短期集中連載「かるた小説」(3)

Hitoshi Takano Mar/2003



 前回までのあらすじ

 西向ユキは、大学1年生。転校前の高校の先輩である水木花江と偶然、キャンパスで出会ったことから 高校1年の途中まで練習に励んでいた「競技カルタ」の団体戦の大会に出場することになった。
 四年半ぶりの試合となった第一試合に引き続き、第二試合に臨んだ。四年半前のようには取れはしな いものの、自分自身の原体験を思い起こしつつ辛うじて勝利をあげる。チームも勝ち点2となり、次の 試合に決勝戦進出をかけることになった。

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『左下段の陥穽』(3)

高野 仁

 
<第三試合>

 第二試合が終わり、第三試合の暗記が始まるまでの間、あたしはトイレにこもって、溢れる涙と格闘していた。

 一つには、自分の理想とするカルタが取れない悔しさが原因だった。思い通りに動かない身体と思い描く試合運びや策戦とのギャップ、それにもまして、自分の理想とする攻撃的カルタを相手がしかけてくるのに、自分がそれを実践できないというもどかしさがあたしの気持ちを苛立たせ、自分自身を攻めるのだ。
 父が見ていたら、試合後にどやしつけられていただろう。「勝てばいいというもんじゃない。頂点を目指すならば、勝ち方も問われるということを意識しなきゃ駄目だ。今の試合は、勝負に勝って、カルタに負けた試合だ。」と酷評されたに違いない。
 そして、もう一つの理由があった。

 二回戦の相手のフォームは、非常にきれいだった。それは、以前に見たある人のフォームにきわめてよく似ていた。

 小六で競技カルタの手ほどきを受けたあたしは、中学にあがると父に連れられて、日本の各地で開催される全国大会に出場するようになっていた。京都で行われたある競技会でのことだった。下の級から始めて、順調に昇級していたあたしは、ここでB級優勝を遂げていた。B級は、参加人数が多少少なかったため、A級に比べて一回戦分早く終わっていた。父は、そのA級の決勝戦をしっかり見学するように言ったのだった。
 「ユキも、次からはA級の試合に出ることになる。A級の決勝で戦う選手の力を心に刻みつけておくんだぞ。決勝に残っているのは、男のほうが名人だ。そして、相手の女性が、今日の一回戦でパパに勝った選手だ。とても、きれいなフォームでいいカルタを取る。名人のフォームはいかにも男性っぽい力強い感じだが、彼女のフォームは柔らく、しかもシャープさを兼ね備えた感じだ。フォームを見るだけでも勉強になる。」
 たしかに、その女性のフォームはきれいだった。美しいと思った。華麗という言葉を実感した。父が柔らかいと言った意味がよくわかった。名人のカルタを「剛」と表現するならば、まさにそれと対比する意味で「柔」という表現が適切なカルタだった。
 あたしは、その女流選手に憧れた。彼女のフォームを身につけようと努力をしたが、あいにくと身長も違えば身体の柔らかさも違った。憧れと現実は違ったのだ。
 「他人の真似をすることはない。よいところは学べばいいが、そのために自分の良いところを潰しては意味がない。ユキはユキのフォームをもっと良いものにするように努力すればいいんだ。」
 そんな父の言葉もあって、身体の成長にあわせて自分なりのフォームを工夫したが、心の底には理想のフォームとして、この選手のフォームがずっと存在し続けていたのだ。
 そして、始めてこのフォームに似ていると思えるフォームに出会ったのが、本日のニ回戦の対戦相手だったのだ。

 自分が憧れてできないでいたことを対戦相手がやっている。これだけでも、忸怩たる思いにとらわれ、涙腺に影響を与えるのだが、涙のわけはそれだけではなかった。このフォームにより思い起こされた人に関係がある。

 「ユキ…、ユキ…!」
 「いないの?」
 「三回戦始まるよ〜っ!」

 あたしを探す声がした。水木が、トイレまで探しに来てくれたらしい。

 「いかなきゃ…。」
 心の中で呟いた。
 「ここにいるよ。」
 涙をぬぐって、あたしは個室から出た。

 水木は、目をはらしたあたしを見て、一瞬驚いたようだった。たぶん、あたしの気持ちの何かを察してくれたのだろう。余分なことは、一言も言わなかった。

 「三回戦始まるよ。すぐ会場に来てね。」

 そう言うと、あたしを残してさっさとトイレを出ていってしまった。
 残されたあたしは、手洗所の鏡を見た。
 泣いたあとの顔は悲惨だった。
 顔を洗った。
 もともと化粧っ気のない顔だ。泣きはらした顔も、少しはましになっただろう。
 「よし。」
 ひとり気合を入れて、三回戦を戦うべくトイレを出た。

