短期集中連載「かるた小説」(4)

Hitoshi Takano Apr/2003

祝!"TOPIC"50回記念


 おかげさまをもちまして、1999年3月から毎月1本のペースで積み重ねてきた「TOPIC」という このコーナーも50回目となりました。
 ネタ探しに苦労することもあれば、書きたいことが湧き出ることもあるといった感じです。作品の出来・ 不出来が、ネタに困った時と比例するかとそうでもありません。読み返すと、なんでこんなこと書いたの かなと思うこともありますが、その時々を回顧するよすがにもなります。
 まだまだ、書き続けようと思います。1ヶ月1本がいつか崩れる時も来るかもしれませんが、努力したい と思いますので、読者のみなさんもおつきあいください。
 では、今月のTOPICをお楽しみください。
 短期集中連載の「かるた小説:左下段の陥穽」の最終回です。

 前回までのあらすじ

 西向ユキは、大学1年生。転校前の高校の先輩である水木花江と偶然、キャンパスで出会ったことから 高校1年の途中まで練習に励んでいた「競技カルタ」の団体戦の大会に出場することになった。
 四年半ぶりの試合となった第一試合に引き続き、第二試合に臨んだ。四年半前のようには取れはしな いものの、自分自身の原体験を思い起こしつつ辛うじて勝利をあげる。そして、第三試合は辛い過去と も戦いながら苦戦の末に勝利をあげ、チームも予選トップとなり、決勝戦に進出する。

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『左下段の陥穽』(4)

高野 仁

 
<第四試合>

 「みんな集まって!」 

 水木が、チーム全員を集めて丸く座らせた。あたしも、自然にその輪の中に加わっていた。

 「決勝の相手のチームは『中川家』よ。」

 水木のこの一言に笑いが起きた。

 「漫才チームですか?」
 南が、おどけて言う。

 「今回の登録チーム名が『中川家』なんだけど、中川さんのうちは、本当にメンバーが家族なのよ。おばあさんと両親、中学三年の娘と小六と小五の男の子が二人。」
 水木は、だてに長いこと競技カルタ界に身を置いてはいない。さすがに事情通だ。
 「へーっ、カルタ一家なんですね。」
 「中川一家とか中川組のほうが強そうな名前なんだけどなぁ…。」
 「チーム名で、油断を誘う作戦かな。」
 チームのメンバーは、勝手なことを言っている。

 中川さんちのおじさんとおばさんならば、あたしも良く知っている。あたしが、父に連れられてカルタの大会に行ったときに、ずいぶんと優しく声をかけてくれた人たちだ。お世辞だろうが、娘にあたしのような強い選手になってほしいのだと言って、父からどんな指導を受けているのかいろいろ聞いてきたものだった。名字が変わっていても、四年半ぶりだとは言っても、たぶんあたしに気づくだろう。いやなチームとあたったものだ。

 「中川家は、父親が現役バリバリのA級で断トツに強い。娘もA級。おばあさんは、孫娘と一緒に始めたのだけどC級。でも、上の級にあがれないのはトーナメントを何試合も勝ちあがるスタミナがないというだけの理由。一・ニ回戦でC級であたったら事故と思えと言われるほどの人よ。いわゆるC級の番人といわれている選手ね。」

 水木のチーム解説が続く。

 「あっ、そういえば、俺、前にやったことあるよ。二回戦だったけど、むちゃくちゃ強かった。敵陣取らせてもらえなかった。」

 春山が、以前の対戦を思いだしたようだ。

 「今日は、六人で交替で出ているから、決勝戦にスタミナが残っていると思ったほうがいいわね。それで、母親はおばあさんと同様の理由でB級の番人と言われているわ。小六の男の子はD級で取っているのを見たことがあるけど、小五の子は初めて見たわ。選手の登録票にも級が書いてないから、始めてまもないのかもしれない。」

 「じゃあ、小五の子を引けば楽勝ですね。」

 南が楽観的なことを言うので、あたしはカチンときた。

 「何言ってるのよ。あのカルタ一家の末っ子だったら、充分に練習を積んで出てきているのに決まってるわよ。舐めてかかると痛い目に合うわよ。」

 「……っ、、、」

 あたしの語気の強い一言に、場の雰囲気が冷えた。

 「そうね、ユキの言うとおりよ。気を引き締めてね。」

 水木が、場の雰囲気を整える。さすがにズブの素人集団をここまでまとめて面倒見てきただけのことはある。あたしの一言は、異分子の発言と引かれてしまうが、水木の発言に対しては、さしもの異色集団も聞く耳をきちんと持っているようだ。

