"ツキ"の総量

Hitoshi Takano Aug/2002

「アナタハ、『つき』ヲ、信ジマスカ?」

 競技かるたのような「勝ち負け」の世界にいると、「ツキ」ということを感じることが多々ある。「競技」なのだから、実力の世界でしょうと反論される方もいるかもいるかもしれない。しかし、勝ちがあれば必ず負けのある勝負の世界に生きていると、「ツキ」というものを感じざるをえないのである。

 もちろん、「ツキ」に対してのとらえかたは、人それぞれである。「ツキ」というものの存在を否定する競技者もいれば、「ツキ」というものを非常に大切なものとして考えている人もいる。今回は、多少なりとも「ツキ」というものを感じている人々をとりあげてみたいと思う。

「ツキ」には流れがある

 「ツキ」については、流れがあると感じている人たちがいる。「これはツイている」と感じる時は、単発のラッキーで感じる時よりも、「ツキ」が続いたと感じる時のほうが多いのではないだろうか。
 「ツキ」には流れがあると考えている人は、この「ツキ」の流れを大切にする。その代表的行為が、いわゆる「ゲンかつぎ」である。お相撲さんが本場所中、勝ち続けている間は髭をそらないということなどは、この「ゲンかつぎ」の一例である。
 上記の例は、今「ツキ」があって、その流れを大切にするという例だが、現在、自分に「ツキ」がない場合、「ツキ」に流れがあると感じる人達はどういう行動にでるだろうか?
 それは「ツキ」を呼びこもうとするのである。

「ツキ」を呼びこむ

 「ツキ」を呼びこむためには何をするか?

 代表的な例を二つ紹介しよう。

 まず一つ目は、本来「ツキ」が欲しい勝負とは違う勝負で「勝ち」を得て、それをきっかけに本来「ツキ」がほしい勝負に「ツキ」の流れを持って来ようとする方法である。
 たとえば、ここのところ競技かるたでは、「ツキ」にも見放されているような気がしてならず、結果も惨澹たるものだとしよう。こういう時は、別の勝負をやってみるのである。できれば、偶然性に作用される要素が大きな勝負であるほどよい。トランプをやる場合もあるだろうし、麻雀をやる場合もあるだろう(麻雀は技術が物をいう競技だという意見もあるだろうが、配牌などの要素に鑑み、例としてあげることをご了承いただきたい。それに、私の周りの競技かるた仲間には麻雀をやる人間が多いのである。)。もっと時間が無い時は、単純な勝負をその場で行う。たとえば、次に自分に話しかけるてくるのは、男か女かを自分で選ぶ。この選択があたるまで続けるとか…。
<  とにかく、一回何かに勝って(何かをあてて)、「ツキ」の流れを呼びこむキッカケにするのである。

 二つ目は、周囲のツイている人間の「ツキ」の流れを止める方法である。このツイている人間が対戦相手であれば、なお、効果的である。他人の「ツキ」の流れが変わることで、その「ツキ」の流れが自分に向くかもしれないのである。花札のルールで、「親手もらいます」と宣言し、配られた親の手札(もちろん配られた札を見る前)と自分の配られた手札(もちろんこちらも見る前)を交換するというルールがある。親がツイていて、自分がツイていないと思ったら、親のツキがまだ持続していると感じるなら試してみるとよいだろう。これなどが、代表例といえるだろう。競技かるたの場合だと、対戦を組む前に対戦カードを本部員がシャッフルする場に行って手を入れさせてもらうという方法などがポピュラーかもしれない。もっと簡単なのが、ツイていないと思ったら、手洗いに立つという方法もある。流れる水に手をさしだして、流れを変えるのである。(これも「ゲンかつぎ」の一種といえないこともないが…)
 しかし、「ツキ」の流れという概念を持たない人や、「ツキ」の流れは感じても「流れ」よりも大事なものがあると考える人もいる。

「ツキ」の総量

 「ツキ」には総量があるという考え方がある。この考え方にも二種類ある。
 第一のタイプは、「ツキ」の総量は、個人で決まっているとする考え方である。たとえば、Aさんには200ポイントの「ツキ」があり、Bさんには100ポイントの「ツキ」があり、Cさんには10ポイントしか「ツキ」がないという考え方である。
 そして第二のタイプは、人一人が持っている「幸運」(ツキ)と「不運」の総和はゼロになるという考え方である。「幸運」(ツキ)が多い人は、その分「不運」も多いという考え方である。
 どちらにしても「ツキ」には総量があるわけで、いたずらに「ツキ」を消費すると、本当に「ツキ」が必要なところでツカナイというわけである。
 こういう人は、本当に勝ちたい競技かるたの試合の前日に麻雀などでツイていたりすると、翌日のツキまで使ってしまったのではないかと不安になる。しかし、麻雀でツカズに負けたとしても、あまり影響はない。特に第二のタイプになると麻雀で「不運」のポイントを使ったのだから、その分に見あう「幸運」(ツキ)のポイントが翌日の試合において現れるかもしれないと逆にプラスの心理に作用することさえあるだろう。

 「ツキ」というものを感じる人にとっても、実は「ツキ」の正体は不明である。正体が不明であるがゆえにいろいろと「ツキ」について考えるわけだ。
「ツキ」などは存在せず、すべては競技等における実力ならびに「確率論」と「心理学・医学的研究」から説明できると主張される方もいることだろう。「しかし」である。しかし、「ツキ」を感じる人々にとっては、「ツキ」というのは時にいとおしく、時ににくらしいというやっかいな代物ではあるが、是非とも味方についてほしいものなのである。
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