新春
Hitoshi Takano JAN/2005
「新春」。一月である。正月である。
世間では、カルタは正月の伝統的遊戯だと認識されている。
そうだ。「シーズン到来!」なのである。
大学のカルタ会に入会して9ヶ月を経過した一年生にとっては、年中、練習にはげみ、大会も年間を通じて開催されていることを知っているので、シーズン到来と言われても実感はないかもしれないが、それでも、世の中が正月である期間に、「新春」などと銘打たれた大会に参加すると、それなりにシーズンなのだと感じる。
また、真夏にカルタなどやっていると世間から奇矯の人を見る目で見られることもあろうが、このシーズンばかりは、堂々と胸をはって、競技者であることをアピールできる。
今月は、ほぼ毎週、どこかで大会が開かれている。大会で上の級を目指そうとか、何らかの結果を出そうと目標を持つ選手にとっては、この機会を逃す手はない。今週、早々に負けてしまっても、翌週があるのだ。惜しくも入賞の一歩手前で負けても、捲土重来のチャンスは、すぐにくるのである。
さらにこのシーズンは名人戦やクイーン戦もあり、名人・クイーンをはじめ一流選手の試合振りを生で見る機会も多いのである。
上を目指す選手にとっては、よき勉強の機会でもあるのだ。
「勉強」というキイワードが出てしまった。大学生諸君は、このカルタ会員にとって絶好の実力アップのLシーズンに、学年末試験というハードルにも同時にチャレンジしなければならないのである。
単位を落としてしまうと留年してしまう科目などの試験が翌日にせまっているときなど、大会への出場をするかどうかは大きな決断なのである。
試験勉強の道具を持って、大会会場に乗りこむものがいる。また、それを持ってくることは、早く負けた時のことを前提にしているので、ゲンが悪いといって、何も持ちこまないものがいる。勉強のため試合に来ないものがいる。
「決断」は、あくまで個人のものである。
自分が出なかった試合でライバルが優勝した。いつもは自分が勝っている選手が入賞した。こんな情報がはいると、試合に出ていたら優勝できたかもしれないと心が騒ぐこともある。しかし、自分の決断で出なかったのだからいたしかたない。往々にして、その翌週に出ても結果を出せなかったりするものである。
こんなとき、試合の翌日にあった試験のせいにしたくなるものだ。
しかしながら試験のせいではないのだ。自分の出ないという決断がすべてだったのだ。
この時期、学生のカルタ選手は、学業とカルタの両立を目指し、カルタの試合だけではなく、学生の本分である学業とも戦わなければならないのだ。
学生諸君の健闘を祈る。
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