 「たぶん、向こうは、男の子の一人を休ませてもう一人を真ん中において両親で両側から挟む配置でくると思う。サトシ、真ん中行って。父親・母親は南と沢村で担当。おばあさんと娘をユキと私で担当するという読みでいくわ。」

 「俺は、あたりが的中したら、絶対負けられないわけね。」

 矢沢が呟くように言う。

 「そういうことね。一番:ユキ、ニ番:沢村、三番:サトシ、四番:南、五番:私でいくから、みんなガンバロウね。優勝しようね。」

 「よしっ!」
 「オッケー!」
 「ホイ、きた!」

 皆、思い思いに気合を込める。あたしのみ、無言で席を立つ。
 そんなあたしの態度を気にしたのか水木はあたしにだけ声をかけた。

 「ユキ、……」

 名前のあとは、「がんばってね」と言おうとしたのか「頼りにしてるよ」と言おうとしたのかわからなかったが、彼女の眼差しが彼女の気持ちを伝えていた。試合の配置を見てもわかる。南をあたしの隣に置くのを避けたのは、彼女の気遣いに違いないのだ。

 会場では、決勝戦・順位決定戦の準備が着々と進んでいた。

 「ニ、ニシ、西向さん…。」

 準備が終わるのを待っていると、背後から、つっかかりながら名前を呼ばれた。
 振りかえると、中川のおばさんがいた。

 「おばさま。……。ごぶさたしています。」

 「そうよね。どう見ても、ユキちゃんよね。いえ、ユキさんて呼ばないと失礼ね。名字が違っていたから、ちょっとね…。声もかけづらくって…。」

 「母の姓なんです。」

 あまり、多くを語りたくはなかったが、中学時代に世話になった人を無下に扱うわけにもいかない。

 「あの、遅ればせながら、お父様のことは、ご愁傷様でした。お悔やみ申し上げます。」

 「えっ、あの、いいえ、ご丁寧にすみません。」

 突然の挨拶にこちらも驚いた。

 「お父さま、お亡くなりになって一年ちょっとになるのよね〜。でも、こうして、ユキさんが、カルタに戻ってきてくれて良かったわ。さぞ、お父さまも天国で喜ばれていることでしょうね。」

 この話しを試合の前にされるのは、あたしのほうで困る。相手があたしの動揺をさそうために言っているのではなく、心から言っているのだとわかるだけにやっかいだった。

 「おばさま、ごめんなさい。お気持ちはうれしいんですけど、試合前にはちょっと…。」

 「あら、ごめんなさいね。気づかないで…。じゃぁ、また、のちほど…」

 すんなり離れていってはくれたが、あたしの心は思い出したくないことを思い出させられて乱れていた。

 「試合前は無駄話をせず、次の試合に向けての精神的・肉体的準備をするために時間を使うんだ。リラクゼーションとコンセントレーションだ。」

 これも父の教えだった。そんな父も母のあとを追うように飛行機の事故で亡くなっていた。今、あたしが世話になっている母方の祖父母にとってもカルタは母の仇敵であったはずなのだ。しかし、父が亡くなっていたせいなのだろうか、今回の試合に出るという話には、反対はしなかった。世話になっている祖父母に嘘をついてまで出場しようとは思っていなかった。反対されれば、水木には断るつもりでいたのだ。祖父母は、両親を亡くして家族に飢えているあたしに対して、競技カルタという父との絆を思い出させる機会を認めてくれたのかもしれなかった。

 「選手は、集まって下さい。」

 大会の進行係の声で、物思いは中断され、あたしは決勝の畳の上に赴いた。あたしたちの前にいたのは、チームというよりは家族であった。少なくとも、あたしの目には、そう映った。祖母がいて父母がいて、子供たちがいる。その醸し出す雰囲気は、家族としてのほのぼの感であり、決勝戦を控えての殺伐感のようなものはかけらも感じられなかった。

 「一番、西向さんと中川さん。……。いえ、康ニさん。二番は、沢村さんと友則さん。三番目は、矢沢さん、和泉さん。四番、南さん、二三子さん。五番、水木さんと健一さん。以上です。着席してください。」