 四年半前にも、こういうことがあった。あの時も水木がトイレまで探しに来てくれたのだった。

 その日、高校選手権の団体戦が行われていた。あたしも高校一年ながらチームのレギュラーとして水木らの先輩たちとともに会場である滋賀県の近江神宮に来ていた。そして、父も応援に来てくれていた。

 一回戦を勝利で終えると、予選ブロックが三校リーグだったために二回戦は抜け番だった。あたしは、緊張で高ぶる気持ちを押さえるために一人で神社の境内をブラブラと散策しに出ていった。うっそうとした木々の中の道を歩くと不思議と気持ちが静まるのだった。
 境内の中でも、人があまり歩かないであろうと思われるあたりにさしかかった時に、ふと人影があることに気づいた。男女が抱擁している。そちらを見ないようにそそくさと歩を進める。見ないようにと思っても目に入ってしまう。女性は、あたしがフォームがきれいと憧れていたあの選手だった。
 「彼女もどこかのチームに応援に来ているのだろう。」
 自然にそう思った。
 「それにしても、彼女の彼氏は誰なのだろう?あんなにきれいでカルタの強い人のハートを射とめる男性とは?」
 ちょっと興味が湧いた時、二人は口づけをかわす。
 「あっ!」
 あたしは、見てはいけないものを見てしまった。
 そこに父親の姿を見たあたしは、気づかれないように通りすぎると、別の道をとおって会場に戻り、トイレの個室にこもって泣いた。そのあたしを三回戦が始まると探しに来てくれたのが水木だった。

 四年半前の三回戦は、あたしが早々に敗勢となり、チームも負けた。父と目を合わすことができず、あたしは高校の課外活動という団体行動の中に身をおくように心がけた。
 翌日の個人戦は、すべてを忘れて競技にのみ集中した。試合の合間もチームメイトとさえ話すことなく、ただ試合に備えて気持ちを整えた。その結果が、高校選手権A級優勝という高校チャンピォンの座であった。

 その翌日、引率の教師や高校の仲間と共に帰ったあたしだったが、父は帰ってこなかった。
 父はそのまま京都に住む彼女のところに行ってしまったのだった。会社は退職し、しばらくして離婚が成立した。母は、父とカルタを憎んだ。あたしは、カルタを禁止され、母が実家に帰るのを機に転校を余儀なくされた。

 さきほどの涙のわけのもう一つは、二回戦の対戦相手のフォームにより、蓋をしていた過去の扉を開けてしまったことにあったのだ。

 カルタは、父との大事な想い出ではあるが、母がこの競技を憎む気持ちの一端があたしの心の片隅にあるのも事実だった。

 あたしが会場に行くと、ちょうど双方のチームが整列するところだった。ぎりぎりで行ったために自分が何番目に座るのかもわからない。一番めが南だった。二番めが沢村。三番めが、あたしだった。水木は、相手の二本柱が真中と端に来ると読んだようだった。四番めが、矢沢で、五番めが水木だった。
 しかし、水木の読みは大きくはずれていた。相手チームは、主将から五将までを一番から順番に並べていた。常識的に考えると南・沢村が星を落とし、水木とあたしで勝星をあげ、矢沢の勝負がチームの勝敗の帰趨を決めることになるだろう。このように、団対戦は対戦を見ただけで星が見えてしまうところが面白みに欠けるとあたしは思っている。ただ、計算どおりに行かないのも、また団体戦である。

 三回戦が開始した。あたしの右腕は、カルタを憎んだ母の思いが取りついたかのように重かった。
 開始早々、空札が五枚続いたが、音に反応していないことが自分自身感じられた。

