17.5年ぶり
Hitoshi Takano APR/2006
17年半
17年半ぶりに職域・学生大会に出場した。最後の出場が1988年夏の50回大会だった。今回は、
85回大会である。
大学卒業後も、通信教育の在籍で出場したり、職員ということで学生と一緒に出場したりしていたが、
職域のチームとして、職員のチームとして独立して登録をしたことを機に、職員チームでの出場を目指
し、二重登録になるような学生チームへの参加はやめるようになった。
しかし、チームを登録した当時、大学のかるた会OB3名中取り続けているのは私だけであったし、
興味があると練習に顔をだした職員は札もすべて覚えていない素人であった。そんな中、大学のかるた会
の後輩が、いつか就職してくれるとの希望を胸に待っていた。
採用試験を受けたが落ちた後輩もいた。そんな中、やっと今も取るメンバー5名が集まった。
教職員チームの職域デビューである。
私が、学生のころは、A級8チーム、B級8チームで、残りがC級であったが、現在はE級まである。
歳月は参加チーム数をここまで増やした。当然、A級までの道のりは長くなったわけだ。
E級からのスタート。先は長い。
過去の成績
さて、私自身の今大会出場前までの職域の記録を振り返ってみよう。
出場は、1980年3月の34回大会から1988年8月の50回大会までで、うち16回に出場した。
試合数は、51試合で20勝31敗、勝率.392である。この内訳をみてみよう。
<学部生・学部卒業後>
学部学生時代 22試合 4勝18敗 勝率.181
学部卒業後 29試合16勝13敗 勝率.552
<春・夏>
春 21試合 8勝13敗 勝率.357
夏 30試合12勝18敗 勝率.400
<級別>
A級 28試合10勝18敗 勝率.357
B級 21試合 8勝13敗 勝率.381
C級 2試合 2勝 0敗 勝率1.000
<回戦別>
一回戦 12試合2勝10敗 勝率.167
二回戦 12試合5勝 7敗 勝率.416
三回戦 15試合7勝 8敗 勝率.467
四回戦 12試合6勝 6敗 勝率.500
<将別>
主将四回 16試合2勝14敗 勝率.125
副将一回 3試合2勝 1敗 勝率.667
三将一回 4試合3勝 1敗 勝率.750
四将三回 12試合2勝10敗 勝率.167
五将四回 12試合7勝 5敗 勝率.583
六将以下三回 4試合4勝 0敗 勝率1.000
以前書いたことがあるが、学生時代の勝率の低さの一つには、調整の失敗があったかに思える。
職域だからと職域の直前までけっこうがむしゃらに練習して本番に疲労が来てしまった経験がある。
特に学生時代の夏は8戦全敗なのである。しかし、学生時代の職域では実績は残せなかったが、夏
に集中して練習したことが、実力アップにつながったことは間違いない。9月の勝率の高さが、これを
証明していると思う。調整の失敗も今では、良い教訓になったと思っている。
級別は、したの級にいくほど勝率があがるのはきわめて自然な結果といえるのだが、意外なのは、
回戦別で、勝率があとのほうになるにしたがって上がっているのは驚かされる。通常の練習のケースと
全く逆なのだ。これについて原因は不明である。
将別でいえば、六将以下は、ワンポイントリリーフ的な使われかたので、四試合続けて取っている
相手に対して、一試合もしくは二試合に集中すればよいこちらとしては好条件ということで説明がつく。
副将・三将は一回ずつしかないので分析不能。主将成績が低いのは、やはり主将の器でなかったのだ
ろう。自分で取るだけで精一杯なのにチームを見て声をかけてというのは正直負担であった。四将の
三回はいずれもA級の時であり、力不足であった。
さて、では、今回の成績はどうであったのだろうか?