 水木の予想は、完全に外れた。小学生の男の子をふたりとも使ってきた。しかも、両端に。そのせいで、おばあさんは抜け番になった。戦力的にはダウンではないのか。しかし、こちらの上位ふたりが相手の下位ふたりとあたり、こちらの下位三人が相手の上位三人にあたったということは、チームとしては、最悪の組み合わせである。あたしは、何故か腹立たしかった。結果が見えてしまったせいだろうか。

 ふと、相手の小五の子を見ると手元に、定位置表を置いているではないか。あたしの驚いた顔に、中川父が気づいたのだろう。声をかけてきた。

 「ユキちゃん、康二は今回が初めての大会で、まだ、自分の定位置も覚えていないんだ。」

 中川父にとっては、きっと、いつまでも「高橋さんところのユキちゃん」なのだろう。あたしを見る優しい目は、以前と変わらない。

 「康二。相手のお姉さんは、A級で、とても強い人だ。なかなか札を取らせてもらえないだろうが、今まで教わってきたことを精一杯やればいいからな。相手の強さを体感するというのも、将来につながる経験だから。」

 康二は、何も言わずにうなずいた。
 あたしにも、こういう時があった。あたしのデビュー戦の時も、父が優しい目で見てくれていた。
 向こうの端では、中川母が水木に何か話しかけていた。そのあとで、隣の息子を励ましている。
 この様子を見ていてあたしは理解した。このチームの出場の目的は、男の子ふたりを選手として育てるためなのだろう。そのための大会として、家族でチームを組めるこの団体戦を選んだのだ。

 「並べ始めてください。」

 あたしの前では、相手が手元の定位置表を見ながら、札を並べている。いくら定位置表を見ながら並べている大会初出場者だとしても、中川家ブランドの選手である。舐めてかかるわけにはいかない。並のD級選手よりは強いのではないだろうか。家では、A級の父親や姉の強さを感じながら練習していることだろう。しかし、家族との練習というのも実はよしあしである。競技に対して、入りやすい環境であることは確かだが、厳しさという点で家族ゆえの甘えも出てしまう。父に手ほどきを受けたあたしがそうだった。

 あれは、あたしがどうにか試合形式で取れるようになって、父に一般会の練習に連れていってもらった帰りのことだった。

 「パパ。」
 「なんだい。」
 「今日は、パパが、ユキ以外の人とカルタするの初めて見た。」
 「どうだった。カッコ良かったか?」
 「うん。……。…って言うより…、いつもと全然違う。」
 「何が?」
 「怖かった。」
 「怖い?」
 「ユキとカルタする時は、笑顔で優しいのに…」
 「そりゃ、相手がユキだから…。」
 「それに、すごく早かったし、畳叩くのもすごかったし…。」
 「怖い顔っていうかなー。あのなぁ〜、試合に集中しているし、勝とうと思って真剣に取っているから、少しでも早く取ろうして、力もこもってくるからさ。うちではそんなに畳叩けないだろう。ママに怒られちゃう。」
 「パパ、ユキとカルタする時は、真剣じゃないの。力がこもらないの?」
 「パパはな、ユキとの時は、真剣に一生懸命教えているんだ。だから、ユキがカルタの楽しさを理解するように、楽しく笑顔で、力は入っていても表にださないようにやってるんだ。わかるよな。」
 「ユキにも、今日のパパのようにカルタしてほしい。」
 「そりゃ、無理だ。ユキがもっと上手になってからならいいけど…。」
 「やだ。」
 「あのなぁ、ユキ。ユキが三歳の子と鬼ごっこするときに本気を出すか。相手に合わせて遊んでやるだろ。それと一緒で、ユキのカルタはまだ三歳の子と同じくらいなんだ。ユキが強くなったら、ちゃんとするから…。」
 「…、…っ、…っ、……」
 「ユキ、泣くなよ。」
 「だって、ユキが三歳って…。パパはユキとカルタするのつまんないんだ。」
 「そうじゃないって、ユキとカルタするのは楽しいさ。泣くなっ。」
 「………、XXっ、XXっ、…」
 「わかった、来週、今日と同じところに練習に行った時に、試合形式でパパの最高の力で取ってやるから…。そのかわり、一週間、払いの素振りをもっと身を入れてやるんだぞ。」
 「…。わかった。がんばる。…」

