短編かるた小説(前編)
Hitoshi Takano Nov/2006
むべ山風を
(前編)
「…わがころもでにゆきはふりつつ…。やまざとはふゆぞさみしさまさりける…」
「はいった〜っ!」
「ありがとうございました。ありがとうございました。」
札が飛び、相手と読手に頭を下げる。
ふと思う。『また、負けた。この光景をなんど繰り返したのだろう?』かと。
練習の一試合が終わり、札を片付ける中、対戦相手の先輩がいろいろと注意を与えてくれる。
「中盤までリードしていたところで、こっちの陣の出遅れた『さびしさ』を拾わせてもらったのがタ―ニングポイントだったな。
あれを拾えたのは、大きかった。逆にそっちは、あの札を取っていれば、そのまま押しきれたんじゃないか。」
「………」
「集中力が、途切れた感じだったな。『さ』の札での『しまった』という思いをひきずってたんじゃないか?」
「……はぁ…」
「ショウタは、いっつもだよな。集中しきれない。」
「ありがとうございました。失礼します。」
言われなくともわかっている。集中力がないことは、自分が一番よくわかっているのだ。
席を立った。これ以上は、聞いていたくなかった。
「おい、ちょっと待てよ。……ったく…、またかよ。」
膝にツギのあたったカルタズボンのまま、練習場を飛びだした。
負けたことが悔しかったわけではない。自分自身が情けなかっただけだった。ベストを尽くせたなら、まだいい。集中を切らした
自分が許せなかった。
『こんなんで、このままカルタを続けていいのだろうか?』
練習場を飛びだすこと、カルタをやめようかと思ったこと、いったい何度繰り返せばいいのだろう。何度もやめようと思い、
やめずにいるのかやめられずにいるのかわかないが、また、いつのまにか練習場に足が向いている。
「ニ度と来るな!」
いっそ、誰かがそう言ってくれれば、やめるきっかけになるのかもしれないが、試合後の先輩の注意の途中で飛びだしても、
今まで一度も「もう来るな!」とは言われたことがなかった。あとで、よく考えると相当に失礼な行為だと我ながら思うのだが…。
大学のカルタサークルで作成した背中に「歌」・「留」・「多」の大きな白い三文字が不規則に並んだ真っ赤なTシャツと膝に
大きなツギのあたったカルタ練習用のズボンで、街中を歩いていても、道ゆく人は違和感を感じないのか、ファッションとでも
思っているのか、自分自身が持っている恥ずかしさほど、周囲の目からは恥ずかしい格好とは認識されていないようである。
きっと知りあいとでもあえば、また違うのであろう。
そう考えると、練習場を飛びだした時の自己嫌悪感が冷めてくる。
知りあいとでも出あって、こんな格好で恥ずかしいとでも感じれば、もう少し長い時間、自己嫌悪感に浸っていられるのだろう。
変な話しだが、自己嫌悪感にさいなまれていると、自分の中での時間の流れが速いのだ。そういう意味で、何度も何度も自己嫌悪に
陥っているうちに自己嫌悪感に慣れてしまったのかもしれない。
「小学校にあがる前の正月、じいさんのところで、カルタの札を見つけなければ、こんな夏の最中にカルタを取るなんてことは
なかったんだろうな。」
飛びだしてはみたものの、行くあてもない。街中をしばらく徘徊したものの、しかたがないので、練習場のそばまで戻ってきた。
ばつが悪く、すぐに練習場にも戻れず、近くの神社の境内のベンチに腰かけていた。ベンチで、何をするともなくボーっとしていたら、
子供のはしゃぐ声が耳に入った。子供の声に自身の子供時分の記憶が触発されたのか、ふとカルタとの出逢いを思い出していた。
中学にあがる前までは、年末・年始は父の郷里に帰り、祖父の家で過ごしたものだった。祖父や叔父たちからお年玉をもらえる
のが正月の楽しみだった。カルタとの出逢いは、祖父の家だった。正月ということもあったのだろう、祖父の書斎には、小倉百人
一首のカルタ札の箱が目につくところに置いてあった。小学校にあがる前の好奇心あふれる子供は、きれいな和紙がはられた箱に
興味をもったのだった。
「なんだろう?」
ワクワクして蓋をとる。
そこには、彩色をほどこした昔の人が描かれた札と平仮名が並んだ札がはいっていた。覚えたての平仮名である。その札が読める
ことが嬉しかった。
「何を見つけた?」
札の平仮名を読むのに夢中になっていて気づかなかったが、祖父が書斎に入ってきていた。
「これ読めるよ。」
祖父の前で、札の平仮名を自慢げに読んだ。
「そうか。偉いな。かしこいな。」
祖父に褒められて、ますます嬉しくなった。
祖父は、それからカルタの遊び方を教えてくれた。褒められて嬉しいものだから、一生懸命に聞いた。文字が読めることが
嬉しかっただけだったのが、祖父に褒められることでもっと嬉しくなった。祖父は、小学校にもあがらない子供に、決まり字
についてまで教えた。子供とは恐ろしいものである。褒められる嬉しさと物を覚える楽しさで、夢中になって、札を覚えていった。
百人一首の札をまたたくまに覚える息子に、才能があると勘違いした母は、東京に戻ると、東京山風会というカルタ会に小学校に
あがったばかりの子供を入会させた。
「まったく、おふくろときたら…。」
