Poem

Hitoshi Takano Nov/2005



札の思い



札が言う。
「ぼくを取って」と
札が言う。
「でも、ごめん。
君を取ることはもうできない。
なぜなら、君が出る前に、
ぼくは、はやくも負けました。」

「でも、札くん、ありがとう。
君が、そこにいるだけで、
よい目標になりました。」

札が言う。
「ぼくを読んで」と
札が言う。
「でも、ごめん。
君を読むことはもうできない。
なぜなら、君は百枚め。
読み手は、君を読みません。」

「でも、札くん、ありがとう。
君は、最後まで、読まれぬことで
存在を充分示してくれました。」

札が言う。
「ぼくを使って」と
札が言う。
「でも、ごめん。
君を使うことはもうできない。
なぜなら、君は空札さ。
箱にしまわれ、出番なし。」

「でも、札くん、ありがとう。
君は、使われた札との対極で
役割果たしてくれました。」

札が言う。
「ぼくを送って」と
札が言う。
「でも、ごめん。
君を送ることはもうできない。
なぜなら、ぼくは敵陣を
取ることできず、チャンスなし。」

「でも、札くん、ありがとう。
君を送るという意思が
粘りを与えてくれました。」

ああ、札くん、札くん、ありがとう。
君らは、いつもそこにいて、
一緒に遊んでくれてます。



 唐突に「詩」というのも何ですので、少々、解説を加えましょう。

 解説を加えるほどでもないのですが、札をついつい擬人化してしまいたくなる瞬間ってありませんか?
 私は一人っ子だったもので、子供の頃、家の中で一人でいるといろいろな遊び道具と心の中で会話していました。そんな影響が今でも残っているのでしょうか。

 ふと思うんです。札を使って競技しているわけですが、実は、私たち競技者は札に遊んでもらっているのではないかと…

 そんな思いが、この稚拙な詩から伝っていれば、嬉しく思います。

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