五月病
Hitoshi Takano MAY/2004
「五月病」。以前はよく聞かれた言葉だが、最近は、あまり聞かなくなった気がする。
何故だろうか?
おそらく、最近では、五月に限らず、一年間を通して、「五月病」と同様ないしは類似の傾向というか症状が出ているせいかもしれない。
そもそも「五月病」というと、大学に合格すべく受験勉強に邁進してきた新入生が、大学入学という目的をはたし、ある種の燃えつき症候群ともいうべき、目的を見失ったような状況に陥ることといったらよいだろう。
大学合格を目指し、頑張ってきた。そこには大学に行って何かを学びたいという目的があったはずなのだが、何かを学ぶために大学に行くという目的が、単に大学に入るという目的にするかわり、目的喪失感にさいなまれるというわけだ。4月は入学ということで、まだ、大学に入ったという気分の高揚で、それを感じないが、5月にもなると、そうした気分の高揚も冷め、大学の講義にも面白さを感じられず、次第に大学から足が遠のいてしまうということである。
大学は高校とは違い、大学生を相当に大人として取り扱うし、出席をとる授業も数えるほどしかない。出席しない場合も、その年のその科目の履修を本人があきらめただけかもしれないので、TOTALな長期欠席状況を把握するシステム自体がなく、ずーっと休んでいてどうしたのかと個々の学生に声をかけるということができない。
このように休んだままで前期試験期間になって、試験を受けなかったり、受けてもできなかったりして夏休みに突入してしまったりするわけである。
かように「五月病」は、留年や成績不良のきっかけとなり、さらに重篤な場合には、退学や自殺への黄信号や赤信号なのである。
なぜ、今回「五月病」などと書き始めたかというと今月が「5月」であることもそうであるが、先月「祝入学」などと入学絡みの話しを書いたので、その続きということで話題が浮かんだことによる。
では、大学のかるた会における「五月病」はどういうことなのだろうか?
これは、大学から競技かるたを始めたまったくの初心者には関係がない。高校時代に頑張って、ある程度の実績を残して、大学でも「かるた会」に名を連ねた選手におこりやすい。
高校時代に結構努力して、ある程度の実績を残した。他にもやりたいことはあるが、一応、高校時代からの流れで、大学でも「かるた会」に所属した。しかし、入ってみると先輩たちの実力もそう大したことはないと感じてしまう。同期の仲間は、みな初心者。こういう環境では、「上の級にあがるんだ。」・「もっと強くなるんだ。」とか「大学の団体戦で1位を取るんだ。」という強い動機付けがないと練習に顔を出さなくなるという意味での「五月病」になる。だいたいの先輩たちとは4月に対戦が済み、実力も知れてくるので、5月頃から練習に足が遠のくのである。
一度、このようなパターンで足が遠のくと、練習しないわけなので本人の力も落ちていき、間遠になった練習にたまに来た時に、弱いと思っていた先輩に負けたり、同期の初心者あがりに苦戦したりして、ますます、来なくなってしまうのだ。
このような選手を受け入れた「大学かるた会」は、「五月病」にならぬよう、練習にコンスタントに来れるような仕掛けを考えておかなければならないだろう。
それは、かるた以外の楽しさを会の活動の中で感じてもらうことだろうし、仲間としての輪(和)を形成することだろう。練習につながっていれば、本来の競技かるたの面白さを再度味わう日が、必ず来るだろう。
Good Bye "Go-gatsu Byo"!
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