短期集中連載「かるた小説」(2)

Hitoshi Takano Feb/2003



 前回までのあらすじ

 西向ユキは、大学1年生。転校前の高校の先輩である水木花江と偶然、キャンパスで出会ったことから 高校1年の途中まで練習に励んでいた「競技カルタ」の団体戦の大会に出場することになった。
 四年半ぶりの試合となった第一試合では、ミスもあったが、競技カルタお手ほどきをしてくれた父親の 教えを思い出しながら、七枚差で勝利を収め、チームも勝点をあげることができた。

前回に戻る


『左下段の陥穽』(2)

高野 仁

 
<第二試合>

 さて、二回戦である。
 五人並ぶ隅の五番の位置であった。対戦相手は希望どおり相手の主将であった。相手チームが、両エースを両翼にもってくるという水木の読みがあたったのだ。

 序盤の十数枚で、相手の実力はうかがいしれた。「響き」がいいし、フォームもきれいだ。女性らしい柔らかい動きだ。昔のあたしだったら、負ける相手ではないと思ったが、ブランク復帰二戦めの今は、どうなるかはわからない。まだ、自分の身体を思いどおりに動かしきれていないという実感があったからだ。
 実際、あたしにミスが出た。
 それは、突然の感覚だった。敵陣左下段の「こころあ」の札があたしの意識の中では突然鮮明に浮きあがって見えたのだ。これは、昔からあった感覚で、この札がよく次に詠まれたものだった。どうやら、勝負感が復活してきたようだった。詠手の詠みの声に集中した。

 「ころもほすてふあまの香久山…。ここ…」

 間違いない。相手陣の左下段に手がスーッと伸びる。

 「(ここ)ろ…」

 決まり字ピッタリだ。

 「(こころ)あてに…」

 四文字めに、あたしの右手は「こころあ」の札を払っているはずだった。しかし、実際は空を切っていた。

 「?!」

 なぜ空振ったのか一瞬わからなかった。

 「空振ったら、もう一回同じ方向から払いなおししたのでは、動きが無駄だ。空振ったと気づいた瞬間に払いにブレーキをかけ、逆方向に手首を返して払うんだ。」
 父の教えは身体に染みついていた。考えるより早く、バックハンドの払いからブレーキをかけて、体勢を崩しつつもフォアハンドの方向に手首を返す。

 間にあうのか?

 ブレーキをかけるという余分な動作が、一瞬の遅れを産んだ。相手の決して早くはないが、遅くもない払いのほうが出札を捕捉していた。

 一回戦の「つく」の払い残しと同様の悔しさがあたしを包んだ。

 「さあ、一枚!」

 昔から掛け声をかけることなどなかったあたしが、無意識に声を出していた。自分への檄なのだろうか。自分でもわからない。

 「掛け声など、意図的にかける必要はない。必要になったら、自分の内なる声が勝手に出てくるさ。」

 父が生前言っていたのを思い出した。初めての経験だった。

 声とともに、気合が込められた。

 「おきまどわせる白菊の花…。きみ…」

 次の札が詠まれる。大山札だ。自陣の左下段の一番内側に「きみがためは」の札がある。友札は、今回は場にない。あたしは、落ち着いて、札の右斜め上から札に触れぬように囲い手で防御する。これだけ早く囲いの体勢に入れば、相手は攻められないだろう。

 そんなあたしの考えに油断があったのだろうか。

 「(きみ)がためはるののにいでてわかなつむ…」

 決まり字の「は」が詠まれるか詠まれないかのうちに、相手は囲いの隙間が生じた出札の左斜め下の方向から、手首を返して人さし指と中指を突き込んできた。相手の詠まれるか詠まれないかの内という突き込みのアクションを起こしてきたタイミングが微妙だった。あたしは、この早い突き込みに一瞬気をとられてしまったのだ。音に対する集中力が、このタイミングで削がれてしまっていた。

 あたしが囲い手から札に触れるよりも、相手の突き込みが早かった。

 「おまえの囲いは、低さが足りない。囲うのは早いが、突き込みを許す隙間が見つけやすい。早い囲いに、相手があきらめてくれるなどと思うなよ。」
 「低く囲うと指先ではじきにくい。囲ったままベタッと押さえるのって、カッコ悪い。」
 「何か間違えてないか?格好なんかより、札を確実にとることのほうが大切だろう!」
 「汚い取りより、きれいな取りを目指せって教えてくれたのはパパじゃない。」
 「生意気言うんじゃない!もっと取れるようになってから言うことだ。今のユキのレベルでは、確実に早くを追求するほうが先だ。」