 あの時のあたしの気持ちは一体なんだったんだろう。きっと、父に目一杯振り向いてもらいたかったのだろう。そのために、あたしは精一杯背伸びしたのだろう。そして、あたしは父の競技カルタの実力を身体で知った。取った札は、たったの一枚。お手つきさえもできなっかったというのが正直な感想だった。しかし、父との真剣勝負で、たとえ一枚でも札を取ったことは自信になった。父から指導を受けて、「今の取りはいい取りだ」と誉められるより、自分で狙いを定め、不格好ながらも死にもの狂いで敵陣で取った喜びは遥かにまさるものだった。ひょっとすると、この時こそが、あたしの中での本当の意味での競技カルタとの出会いだったのかもしれない。  

 この時の父の厳しさは忘れない。

 「ユキ、パパをパパと思うな。ユキの知らない一人の選手だと思え。競技カルタの厳しさを叩きこんでやる。」

 実際、あたしは試合中、「パパ」と呼ぶことができなかった。今、目の前の対戦相手は、あの時のあたしよりももっと強いかもしれないが、おそらくあたしとの実力差は大きなものだろう。他の試合の様子を確認しながら、余裕をもって取ることも可能に違いない。しかし、あたしは決心した。あの時の父と同じように全力で、最高速度の取りと最大枚数差を狙う試合運びでいこうと。それが、この大会に出て決勝でこの相手と対戦するあたしに、父が課した課題のように感じたからだ。

 十五分の暗記時間が終わり、詠手の声とともに試合が始まった。最初の何枚かで、相手の実力は把握できた。あたしが完全に早く払ったとしても、あきらめて手を出さないということはなく、出札がなくなっていても、自分の感じとスピードで必ず払ってくる。きっと、相手が先に払ったと思っても、必ず自分が札に感じたところから、自分の持つ最大のスピードで払いにいくようにしつけられているのだろう。こういうタイプだと、もしもあたしが払い残しなどしようものなら、確実に拾われてしまうことだろう。しかし、逆に遅いお手つきをする可能性も持っているわけだ。強い相手と対戦すると、手も足も出ずにほとんど見ているだけの状態で敗れさるケースもあるが、それよりは自分の身につくものが多いかもしれない。あたしも初心者の頃は、父から「相手が払ったことがわかっても、自分の感じで札を払え。」とよく注意されたものだ。ただ、上手としては、せっかく出札だけをきれいに一枚跳ね飛ばしたにもかかわらず、あとから来た手に残った札を三段払いされたりするといささか気分は悪いのだが…。

 さて、三十枚ほどが詠まれた時点では、まだ、相手に一枚も取らせていなかった。上級者相手であれば、この札は相手に取られても仕方がないという札があったり、とも札で自陣・敵陣とわかれていれば、自陣が出たら相手が取るだろうと敵陣の攻めに集中することもできるので、すべての札を取ろうなどと考えずに意識の重点化がはかれるものだ。だが、初心者・初級者相手では、どう出てくるかわからないし、札の抜けもあるので、すべての札に対して満遍なく注意を払わねばならない。特に最大差で勝とうと思ったら、最初からすべての札を取るつもりでいる必要がある。この集中力を維持するのは実に大変なことである。しかしながら、大変だからこそ意義があるという部分もあることは確かである。相手に一枚も取らせないというのは、なかなかに難しい。初心者といえども、狙いをしぼったの札が出れば早いし、お手つきの危険性を覚悟して決まり字前に払われれば、上級者といえども手も足も出ない。このような環境の中で、詠まれた札が自陣左下段の「ゆら」だった。敵陣に「ゆう」の札があったので一音めで攻めに出たが、どちらが出ても取るつもりだったので、深い攻めではなく二音めを聞いて戻れる程度の手の出し方だった。二音めからは、多少遅れはしたが、自陣の左下段の内側の出札を払わずに押さえることができた。と、その時、遅れてきた相手の手があたしが札を押さえている手の上に乗っかった。

 「柔らかい。」「あったかい。」「気持ちいい。」手の甲が掌を感じて浮かんだイメージである。二人の間で、しばし、時間は止まった。 

 「ごめんなさい。」

 手を乗せていた相手が、我にかえって声を発した。手はスーッとのけられていったが、新鮮な感覚だった。金色夜叉ではないが、この感覚が男女を引きつけ合うのだろう。そういえば、父と件の彼女の対戦で同じような光景があったという記憶も蘇った。しかし、今までも手が重なる経験などは、何度もしているはずなのに今回に限ってこのように感じたのだろうか。試合に集中しているあまりの幻覚だったのだろうか。
 父のその対戦を目撃した夜に、父が発した言葉が頭の中でリフレインする。

