慶早戦

Hitoshi Takano JUN/2004

 「入学」「五月病」と続いたので、大学の六月ネタはないかと考えてみた。
 今年の東京六大学野球における慶早戦は、五月の最終の土・日で日程が組まれた。
 これも大学にとっては大きなイベントで、新入生はサークル単位で神宮球場で応援の輪に加わり、興奮のるつぼの中に投げ入れられるのである。新入生は、このイベントへの参加により、少なからず大学への帰属意識が芽生えるのではないだろうか。
 この文章をお読みの方は、「慶早戦」ってなんだ?「早慶戦」ではないのか?と疑問を持たれることだろう。世間一般では、「早慶戦」という言い方のほうがメジャーであり、新聞のスポーツ面にもこう書かれるが、慶應関係者は、多少のこだわりをもって「慶早戦」というのである。

 また、慶早戦は、何も野球だけではない。4月には、「慶早レガッタ」が行われる。この時には、応援歌「若き血」も、通常の「陸の王者 慶應」という歌詞を「水の王者 慶應」と変えて歌う。それ以外にも、体育会の各部が、早稲田と試合をすれば、「慶早戦」なのである。リーグ戦などの競技の連盟などの主催試合の中で組まれる場合もあるし、定期に両校だけの対抗試合として組まれている場合もある。実に様々な競技で「慶早戦」が行われているのである。

 もちろん「慶早戦」は何もスポーツに限ったものではない。文化的な種目にもある。もちろん、我が「競技かるた」にもある。

 この項を六月に持ってきたのも、以前は六月に競技かるたの「慶早戦」が行われていた時期があったからである。

 私が、学生のころは、定期的に年2回行われていたが、ある時期に慶應の部員減により、単なる練習会になってしまったり、開催できなくなってしまったこともあった。まあ、相手がいなければ対抗戦はできないというきわめてあたりまえの事実を実証したにすぎないのだが…。
 実は、最近の実態を把握していないので、以前の話ということになる。

 慶應、早稲田ともに人数が充実していたころは、A級とB級の2クラスで、各級5人の団体戦を行っていた。勝点2を先取したほうが勝ちなので、最大三回戦まであるという本格的なものだった。特に、六月のB級は4月に入会した新人5人でチームを組んで団体対抗戦を行っていた。職域・学生大会は5人1チームだから新入会員だけで1チーム組める人材が加入するということは、会にとっては将来が期待できるということなのである。

 この「慶早戦」での新人同志のチームの対決は勝敗はどうあれ、これからの4年間にわたるライバル関係において、ライバル心を芽生えさせる貴重な体験なのであった。

 通常の対抗戦としての「慶早戦」だけでなく、夢は職域・学生大会のA級決勝という晴れ舞台での「慶早戦」であるが、慶應のAチームがC級に低迷している現在では、望むべくもない。

 「切磋琢磨」ということばがあるが、「慶早戦」はこれを実践するよい場所である。
 しかし、実力が拮抗していなければ、磨きもきかないであろう。
 ぜひとも、慶應には復活を遂げてほしい。そして、以前のような5人2チームの3回戦制の「慶早戦」を開催してほしい。さらに許されるならば、それにあわせて、卒業生によるシニア級も開催してほしい。また、昔日のあの緊張感を味わってみたいものだ。


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