 練習で、父に受けた注意を思い出した。
 早く囲えたことに対する油断というよりも、あたしの持っている囲いの癖の欠点を突かれたのだ。

 この二枚連続の取り損ないはきつかった。あたしは、このあとも調子に乗りきれなかった。試合も半ばあたりでは、十五枚対十枚と五枚のビハインドを背負っていた。

 「倍セームは、まだまだ、逆転可能な数字だ。相手が一枚取る間にこっちは二枚のペースで取ればいいのだから…。そうすれば、いずれは二枚対一枚だ。ここまでくれば、勝負はどうなるかわからないだろ。」

 およそ楽観的な父の言葉だったが、この言葉はその後の試合であたしを何度も救った。それまでは、序盤の大差から自分で勝手に気落ちし崩れることが多かったのだが、これ以後は、試合でどれだけ差をつけられても、あきらめずに逆転を狙うという姿勢を持ち続くることができるようになったからだ。

 「二十四枚対十二枚や、二十枚対十枚からの逆転をしてきたあたしだ。十五対十など大丈夫だ。」

 四年半のブランクへの不安、調子に乗れない不安。これらを払拭するように自分自身に言い聞かせた。

 父の言葉を思いだすことが、試合への集中力を高めることにつながった。徐々に差を縮めていくことができた。双方残り二枚で追いついた。

 「追いついた時に安心しては駄目だ。追いついて、守る気持ちを起こしたら、攻めも甘くなるし、守りも甘くなる。追いついても、自分がまだ少し劣勢というくらいの気持ちで、攻撃的な気持ちを忘れるな。」

 父の教えが心に蘇る。札が詠まれる。もちろん、敵陣を攻める。しかし、自陣を抜かれる。相手も攻めっ気充分だ。相手は、自陣に三字のままの「あらざ」の札を残して、一字に決まっている「はなの」を送ってきた。こちらには二字決まりに変化している「ありあ」がある。あたしは、「はなの」と「ありあ」を右下段に固めて置いた。相手が一枚になったのだ。どの札からケアするかの優先順位は自分で決めなければならない。相手は、攻める気でいることが見てとれた。敵陣が三字ならば、守ってからでもなんとかなる。そう考えた。

 「……。あら」

 詠手の声が響く。相手は「あ」の音で鋭く「ありあ」の札に切り込んできた。「あ」のあとの「R」音では、まさに札に触れんばかりの勢いだった。

 「(あら)しふく…」

 空札だった。あたしは、詠みの音を聞いていながら敵陣の「あらざ」に全く攻めにいけなかった。守りの気持ちが強く、結局相手の攻めの勢いに守りもできず、攻めもできないという最悪の結果だった。空札であったのがせめてもの救いであった。
 意気消沈しつつも、自陣の札を見ると「ありあ」の札がかすかに動いている。ひょっとするとこれは…。

 「触りましたね?!」

 思わず、相手に尋ねてしまった。

 「相手がお手つきしたと思ったら、聞かずに札を送れ。『触りましたか?』と聞いて『触ってません』と答えられたら、主張しづらいだろ。」

 父の忠告は生きていなかった。

 しかし、相手は素直に「はい。」と答えてくれた。あたしは、ホッとした。父だったら、ここで「はなの」を送って敵陣二枚を「攻めろ!」というだろう。大体、相手がここに来て送って来た札だ。百枚目とふんで送ってきている可能性も大きい。

 父に叱られてもいい。あたしは、「はなの」を自陣で取るんだ。敵陣の二枚の「あ」札には、まだ空札がある。相手が守ってお手つきをしてくれるかもしれない。

 「相手のお手つきを計算に入れて、勝負を組み立てるのは弱気な証拠だ。自分がお手つきしても、余裕で勝てるくらいでなくてどうするんだ。」

 家庭では、特に母との関係では、弱気であった父からは想像できないくらいの強気な発言だった。殊かるたについてだけは強気なことを言う父であった。

 父の教えに逆らっても良かった。この苦しい試合を、相手の攻めをかわすには、「はなの」を残すしかない。これは、この時にあたしの心を支配した信念だった。信念に殉じて負けたらそれはそれでいい。そう思っていた。

 「たつたのかわのにしきなりけりー。…はなのいろは…」

 あたしの右手は、自陣の札を払っていた。相手の攻めは、さすがに及ばなかったようだ。

 「ありがとうございました。」

 あたしは、相手と詠手に頭を下げた。

 ニ回戦は、こうして二枚差で終わった。チームも、あたしの勝利で三勝目をあげ、勝ち点を取ることができたのだった。

 そして、あたしの心の中には、単に久々に競技かるたを取る喜びとは別のある思いが淀み出していた。

……つづく………


次のTopicへ        前のTopicへ

トピックへ
ページターミナルへ
慶應かるた会のトップページへ
HITOSHI TAKANOのTOP PAGEへ

koisucho@yahoo.co.jp
(@は半角"@"でお願いします)