隔月連載小説(1)

Hitoshi Takano May/2006

いふ(前編)


 改札を出る。
 駅前の横断歩道をわたる。
 仕事帰りの足取りは重く感じられる。
 商店街を抜けると道が暗くなる。最近、とみに暗さが感じられるのは何故だろうか。夜になると目の疲れを感じるが、いろいろな意味で疲れやすくなったのは、年齢のせいであろうか。

 金曜日の夜である。いつもなら、職場の仲間と飲みに行っているところである。部下を誘うでもなく上司に誘われるでもなく、微妙なタイミングで「お先に失礼します」と出てきてしまったので、みんなは怪訝な顔をしていた。

 飲みに行ってもいられないのだった。
 立ち寄らなければならないところがあった。

 何故、寄り道をしなければならないのか?それは、大学のサークルの後輩のミスが原因だった。

 大学時代、私は小倉百人一首を使う競技かるたのサークルに所属していた。その名もシンプルに大学名をとって「X大かるた会」といった。今から二十五年も前の話だ。二十五年と言うより「四半世紀」と言ったほうが、時の長さを感じさせるだろうか。まあ、そんなことはいい。そのサークルの現役の学生代表からは、毎月電子メールで、練習日程と試合の日程や事前申し込みの問い合わせがくる。現役とOBの集いなど、年一回のイベントには参加するが、現役の練習には三年くらい行っていないし、試合には十五年以上出ていない。もちろん、試合に出るつもりなど全くなかった。ところが、何を間違えたか、くだんの学生代表が、私を試合の参加者として事前登録してしまったのだ。
 昨晩、その学生からの電話でこの事実が発覚した。もちろん、取り消してもらうこともできた。しかし、その昔、試合会場での主催者挨拶の中で、事前登録がいい加減で直前のキャンセルなどが多くて困るという話を聞いたことがなぜか思い出された。
 「出場しなければいけない。」
 後輩に文句をいい、注意不足をたしなめはしたが、出場の義務感が取り消しの思いを上回った。

 それで、である。それで、私は今ここを歩いているのだ。試合前に練習しておくために。望んで出るわけでないのなら、別に練習しなくともよいのではないか、ぶっつけ本番でもいいではないかと考えることもできた。しかし、それでは、自分が許せないのだ。少なくとも、学生時代に必死で試合に取り組んだ者として、できる限りのことをして試合に臨みたいのだ。それが対戦相手に対する礼儀でもあるからだ。
 商店街を抜け、公民館の入口に立つ。現役の学生が練習している公民館のたたずまいは昔と変わっていなかった。ただ、昔と変わっているのは、私自身であろう。
 学生の頃は、昼間授業で疲れていても、練習場にくれば、かるたを取れる嬉しさで、疲れが吹き飛んだものだ。ところが、今の自分は疲労感の固まりだ。そして、不安感の固まりでもある。学生の時分とくらべて二十キロは増えた体重。ここ十年で数回みまわれたぎっくり腰。かるたを取ることは、腰と膝に負担がかかる。腰や膝を痛めないだろうか。己の肉体と相談しつつ、練習に臨むしかないのだ。

 練習相手は、間違えて私を事前登録してしまった学生だった。札を触るのも三年振りだ。取札を見て上の句を思いだせないことはないと思っていたが、定位置については、すんなり思いだせるか不安だった。
 不思議なものだ。二十五枚の自陣の札を並べ始めると、自然と定位置に配置できる。しかし、数枚、置き場所の候補地が複数ある札が出てきた。四半世紀の競技歴の中で、定位置を何回か変えた札だった。この事実に気づいたら、「まだ、いけるじゃないか」という気持ちになった。そんな定位置の変遷まで覚えているということが、少なからず自信を与えてくれたのだ。

