鉛筆で書く!
Hitoshi Takano OCT/2006
鉛筆で書く百人一首
最近、「鉛筆で書く」古典の本がブームである。最初は、「奥の細道」であったようだ。「徒然草」など
も出ている。わが「百人一首」はどうかというとご他聞にもれず、ちゃんと発行されている。しかし、他の
古典と違うのは、数種類出ていることだ。私が、書店で確認しただけで、4種類ほどあった。他の古典が
それほど種類がでないのに、何故、百人一首は、そんなに種類があるのだろうか?
その4種類を見比べてみる。それぞれに工夫がこらされているのだ。ディビット・ブル氏の版画をつかって
いるものもあるし、歌の解説に力がはいっていると見受けられるものもある。また、歌を覚える手段の一つ
としての書き写しといった趣向を感じるものもある。
これだけ、短期間の間に4種類も出版されるということは、それだけ国民の間に「百人一首」が膾炙している
ことであろうし、愛されている由縁でもあろう。
「百人一首」の世界に関わる者の一人としては嬉しいかぎりである。
そして、なにより、「百人一首」というのは、鉛筆でなぞるという本を作るだけでも、いろいろな工夫やの
できるコンテンツであるということである。百人一首の解説本や謎本にしても、暗記のための本にしても様々
なものが出版されていることでもわかるだろう。
百人一首は、それだけ、魅力的な素材なのだ。
話はかわるが、この「鉛筆で書く」シリーズであるが、私は、日本における「写経」の伝統を感じている。
本来は、写経もなぞって書くというものではなかったのだろうが、現代では、「写経」もなぞって書けるもの
が用意されている。観光地の寺などでは、お経などとは縁のなさそうな若者が、こうした「なぞる」写経に
チャレンジしている姿も垣間見る。おそらく、鉛筆で書くシリーズのアイディアには、こうしたなぞる写経が
ベースにあったのかもしれない。
心を落ち受けて「書く」という行為は、その写す対象となる古典や経典の精神と触れ合う行為なのだろう。
「百人一首」のそれぞれの和歌の精神と触れたかどうかはわからないが、高校の時、百人一首を覚えるのに
単語カードの裏と表に、下の句と上の句をわけて書いたり、文法のポイントをメモしたことを思い出した。
このブームが競技カルタの普及に役立ってくれればありがたいと思うのは、私だけではないだろう。
十月
十月になった。十月は、競技かるたのA級選手にとっては、結構重要な月である。なぜなら、十月には、
名人戦・クイーン戦の東日本・西日本の予選のある月であるからだ。
夏に合宿などで鍛え、そこで集中的に鍛えた力を持続させながら、十月の予選の日に向けて調子をピークに
もっていけるように調整するのである。そのためには、九月や十月初旬の大会なども、自分の力をはかるの
には、ちょうどよい。
また、夏の団体戦で調子のピークをつくる高校生や大学生は、この団体戦での活躍が実力アップにつながり、
勢いを持続して予選で活躍する例もある。
十月は、夏の成果をみるのにいい時期でもある。
自分はといえば、八月の職域学生大会に向けて、夏の調整をやっとこさやって、団体戦のD級で3勝
1敗(うち1勝は不戦勝)、チームは8チーム中6位。職域練習と職域本番を糧として、九月十六日に
職員名人戦という職場の試合で、2勝で防衛(3連覇)。まあなんとか、団体戦でのD級リーグ残留と
職場の試合で防衛という二つの目標はクリアした。
仕事の合間をうまくぬって、練習時間を確保していけば、今の状態からは少しでも強くなれるような
気がしている。といっても、この十月は仕事の忙しい時期なのだが…。
自分に何かの目標を持たせて、それに合わせて練習するというのは、動機付けとしては非常にわかり
やすい。1年のサイクルの中で、身近な目標設定を少しずつふやしていきたいと思っている。
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