昔を思いだして、ひとりで苦笑いしていた。
母親は、教育熱心なのか、なんでもやらせてみる主義だったのかわからないが、いわゆるお稽古ごとには結構通わされた。
算盤、ピアノ、習字にお稽古ではないかもしれないが、水泳教室。長続きせずにやめると、また、次のものを持ってくる。
柔道、囲碁、お茶や料理の子供教室にも通ったことがある。
しかし、唯一、続いたのがカルタだった。ほかのお稽古はものにならなかった。厳しい指導についていけなかったので
いかなくなってしまったものもある。叱られていかなくなったものもある。
「やる気がないなら、来るな。」
「遊びにきているなら、帰れ。」
「何度も教えているのにできないのはなぜだ。覚える気がないならやめろ。」
指導者のこうした一言で、いかなくなった。
やる気を引き出すための叱咤激励の言葉だったのだろうが、「来るな。」「帰れ。」「やめろ。」の言葉を真に受けた。
すべては、「やる気がないなら、」「遊びにきているなら、」「覚える気がないなら、」と条件つきなのにだ。小学生の時分、
自分にやる気があるのかどうかなど、よくわからなかったし、遊びとお稽古の区別もつかなかったし、覚える気がないのかどうか
より、身体機能がついていかなかっただけの話でできないことに嫌気がさしたということなのだ。
そうした中で、まがりなりにもカルタだけは、段位をとったし、今でも続いている。これは、一度も「やめろ。」とか
「来るな。」という否定的な言葉をつかわなかった先生と出会ったからに違いない。
神社の境内で、にぎやかな声をあげて走り回っている子供達をみていると、なぜかとてもうらやましく思えた。
親にお稽古に行けと言われれば、ことわらずに行く子供だった自分には、あんなふうにはしゃぐことなどなかったような気がしてくる。
「サブちゃん、帰るわよ。」
はしゃいでいる子供に母親が声をかける。
そろそろ、練習も終わる頃だ。着替えと荷物を取りに戻らなければならない。飛びだして出ていっても、荷物や
着替えが置いてあるから、時間までにもどってくるものと先輩達もわかっている。何回か繰り返したものだから、
パターンとして認識されてしまっているのだ。
練習場にもどると、まだ終わってはいなかった。一組だけ、三枚対四枚で最終盤の競り合いを演じていた。
練習とはいえ、競った終盤に緊張感がみなぎる。敵陣を抜き合う展開は、送り札を何にするかを競技者と一緒に考え、
展開を予測しながら見ることができるので、見ている側にも役に立つ練習となる。
敵陣を抜いて、ニ枚対四枚、抜き返して二枚対三枚、再び抜いて一枚対三枚でリーチがかかる。そこから、一枚を攻めて
一枚対二枚。その一枚をまた抜いて一枚・一枚。結局さきにリーチをかけたほうが送られた札を守って決着がついた。
そういえば、山風会の小学生クラスに通っている時から、ずっと指導をしてくれていた先生からは、こんな展開の時の送りに
ついて、教わったことがあった。
「一対三を抜いたなら、送り札は最後まで出ない札を送りなさい。右下段に二枚並べてしっかり守りなさい。」
どの札が最後まで出ないかなんてわかるはずもないが、きちんと自分の考えを持って札を送ることの大切さを教えてくれた
のだ。そして、終盤にどれも取ろうとして中途半端になってしまうことに警告を出してくれていたのだろう。大学生になった
今でもそうだが、送ったあとで、送りミスをしたような感覚にとらわれたり、出たら全てを取るつもりになって、かえって全
てに対する反応が鈍くなったりしまうことがないようにという教育だったのだと思う。
今では、どんな展開になってもすべては自分の選択と自己責任で考えられもするが、小学生の時分には、深く考えもせず
に感覚的に手拍子で札を送ってしまい、すべての札を取るつもりで、結局、相手に遅く取られてしまったりしてしまったものだった。
この小学生クラスの先生は、丸山先生という女性の先生だった。先生は、何度も同じことを繰り返し繰り返し、
やさしくやさしく、親切丁寧に指導してくれた。それだけ、物覚えが悪い生徒だったのだろう。しかし、今自分が
まがりなりにもカルタを続けていられるのは、丸山先生のおかげであるし、真に師匠といえるのは、この丸山先生
だけだと思っている。
ふと、目の前の試合展開から昔のことを思いだした。今日は、やけに昔のことを思いだす日だ。
練習が終われば、後片付けである。途中で抜け出した非礼を詫び、後片付けに加わる。カルタ競技は、膝や手が畳表をこする
ため、畳を傷めることになり、終了後の清掃はかかせない。いまでは、電気掃除機がだいたい備え付けられているが、ホウキで
はくこともある。
片付けが終わると先輩に声をかけられた。
「ショウタ。今日はOBが飯食いに連れていってくれることになっているんだけど、つきあえるよな。
ちょっと話しておきたいこともあるし…。」
「はい。かまいませんが…。」
食事をおごってくれるのはありがたいが、OBと一緒に話しをするというのだから、面倒な話しにちがいない。話しの内容の見当は
ついていた。
(続く)
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