 暗記時間十五分のうち十三分が経過すると、「残り二分」が告げられる。残り二分になれば、素振りをしてもかまわない。左手を並べた札の際に置いて、膝の位置を決め、右手を中心に据える。その姿勢から素振りをしてみたが、どうも違和感がぬぐえない。学生時代に身体で覚えた動きができないのだ。どうも膝の位置がしっくりとこないようだ。多少取り戻しかけた自信が再びゆらいだ。原因は体重の増加にあるにちがいない。

 しかし、試合時間は待ってくれない。序歌が詠み始められる。

 「難波津に咲くやこの花冬ごもり…」
 「…今を春べと咲くやこの花…」

 序歌で詠まれる音に絡まる札を確認するのが、現役の時からの癖だった。自陣の「なにわが」、敵陣の「さ」・「この」、自陣の「はなさ・はなの」、敵陣の「いまこ・いまは」。さらに敵陣には「いに」もあるので「い」決まりである。「いま」の二枚は敵陣右下段に、「いに」敵陣の左中段に置いてあった。

 「…今を春べと咲くやこの花…」
 「…い…」

 私の身体は、その瞬間「い」の音に反応していた。膝の位置の不具合をものともせずに、敵の右下段を払い、返す刀ですかさず敵の左中段の札を払っていた。

 「(い)まはただおもいたえなむとばかりを…」

 見事な渡り手であった。無意識の音への反応。内心「これなら、行ける」と思った。気を良くするというのは、すごいものである。その後も、カラ札を絡めながらではあったが、敵陣を四連取した。

 ところが、事態が一変したのは、自陣の札が出始めてからである。さして、速いとも思えない相手の取りなのだが、自陣の札を取ることができないのだ。

 空振りに始まり、段違いを払ったり、隣の札しか押さえられなかったり…。

 またたくまに、枚数差はなくなり、追いつかれてしまった。

 こうなると膝の位置の違和感が気になりだす。意識的にいろいろためすが、構えが変になり、敵陣の札も取れなくなり、札の暗記や札を取ることへの集中力が欠け始める。

 相手が十枚、こちらが十五枚の時、事件が起こった。

 敵陣の「う」決まりになっていた「うか」を響きはやや遅れたものの久々にスムースな身体の動きで一字半くらいのタイミングで払った。しかし、二字目の「K」音は「か」であるはずなのに何故か「く」と耳に入ってきたのだ。三音目は「り」ではなかった。なんと三音目は「か」なのであった。
 満足のいった払いが、一気に暗転した。慌てて自陣の「ふ」を払いに戻る。私のお手突きに相手は驚いたのだろう。何の動きもみせない。しかし、私の戻り手は見事に空振っていた。三度目の正直で、空振ったところから、まっすぐに札に向かった。出札は私の払いで飛んでいなければならなかった。だが、飛んでいったのは隣の札であった。相手の動きを感じたが、諦めずに出札に向かったが、遅かった。相手の手が出札を押さえていた。不幸は、それだけではなかった。勢い余った私の払いは、札を押さえていた相手の手に激突してしまったのだ。

 アクシデントだった。突き指である。

 忘れていた指の痛みだ。この痛みは、この試合の今後の取りに影響を与える。突き指だけではない。「お手つき」も痛かった。八枚と十六枚。五枚差が八枚差にひろがった。しかも、持ち札は、相手の二倍。いわゆる倍セームになってしまった。相手が一枚取る間に二枚を取らなければならない。
 何よりも、なかなか札を取りに来ない相手に対し、自陣を二度も取りそこなった自分が情けなかった。自分がお手つきしても、相手に素早く自陣を取られていたなら諦めもつくが、自分が何度もミスを繰り返している間に、遅く取られたという事実が、精神的動揺を与えたのだった。

 結局、このあとペースを掴むことができず、十枚差で練習を終えた。腰を痛めることはなかったが、指を痛めてしまった。翌々日の本番の試合に向け、不安がつのる。

 はたして、中一日で痛みは引くのであろうか。

〜〜中編に続く〜〜

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