 「…。逢ふことの絶えてしなくばなかなかに…」

 六枚目にやっと自陣にある札が出た。自陣には「オーエ」と「オーケ」と「オーコ」の三枚があった。「オー」決まりである。三枚を並べて置いておけば、「オー」で一振りの払いで済んでいたはずである。だが、あたしは、右下段と上段中央と左下段と三箇所にわけて置いていた。まず、上段の「オーケ」を突き、すぐに右下段の「オーエ」を反射的に払っていたが、あたしの響きは遅かった。耳には「オーコ」と聞こえているのに「オー」決まりの時にこう払おうと思っていた順にしか身体が動かない。その間に、決まり字を聞いてから出てきた相手の左手に、左下段の「オーコ」を払われていた。

 「どうせ送ればいいのだから、定位置は三枚固めておけばいいんだ。また、そのほうが、自陣の暗記や響きが強化される。」
 「やだ。どうせ送るんだから、バラバラに置いたっていいじゃない。三枚来ることなんて、そうあるわけじゃないし…。」

 定位置を決める時には、ほとんど父の言うことを聞いて決めていたのだが、この「オー」の三枚については、どうしても一緒にできなかった。「オーエ」の右下段は動かしがたかったが、他の二枚はどうしても右下段を定位置にしたくなかった。ならば、その残り二枚を並べて定位置にすればよさそうなものだが、この二枚も並べて置きたくはなかった。何故かわからないが、感覚的に受けつけなかったとしかいうことができない。それで三枚がバラバラの定位置に置かれることになったのだ。

 この時もどうせ敵陣を取ったら送ろうと安易に考えていたのだが、そうはいかなかった。

 「パパに言ってたとおりの定位置にしておけば取れてたのに…。」

 この一枚の差くらいいつでも取り戻せると考えていた。ちょっと、身体は重いが、相手は三将だ。一・二回戦の相手のことを考えれば、楽勝だとたかをくくっていたのだ。
 しかし、この一枚の差がなかなか縮まらなかったのだ。

 相手は、サウスポー。自陣の左の中・下段の守りが固かった。二回戦で思うような攻撃型のカルタが取れなかったあたしは、相手陣の左の中・下段を攻め取ることこそが最大の攻撃ポイントと考え、必死で攻めた。しかし、抜かしてもらえないのだ。
 三回戦の身体の重さと響きの悪さは、明らかに四年半ぶりという実戦不足が原因だった。練習していないので、スタミナが備わっていないのだ。また、響きの悪さと最初に思っていたのは、暗記の混乱からだった。久々だったので、一・ニ回戦の札の暗記が残ってしまっていたのだ。また、左利きとの対戦で、一・二回戦の札の並びとも傾向が異なり、攻めをはじめ取りの感覚の相違が練習不足の身にもろにはねかえってきたのだった。決して、母の恨みが取りついたわけではなかった。

 「サウスポーとの対戦は、あまり相手が左だということを意識しすぎないことだ。マイペースを心がけること。そうしないとフォームを崩したり、変な焦りが出てお手つきで自滅してしまうぞ。」

 父のサウスポー対策のアドバイスを思いだしたが、父がサウスポーを苦手にしていたことも思いだした。

 敵陣の左下段は、結局一枚も取れなかったが、相手は攻撃が甘く一〜三枚程度の差でずっとついていく展開となった。
 周りはというと、水木圧勝、南惨敗の形勢は明らかで、沢村と矢沢は押され気味に進行していた。「肝」の試合と読んでいた矢沢がまずそうなので、あたしにはチームの負けが見えてしまっていた。

 チームはともかく、こんな相手に負けたくないと思った。明らかに一・ニ回戦の相手よりも格下と言える相手に負けたのでは、先にあたしが勝った相手に顔向けができない。そして何よりも、あたしの気持ちが収まらない。

 水木と南はともに十八枚で勝負が決した。あたしはといえば、十枚対八枚と二枚のビハインド。左下段を無理に攻めてお手つきをしないように気をつけながら、自陣の札を取るという消極的な取り口で耐えていた。しばらくして、矢沢が十三枚で負けた。お手つきを連発して加速をつけてしまったようだ。この時点で、あたしは七枚・六枚。沢村がなんと五枚・八枚でリードしている。こちらは、相手のお手つきに救われているらしい。

