初心
Hitoshi Takano MAY/2005
新入生が、入部して1ヶ月が立った。
大学から、競技かるたを始めた新入生は、札を百枚覚え、定位置を一応決め、払いの練習をおこなって、やっと試合形式の練習に移る時期である。
私のように卒業して20数年もたつOBが、この時期に練習に顔を出すと、現役も気をつかってくれる。たまにしか練習に来れないのだからと、競技かるたを始めたての新入生と対戦を組むことはせず、2年生以上との対戦を組んでくれることが多い。
しかし、今年は違った。新入生歓迎コンパの日の練習に顔を出したところ、新入生の数も多く、なかば指導をしつつということで、対戦が組まれた。
私自身も、久々に自分自身の定位置表を見ながら、札を並べる新入生との指導対戦をおこなった。
新入生にとって、練習になるように取るというのもなかなか工夫がいるものである。下手をすると新入生にとって練習にならないばかりか、自分自身の調子を崩してしまうこともあるからだ。
当然パーフェクトを目指すという取り方もある。これはこれで自分自身の練習にはなるのだが、相手の新入生にとって練習になるかというと決してそうではない。競技かるたは、自分がいて相手があるものである。札を取って取られて、札を送って送られて、相対的に相手より早く札を取り、相手より早く持ち札をゼロにするものである。パーフェクトで押さえこまれた立場になれば、この相手との相対的感覚を学べたかというと、その機会をせばめられてしまっているということになる。
この時期の初心者新入生との練習は、そういうわけで上手側の工夫が大切なのである。
ハンデキャップ戦も、これに対するひとつの回答である。
しかし、今回は、通常の試合形式で取ることになった。
実は、今回、札の詠み始めまで、相手が左利きという事実に気づかなかった。2分前になっても、素振りすらしてくれなかったということもあるし、左利きによくみられる定位置の特徴も見られなかったからである。
さらに、両膝の位置が札に対して平行にあったことも原因であろう。
「左利きなのだから、左膝を後ろに引いた構えのほうが取りやすくないか」と聞いたところ、平行のほうが取りやすいという答えであった。
それ以外にも、「利き手でない右手のつく位置が内側すぎないか」とか、「左手の指が構えている時に広がっているのは突き指の原因になるぞ」とか、様々に気づくことを注意してみた。しかし、「この位置がよい」とか、言われた直後は直るが、すぐ元通りになってしまうとかで、なかなかに苦労するものであった。
そう思って、ふと、自分の27年前はどうだったのかと思った。目の前の新入生と同じようなことを先輩の指導に対して行なっていたのではないだろうか。
自分自身、今の定位置、構え、払いなどは、当時と随分と変わってしまっている。変わってしまって当然なのだ。自分で、この構えだと払いにくいとか、いろいろと自分なりに気づいて、工夫して、つくっていくものなのだ。突き指をしてみて、はじめて指を広げずに構えて取ることの大切さにきづくのだ。自分で気づかなければ、先輩に言われたことをそのとおりにやってみても、競技者としての血肉にはならないものなのだ。
私は、目の前の新入生に、これから始まる競技人生における可能性を感じた。いろいろな工夫の余地があるということの可能性と楽しさを感じたのだ。
自分を振りかえるとどうだろうか?
かたまってしまったフォーム、定位置…。そして工夫のない取り。
これではいけないのではないかと思った。
まだまだ、己に工夫の余地はあるのではないか。定位置を抜本的に変えてみてはどうか。払いも変えられるのではないか。攻め方、守り方も新境地があるのではないか。
この新入生との対戦で、「初心」に帰ることの大事さにふと気づいた。
「初心」。それは、可能性の宝庫なのだ。
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