試験

Hitoshi Takano JUL/2004

初めての前期末試験

 7月は、前期末試験の季節である。

 4月に入学した1年生にとっては、大学に入って初めての定期試験である。
 小テストなどを授業の中でやってきたかもしれないが、成績の評価に大きな比重を占める試験なので、 未知なるものへの対応ということで不安がある。

 そんな不安を感じている1年生の気持ちを知ってか知らずか、先輩たちは言う。
 「大学の試験なんて楽勝だよ。大丈夫。なかなか単位を落とせるものじゃないから…」

 そして、次の一言が…。
 「せっかく、この3ヶ月練習を続けてきたんだ。練習の間をあけると伸びてきた力が足踏みする だけでなく、落ちてしまうぞ。」

 競技カルタのおもしろさを感じ始めた1年生は、この言葉で別の不安を感じてしまう。

 「カルタの練習をしたからといって、試験をクリアできないなんて、それは真の学力じゃないだろう。」

 こんなことを言われても、全然違う次元の話をしているのに、なんとなくそういうものかと思って しまう1年生もいるのだ。

試験期間中の練習

 実際、試験期間中も練習予定は組まれている。本人が練習しようとさえ思えばできるのだ。
 練習が終わると、試験の科目数があまりない先輩たちから声をかけられる。
 「ちょっと飯を食って帰ろうか?」
 なんのことはない、「飲みに行こうぜ。」と誘われているのだ。
 場合によっては、「一人たりないんだけど、どうだ?」と指で何かをつまむ仕草で聞かれることも ある。
 「雀荘に行こうぜ。」と誘われているのだ。

 「明日、試験があるので帰ります。」ときっぱり言って帰れるならいいが、1年生としては先輩から 誘われると帰りづらい。また、自分自身「飲み」や「麻雀」が好きだと、ついつい「大学の試験なんて 楽勝」という先輩の言葉を信じてしまう。

 試験期間に練習するのは、別に問題はないし、より強くなりたいと考える競技者としては、よいこと だと思うが、練習後まで試験勉強の時間を削ってしまうことは、リスクを背負うことになる。

 試験勉強をきちんとやりたいと思っているならば、練習後の誘いを断る自信がないならば、試験がある ことを理由に最初から練習を休んだ方がましである。単位を落として、あとで苦労するのは自分なのだか ら…。

実体験の重要性

 「大学の試験は楽勝」というのは、その発言をする先輩の実体験から出た言葉である。

 その言葉が、自分自身に当てはまるとは限らないことを考えるべきだ。
 留年してから、先輩の言葉を信じてしまったと思っても遅いのだ。先輩の言葉を信じたのは自分の責任 だから悔いはないと言い切れるならば、それは本人の選択だから、周囲からとやかく言う必要はないだ ろう。
 しかし、往々にして後悔するようでもある。ならば、1年生の年は、精一杯自分が納得するように 試験勉強してみるべきである。その結果は、成績表でみることができる。そうすると本当に「楽勝」 なのか、これだけ努力した上での「及第」なのか、自分自身で試験期間をどうすればどういう結果が でるのかを実体験できるのである。まずは、自分自身悔いのないようにすべきである。

 「楽勝」という先輩は、実はあまり試験勉強しなくてもできる優秀な先輩で、それを信じる後輩の 立場の自分は、試験勉強しないとできない人間なのかもしれないのだ。

 競技カルタでも、はやく強くなる人もいればゆっくり強くなる人もいる。最初から、音のひびきの 鋭い人もいれば、永年競技を続けていてもあまり音のひびきがよくないままの人もいる。
 自然にそれができてしまう人は、それができない人の苦労をわからないことがあるものだ。まず、 自分自身を知ることが大事である。それは競技カルタであっても大学の試験であっても同じこと だろう。

 はじめての試験に臨む1年生は、まず、周囲に流されることなく自分自身の考えで納得のいくまで 試験の準備を行ってほしい。おそらく、それが今後、大学生活とカルタを両立させて行く上での よい体験になると思うのである。

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