 「左下段には、深い落とし穴があるよな。」

 その時は、左下段の取りは難しいという意味くらいにしか理解できなかったが、今なら、その真意がわかる気がする。

 試合はさらに進んだ。あたしの持ち札は残り三枚。相手は二十七枚。相手のお手つきもあり、パーフェクトは続いていた。相手との力の差はあるもののそれ以上に我ながら絶好調だった。

 「……ぬれつつ…」

 下の句が詠まれ、次の音を待つ。

 「…な…」

 「な」で始まる札は敵陣に三枚、「ながか」「なつ」「なにわえ」、自陣に一枚「なにし」があった。あたしは敵陣の左下段にある「なつ」「なにわえ」を攻めに出た。しかし、その攻めよりも速く、相手の手があたしの自陣左下段に一枚ポツンと置いてある「なにし」方向にアタックをかけてきた。
 あたしはパーフェクトを狙っていた。そのためには、「なにし」が出たとしても、キープしなければならない。相手がこれだけ速く攻めてきているということは、自陣へのもどりは遅いはずだ。

 「(な)に…」

 二音めは、「に」である。こちらの持ち札が三字決まりで、敵陣が四字である。守ってからでも、逆対角線、通称クロスファイアーで敵陣を攻撃できる。
 しかし、相手のスピードに負けまいと攻めかけて戻ったために勢いがセーブできなかった。

 「しまった。札に触れたか。」

 あたしの指先が札をかすってしまったようだ。お手つきをしてしまったという焦りが生じた。パーフェクトが崩れた。

 「(なに)わ…」

 自陣の左下段に戻ったところから、敵陣の左下段へ、対角線を払いに行かなければならない。相手の戻るスピードを考えれば焦る必要はなかったはずだ。しかしながら、あたしは敵陣の「なにわえ」を取らなければならないと思いにとらわれていた。あたしは、最大のスピードで敵左下段を払いにいった。

 「(なにわ)がた…」

 四音目は「が」。カラ札である。

 「違う。逃げなければ…。」

 思いとは裏腹に、スピードの乗ったあたしの手は「なにわえ」の札を払っていた。カラダブである。三枚対二十七枚が五枚対二十五枚となった。相手のお手つき分の差が一気に縮まってしまった。

 「大丈夫。勝利はゆるぎない。まだ、一枚も取らせていない。パーフェクトは崩れても、ノーヒットノーランがある。」

 気持ちを落ち着かせるように自分自身を言い聞かせる。こういうお手つきをした時には、カラ札が出てくれると気持ちが落ち着いていくものだが、すかさずに札が詠まれてしまった。

 「あはでこのよをすぐしてよとや…、なにわえの…」

 お手つきした札のトモ札が出た。相手は、再びこちらの「なにし」を攻めに来た。あたしは、まだ動揺していたのか敵陣にも自陣にも手がでなかったが、相手が自陣に戻りかけたところで、我にかえったように敵陣に手を出した。間に合わないかもしれない。
 相手の手の戻りは出札から遠かった。自陣の上段から引きずるように払う。左下段の出札には届かない。相手が札押しならば、札が競技線を出る前に出札に先に触ればあたしの取りだ。必死に手を伸ばし敵左下段の札を押さえた。

 「間に合った。」

 札押しで札が出る前に「なにわえ」の出札を押さえることができた。遅い取りだが「取りは取り」である。ツキも味方している。その後も、あたしが二枚連取。あと二枚だ。

 だが、ツキもここまでだった。あと二枚でノーヒットノーラン達成のところで、あたしの左下段の「なにし」が出た。相手が、何度も素早く手を出していたこの札をあたしは守ることができなかった。

 結局、その後残り二枚をあたしは連取したが、二十五枚の完封勝ちも逃し、二十四枚差の少しほろ苦い勝利だった。残念さは感じたが、不思議と悔しさはなかった。

 自分の勝利が確定し、他の試合の様子に目を向けた。水木は残り四枚。逆に沢村と矢沢は相手が残り三枚だった。二勝二敗は明白だ。南と中川母が肝になっているが、これも南の劣勢である。十六枚対八枚のダブルスコアである。実力差を考えると逆転は難しそうだ。

 十枚詠まれないうちに三試合の決着がついた。沢村は二十一枚、矢沢は十九枚で相手の軍門に下った。そして、我が方の水木は十八枚で勝った。南は、十四枚対四枚とますます苦しくなっていた。

