Professional

Hitoshi Takano Dec/2001

 今年のはじめに「アマチュアには引退がない」ということを本欄に書いた。
 そして今年の終わりに、これと矛盾することを書く。

 競技かるたの選手の中には、社会的にはアマチュアであっても、プロという強い意識を持った選手が少なからず存在する。

 競技かるたの仲間が数名集まって雑談をする。
 「今度、○○が結婚するんだって...」
 「へぇ〜、そうなんだ。で、お相手は玄人さん?」
 「いや、素人さんだって。」
 これは、別にいわゆる玄人女性という意味で言っているのではない。
 「そう、玄人だよ。」という返事が返ってくると、次の質問はこうなる。
 「どこの会の人?」
 なんのことはない、どこのかるた会の所属かを聞いているのである。
 この事例は極端かもしれないが、競技かるたをやっている人間の中には、すべてとはいわないが少なく とも「玄人意識」があるのである。
 もっと端的にいえば、競技かるたをやっている人間は、競技をやっていない人間が行う「かるた」を 「お座敷かるた」と呼ぶ。当然、玄人である競技かるた経験者は、素人さんの楽しみの場である「お座敷 かるた」の場を荒らしたりはしない。読みをかってでたり、審判をしたり、人数の関係で参加しなければ ならなくなっても、適当にまわりの人たちの力にあわせて周囲の参加者を楽しませることに努める。
 高校などでの「かるた大会」では、かるた部員は読みや審判といった運営部門にまわるという原則も 同じ意識のあらわれである。これを「玄人意識」と呼ばずしてなんだろうか。

 今年のはじめにも少々使った言いまわしだが、「世間的にはアマチュアしかないが、精神的本職(Professional)である“競技かるた”のために、実生活と競技生活に必要な収入を得るために社会的な 職業についている」人たちが、この世界には存在するのである。

 ただし、Professionalのあり方は、人によって差がある。いわゆるトーナメントプロだけではない。ゴ ルフにレッスンプロがいるようにこの世界にもコーチングのプロがいる。プロ野球の世界を考えてみよう。 現役選手だけでプロ野球の世界が成り立っているだろうか。監督・コーチがいて、スカウト、スコアラーなど がいる。現役選手としての登録がなくとも、これらの人たちも皆プロであるといえるだろう。
 野球の世界を広くとらえると、アマチュアとはいいつつ、限りなくプロに近いアマチュアが存在するので はないだろうか。
 実業団や大学野球の指導者となると競技の世界はアマチュア野球という舞台ではあるが、その実態は野球 の指導者としてのプロなのではないだろうか。高校野球の指導者にも、教諭という立場で野球部の監督を 兼務している立場もあれば、私立高校の場合など監督として招聘されている立場もあるだろう。こういう 場合は、高校野球の監督の職業的プロなのである。リトルリーグの指導者の中にも、日常の職業は別にもって いるものの気持ち的にはリトルリーグの指導者であることに精神的プロ意識を持っている人もいるだろう。
 指導者だけの話しではない、野球に限らず実業団スポーツの選手などは、意識も実態も限りなくプロと いえるだろう。
 実業団という枠組みのないアマチュア競技でも、通常の職業とは離れてクラブチームで活躍する選手がいる。 こういう選手の中にも、精神的にはプロである選手が存在するといってよいだろう。

 さて、本人はプロ意識をもっていたとしても、世間や周囲がそれをわかってくれない場合は多い。特に 世間的にマイナーな競技である「かるた」などなおさらである。我々にとってはメジャーである「将棋」 であっても、プロ棋士が結婚する際に相手の親から将棋のプロ棋士であることを説明したあとに「ところで お仕事は何をなさっているのですか?」と聞かれることがあるそうである。社会的プロ組織のある将棋 の世界でさえこうなのである。いくら精神的にプロだといっても稼ぎのない「競技かるた」では、そのプロ 意識も、社会的な職業を認知された上で、世間的には「趣味」の世界の出来事としてしか理解してもらえない。 頭では理解できるが、これはこれでつらいことである。「かるた界」の中の夫婦であれば、理解しあえる ところもあるだろう。理解しあえるとしても、もちろん生活していく上での収入は、社会的な職業から 得ていかなければならない。もしも、ある夫婦において、一人がかるた界に精神的プロとして生き、一人が そうでない場合、どれほど精神的プロといっても、家計を支える側が競技者であった時に、パートナーは どう感じているだろうか。精神的プロであることを理解したとしても、すべては社会的な生活基盤を確保 した上でのことと思っていることだろう。相手の金にならない精神的なプロとしての活動を経済的なこと を含めて、全面的にバックアップしてくれるパートナーは一体どの程度存在するのだろうか。
 非常にまわりくどくなってしまったが、精神的プロである競技生活をおくるために社会的職業を持つと いう場合、家族を養う立場であれば、精神的本職も社会的職業も、どちらもプロである必要があるという ことを語りたかったわけである。
 精神的本職は自分自身が認識するものであり、社会的職業という金銭を得る意味でのプロの職業人として の役割は、家族や周囲が期待するものである。

 「競技かるた」の世界を覗いてみてほしい。競技かるたを精神的本職とするProfessionalが結構存在して いることに気づくだろう。その中に、同時によき家庭人であり、社会的職業のプロでもある人はどの程度存在 しているのだろうか。それは、是非、自分の目で確かめてほしい。

 最後に、私自身は皆さんの目にはどう映っていますか‥‥‥?


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【おまけの独り言】
 この文章で何がいいたかったのか。
 自分としては、他人から「プロですか?」と聞かれたら、何と答えるのか?
 「プロ組織はないので、社会的にはアマチュアです。これで食べてはいけません。
  ……でも……、つねに技を磨き、芸を極めようという思いがあります。
  職業的・収入的裏付けはないけれど、私自身はプロだと思っています。」
 この複雑な心情をわかっていただけるだろうか。


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