年齢との戦い

Hitoshi Takano JUN/2006

新人

 4月に入学した新入生も、まったく百人一首を知らずに入会したとしても、6月にもなれば、 百首を覚えて、札を払えるようになって、試合形式での練習で、みるみる上達していく。
 こうして目に見える上達を、自分自身で感じ、周りも認めてくれる期間というのは、 実に楽しく、より一層がんばろうという意欲で満ちている。

 そんな伸びていく新人の様子をみることができるのも、卒業生として関わっている者の 楽しみの一つである。

 せめて、新人の成長のエネルギーの1割でも自分に取り込めれば、まだまだ、自分は強く なれるのではないかとふと思う。
 しかし、それは幻想に過ぎず、練習に顔を出せずに弱くなっていく自分を感じて寂しくも なる。
 自分にできることは、新人が弱いうちに練習で叩いておいて、「先輩は強い」という イメージを植えつけておくことである。これが、後の勝負で役に立つことがある。
 このイメージの植え付けに失敗すると悲惨である。勢いのある若者に組し易しのイメージを 逆にもたれて、後の勝負での綾にあらわれてくるのである。

全盛期

 いったい、競技かるたの選手の全盛期はいつなのであろうか?

 もちろん、個人差がある。ここは、十代から始めた場合の一般論で語りたい。
 そう考えると、やはり二十代に肉体的な全盛期とともに競技の全盛期が来るのではないか と思う。そこで得た経験が、肉体的な衰えをカバーしつつ三十代でバランスの取れた強さを 発揮する場合もあると思う。
 実績的には、三十代で大きな大会の優勝を重ねたり、タイトルを奪ったりと、個人史と しての全盛期という結果がでる場合もあるだろう。しかし、私は、こうしたケースは 「全盛期」と言うよりも「円熟期」と言ったほうがふさわしいのではないかと考える。

 強さを持続することは、実にむずかしいものだ。

 将棋の世界などでも、二十代でタイトルを取った棋士が、三十代以降もタイトル戦にからん でいけるかというとそうではない。三十代以降も、タイトル戦に絡み、順位戦でA級を維持 することは、一部の限られた棋士のみということになる。
 すべての人に共通におそいかかる加齢という敵に打ち勝つことは、並大抵のことでは ないのだ。

今を戦う

 小倉百人一首の選者である藤原定家は、当時としては長寿で80歳近くまで生きた人だが、意外や歌作の大部分は45歳くらいまでだったと聞く。
 実は、私も45歳をすでにこえてしまった。ふりかえれば、私の個人史において競技かるたの全盛期は二十代半ばだったと思う。
 今では、そのころの強さはもちろんない。
 しかし、それでも今も戦う。今は、今しかない今だけの戦い方をするだけなのだ。
 全盛期を過ぎて二十年、円熟期といえるものもなかったかもしれない。それでも、私は 自分自身のベストバウトは、これから生まれるのではないかという期待を持っている。
 それは、他人からの評価ではなく、自分自身の思いなのだろう。

 今を戦う。

 それは「一期一会」なのだ。

 この年齢、この肉体、この状態……。すべてが、まぎれもない事実で、その時だけの ものなのだ。

 これから取るこのかるたが自分のベストの戦いだ。そう信じて競技にのぞみたい。

 まだまだ強くなれることを信じて、今月もまた練習に足を向ける……。


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