性化を期待して、本稿を終える。

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