デビュー大会
今回は、「慶應義塾教職員チーム」のデビューの大会である。チームの目標は、次回はD級にあがる
ことであった。D級にあがれば、5人並んで4試合取れるので、団体戦らしい取りができる。次回から
D級が今まで8チーム2ブロック制だったものを24チーム3ブロック制に変えるという制度変更が
あるので、今回18位以内に入れば上の級にあがれるのだ。
実はE級では、チームの5人が並んで取れるのは4回戦めの順位決定戦しかないのだ。それまでの3回戦では
E1、E2の2ブロックに今回で言うと15チームずつ分かれて、それぞれのブロックでオープンで対戦
が組まれるため、一つのチームで5人が並んで取ることはないのだ。5人で並んで取る場合は、同じチームの
5人と対戦するのだが、E級の3回戦まではそうはいかない。チームの他のメンバーがあたる相手のチームも
ばらばらである。
さて、まずは一回戦。チームメートが3勝をあげ勝ち点を取る中、暁星Cの中学生に粘られ私は1−1の
運命戦であった。職域練習で2試合連続の1−1で敵陣が続いて2連敗していたので、さすがに今度は自陣
だろうと「ほととぎす」の持ち札を守った。薄氷を踏む勝利で、チームとしては、4勝をあげた。
二回戦は、チームの主将と三将の2勝どまり。副将の私が東京外国語大学にあっさり13枚差負けで、勝ち点を
落としてしまった。
万一これで、三回戦も勝ち点を落とすようなら、次回D級への道に黄色信号である。私が8枚差で西湘高に勝ち
主将から三将までで3勝をあげて勝ち点をゲットした。
この時点で、勝ち点2で9勝、E2ブロックの4位で、5位〜8位順位決定戦でE1ブロックの3位チームとの
対戦が決まった。次回D級への昇級は確保でき、今回の目標はクリアした。
ところが、なんという運命の皮肉。E1ブロックの3位は、勝ち点3で11勝の慶應義塾大学Bチームだった。
普段練習相手の後輩チームである。ここで、選択肢は二つあった。昇級という目的を達していたので、2チームで
談合して全勝者2名ずつをそれぞれ譲り(棄権)で確保して、残り1試合は取っても譲ってよいという方策が一つ。
もう一つは、ガチンコ対決である。前者は、心情的にはわかるが、あまりに安易である。後者であれば、後輩の壁
になれるかどうか我々のチームの真価が問われることになる。
結局、両チームが出した結論はガチンコ対決である。
これにより我がチームの全勝者のうち一人は相手の全勝者に負けたが、3勝をあげて勝ち点を取ることができた。
特筆すべきは、ここまで三敗していたうちの五将が最後に後輩に勝って意地をみせたことである。
私自身も勝って、3勝1敗の戦績だった。
自己評価としては、個人としてもチームとしても、よいデビュー戦であったと思う。
暁星三連覇
最後に、A級の結果ということでいうと、暁星学園が三連覇を果たしたことは特筆すべきだろう。開会式での
審判長のコメントで、昭和56年春から昭和57年春まで静岡県立富士高以来の高校チームの三連覇がかかって
いるのが見所ということが言われていた。
厳密にいうと、当時の富士高とは若干事情の違いはある。富士高は高校のみのチームだが、暁星学園は、中高
一貫教育のチームである。高校3年でチームをつくるのと、中学から計画的にチームをつくるのとではやはり
ちがうと思う。慶應義塾も一貫教育の良さをアピールしている学校であるが、これはやはり一貫教育校のメリット
であると思う。
これ以外にも、富士高と暁星学園の違いはあるが、まずは「おめでとう」の言葉をおくりたい。そして、慶應
義塾も一貫教育の良さをいかしたチームをぜひつくっていきたいと思う。
今の慶應義塾大学チームには、SFCの中学生時代から競技かるたに馴染んできたものが複数いる。暁星よりは
気の長い話だが、彼らのあとに続く選手にぜひ育ってもらいたいものだ。
もし、教職員チームがこうした選手育成の一翼を担うことができれば、今回のチームデビューは成功だったと
いえるのではないだろうか。
夏に向けて一層のチームの強化をはかりたい。
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