 もしも、このまま沢村とあたしが接戦で最終盤に突入したら、団体戦特有の札合わせも考えなくてはならないだろう。あたしが、団体戦が嫌いな理由の一つにはこの札合わせがある。チームの勝利を考えるために、場合によっては自分の勝利を犠牲にする送りをしなければならないというのは、所詮カルタは個人対個人の戦いというあたしの考え方には馴染まないのだ。

 水木たちは、沢村の試合を応援していた。彼が一枚取るたびに「その調子。次も行くよ。」と掛け声をかけている。

 「ラッキー!」

 水木の甲高い声が響く。沢村の相手がお手つきしたらしい。外野に騒がれては迷惑な話しだとあたしは、内心同情した。

 「さっ、リーチだよ。」

 沢村は、あと一枚だ。あたしはというと、やっと追いついて三枚セームだ。

 相手は、右下段に置いていた一枚も左下段に移動させ、三枚を全部自陣の左下段に固めた。 あたしが、まったく敵の左下段を取っていないことを意識してのことだろう。あたしは、敵陣を抜きにいくつもりで、三枚を右下段、上段中央、左下段と二等辺三角形に散らして置いた。
 三枚対三枚から出たのは自陣の上段中央だった。敵陣を攻めつつ、守れた。この時、相手はこちらを攻めてこないと直感的に思った。

 隣では、沢村が敵陣を抜いて勝利をおさめた。予想外のことだが、あたしがチームの勝敗の「肝」になってしまった。

 「西向さん、がんばって!」

 南が遠慮がちに声援をしてくれた。だが、この声があたしの集中を削いでしまった。

 「悪いけど、静かにしていてくれる。」

 チームメイトのせっかくの声援に冷たい言葉で返してしまった。どうも、団体戦は苦手だ。あたしは、不器用なのだ。
 水木が慌てて、南に何かささやくのが目に入った。チームメイト四人の視線があたしに注がれる。これも少々重かったが仕方がない。

 あたしは攻めっ気満々だった。

 「…。大江山生野の道の遠ければ…。」

 一音めが詠まれるタイミングで音を聞かずに手を敵陣に伸ばした。そして「オ」の音を認識した瞬間自陣の右に手を戻していた。「オ」の一字に決まっていたので迷いはなかった。相手は、こちらの手の速さに感じを消されたようだった。

 「あと一枚。攻める!」

 自分自身に言い聞かせる。

 あたしは、左下段に残った一枚の札を右下段に移した。気持ちは、引き続き攻めていたが、敵陣に手を出すことなく音とともに自然に自陣を払っていた。三枚差で勝利を手にすることができた。

 「やった。決勝進出だ。」

 矢沢の声がした。水木に言ったらしいが、あたしは、キッと睨んでしまった。まだ、気がはっていたせいもあるだろう。矢沢の嬉し気な声のトーンが、あたしのカンに触ったのだ。

 以前ならば、勝利はいつも嬉しいものだった。勝利の報告は、父を喜ばせた。そして、あたしは父に誉められ、励まされ、活力を得た。 
 しかし、高校選手権で優勝した時、一番一緒に喜んでほしかった父は、家庭から離れていってしまっていた。競技カルタは母の仇になった。父とあたしが勝ち取った賞状やトロフィー、賞品はすべて母の手によって捨てられた。百人一首の本も札も、カルタを思い起こさせるものはすべて捨てられた。
 勝利を素直に喜べなかったのは、この時のトラウマなのかもしれない。

 その後、母は実家に帰ったものの父の裏切りと父と各地の大会へ出歩いていたあたしへ不信感とから心と身体の健康のバランスを崩していった。体調が悪いのはそのせいかと思っていたが、実は癌に冒されていた。発見が遅れてしまい、進行も早く、治療の甲斐なく一昨年に亡くなった。このことを思えば、カルタはあたしにとって母の仇なのである。だが、それと同時に父との大切な想い出のよすがでもあるのだ。

 「南君、さっきはごめん。あまり声をかけられるのに慣れていないんだ。」

 あたしは、勝利を本部に伝えたあとで、チームメイトに適当な理由をつけてあやまった。勝利をともに喜んでくれる仲間の存在を、あたし自身が拒否してはいけないと思った。

 水木が、あたしを「仲間」と呼んでくれなければ、あたしはここにいなかったのだ。そして、精神的な両親の束縛に立ち向かうことができなかったのだ。

 決勝戦の舞台が、あたしを待っていた。

……つづく………


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