「制御」の技術

Hitoshi Takano Jul/2002

 本欄の3月と5月にも取り上げたが、「競技かるた」の普及や勝負のあり方を考える時、将棋や囲碁の世界を 参考にすることは多い。もちろん、これ以外にも学ぶべき、競技やスポーツも多いのだが、今回もまた、ネタを 囲碁の話題から借りるとしよう。

 囲碁漫画「ヒカルの碁」はアニメ化もされ、特に子供達への囲碁の普及に大きな役割をはたしている。普及に果たす役割だけではなく、時として様々な競技をする者へ含蓄のある言葉を提供してくれる。そんな言葉の一つを紹介したい。

 集英社のジャンプコミックスの16巻にこういう台詞がでてくる。

 「心のコントロールがヘタなんだな、周りの目も耳も気にするな。」
 「いら立ち、あせり、不安、力み、緊張、プレッシャー……、つきまとう感情に振り回されるな。」
 「キミにとって一番大切なことだ。石だけを見ろっ。これは自覚と訓練でできるっ。元々の性格なんて関係ない。修得できる技術さ、こんなもん。」

 この言葉を言われた人物は、次のように思う。

 「修得できる―技術!? そんなふうに考えたことはなかった、感情のコントロールが?」

 これは、囲碁の中での話であるが、将棋や競技かるたに置き換えても充分に通用する。「石だけを見ろ」というところを「駒だけを見ろ」や「札だけを見ろ」にすればよいのだ。

 思うように札が取れない「いら立ち」や、同期の選手や後輩に先を越される「あせり」、自分はもっと強くなれるのだろうか上の級にあがれるのだろうかという「不安」、試合の中でこの札は取らなきゃいけないという「力み」、震えなどの身体に影響を及ぼす適度とは言えない「緊張」、負けられないという「プレッシャー」…。競技かるたを続けて来た者ならば、何かしらの経験があることだろう。
 もちろん、こうした感情に振りまわされることなく競技を続けてきた人もいるだろうし、徐々に自然とこうした感情に慣れてきたという人もいるだろう。このような人達は、感情のコントロールを意識しないで身に付けてきた人達だろう。
 しかし、なかなかにこの「感情」を制御できない人々も多いのも事実だ。上記の台詞は、まさにこの解決方法を示唆していると思う。

 感情の制御を解決するために最初にしなければならないことは何だろうか?
 それは、自分がこうした感情にさらされていて、少なからず影響を受けていることを認識することである。この認識がなければ始まらない。自分が病気であることを認識していなければ病院にいかない。自分が物事を知らないということを認識しなければ学ぼうとしない。これらと一緒である。
 これを認識するためには、試合が終わったら、その試合の感情の動きを思い返してみよう。
 札をならべはじめたら、相手が左利きであることに気づき、あれこれ余計なことを考えて、緊張し、普段の暗記ができなかったとか、五枚連取されて、あせってしまいお手つきをしてしまったとか、団体戦でチームが二勝二敗になって自分のところだけになった時にすごいプレッシャーを感じてしまったとか、試合後に落ち着いて分析をしてみることだ。そこで、自分の感情が試合に対して、どうマイナスに働いているかを認識する。
 こうして初めて、自分の感情の制御への道が始まる。

 実は、この認識ができれば、ほぼ解決したも同然である。
 この試合後の振りかえりをすることで、今度は、こうした感情が試合中に起こって来た時に、自分がそういう感情の状態にあることをオンタイムで気づけるからである。その時点で気づけば、対処方法はある。立ちあがって深呼吸するとか、チームメイトに「ファイト」と声をかけるとか、首や肩を回してリラックスをはかるとかである。それは、個々人で自分にあった、その場にあった対処方法をとればいいのである。

 先の碁の漫画の中でも、悩んでいた登場人物は、感情に振りまわされている自分を客観的に見ている自分を持つことで、この問題への解決への糸口をつかむのである。
 客観的に自分を見ること。これが、感情の制御の大きな第一歩なのである。

 静岡県立富士高の外山先生は、生徒へのメンタルトレーニングを実践されているとのことだが、トレーニングをしていることで、日頃から、自分はこうした感情に対処できるという自信をもたせることもひとつの方策であろう。
 プロ野球の先発投手が、先発の前日、寝床について翌日の試合をシミュレーションしてみるという話しを聞いたことがある。ある投手は、一人一球で27球で試合を終わらせてしまう。あるピッチャーは、81球27三振で終わらせてしまう。自分に都合のいい話しである。しかし、シミュレートするといつも何故か打たれまくってしまうというピッチャーもいるそうである。前者は、自分に都合のよいように考えて、ぐっすり眠る。後者は、最悪の事態を考えて、それ以上は悪くなることはないからと前向きに考えて試合に臨む。こうした方法は、人それぞれである。競技かるただったら、相手がお手つき連発で、ほとんど札を取ることなしに勝ってしまうとか、最初から25枚連取で勝ってしまうということを考えるのもいいだろう。最悪を考えるならば、自身のお手つきが炸裂した状態を考えるのだろうか。下手にリアルな展開を考えて、一枚一枚の運命戦になることを想定するよりは、極端なほうがいいかもしれない。
 自分に都合がよいシミュレーションにしても最悪のシミュレーションにしても、それが次の試合へのプラス要因として働かなければ意味はない。私は、自己に都合のよい発想のほうがいいとは思うが、これも各人の個性によって異なるだろう。負の要因も考え方ひとつで、プラスになるのだから…。

 ある有名なコメディアンが、大舞台での緊張について、こんなことを言っているのを読んだことがある。「舞台(高座)にあがる前に緊張しない芸人は、それだけの芸しかできない。客の笑いをとれるかどうかの真剣勝負の前には緊張して当然である。緊張をもって舞台(高座)にあがることで、いい芸が生まれる。」こう考えるといい試合を産むには、適度な緊張も大切だと思えてくるではないか。

 感情のコントロールに悩まされている人や、それと気づかずに感情に左右されて力を出しきれずにいる人は、ぜひ、自分を客観的にみる訓練をしてほしい。そして「感情の制御」はできるもの、「感情」も自分に有利に働くものという認識をまず持とう。その上で、様々な工夫の中から自分にあったスタイルを見つけていってほしいと望んでいる。


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