 「南、ガンバレ。絶対にあきらめちゃだめよ。」

 水木の応援に、力が入る。

 「南、ファイト。優勝しようぜ。」
 「南、ねばれよ。」

 矢沢や沢村も応援する。あたしは、少し引き気味で応援の声をかけることもなく試合の流れを見ていた。

 南は、自陣を必死で守る。左下段、左中断、左中段と三枚連続で守りぬく。中川母も、目一杯敵陣を攻めに出ているのがわかる。中川家の子供達も一生懸命母親を応援している。

 「ママ、がんばって。」
 「さっ、次の一枚しっかり。」

 笑顔で応える中川母。余裕すら感じる。南は、自陣の左に大部分の札を固めて自陣の暗記を繰り返す。その姿を見て、思わずあたしも声を出してしまった。

 「南君、集中して。迷っちゃだめよ。」

 そして、運命の一枚が出た。

 「…秋の夕暮れ…。はなさそふ…。」

 三字決まりの「はなさ」は、南の左下段の一番外側にあった。南は内側からの札押し。そこに決意の攻めの中川母の払いが出札にまっすぐに向かう。身体ごと体重の乗った勢いを止めることのできないような迫力ある払いだった。

 「はいった!」

 中川母の掛け声が響く。そこに我々応援団が見たものは、札を取られて肩を落とす南ではなかった。札を取ったまま、横たわりうめいている中川母の姿だった。

 「腰が…。腰がいたい。」
 「ママ、どうしたの。」
 「腰をひねったのか。立てないのか。」
 「だめだわ。痛い。」

 動こうとすると痛みが走るようだった。試合は一時中断した。中川母は棄権し、担架に乗せられて武道館の救護室に運ばれた。

 思いもよらぬ南の勝利だった。そして、チームの優勝。信じられなかった。チームの仲間も勝ち方が勝ち方だっただけに素直に喜べないようだった。

 表彰式には、中川家チームは一人も残っていなかった。中川母は、そのまま救急車で病院に行き、家族は皆付き添っていったそうだ。あの母親を心配する家族の顔をあたしは忘れられなかった。

 「ユキ。ありがとう。今日の優勝はあなたのおかげよ。新学期からも、うちの練習に来て、こいつら鍛えてやってよ。」
 「えっ?」

 水木の一言に何と答えていいのか、あたしには言葉がなかった。

 「西向さんと一緒のチームで取っているだけで、何か強くなった気がしました。また、一緒に取ってください。」

 矢沢が続ける。

 「西向、今度は俺と取ってくれよ。」

 沢村の一言。

 「西向の四試合目を見ていたけどすごかったよな。ほとんどパーフェクト。あの迫力にしびれたぜ。俺が出ていたんじゃ、絶対優勝なんて無理だもんな。」

 ちょっと親しげな口調の春山。

 「西向さんの応援の一言は、絶対忘れない。あの一言で、力が湧いたし、相手のぎっくり腰を呼んだような気がするんだ。」

 南の真剣な言葉に、思わず笑ってしまった。

 「あたしの応援で、相手が倒れるわけないでしょ。呪術師じゃないんだから。」

 「ねっ。一緒にカルタ続けようよ。」
 「そうしようよ。」
 「教えてくれよ。」
 「水木の指導だけだと飽きちゃうし…」
 「春山っ!」

 笑いの輪ができる。

 「じゃあ、こんなあたしだけど仲間に入れてください。でも、カルタには厳しいですから…。今日もみんなの試合を見たけど、なおすとこだらけ。水木先輩と一緒にビシビシいきますので、覚悟してくださいね。」

 みんなから、笑いと拍手がおこる。

 家庭のトラブルがあって以来、どこか心に寂しさがあったが、カルタの仲間の存在が心に暖かさを運んでくれたようだ。そして、最終試合、あたしが失っていた家族の暖かさをカルタを通じて感じることができた。

 「四年半ぶりのカルタが、春を運んできてくれたんだ。カルタを取ることが、家族の絆を思い出させてくれる。きっと…。」

 漠然とした期待感が、あたしを包んでいた。

‐‐‐完‐‐‐

 この小説は、フィクションであり、実在の団体や人物とは関係がありません。また、競技カルタに関する用語の表記方法は、(社)全日本かるた協会で使用する表記方法と若干違う点がありますが、ご了承ください。

(C)2003.4 Hitoshi Takano


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