二条院讃岐

わが袖は潮干にみえぬ沖の石の
   人こそ知らねかわくまもなし


決まり字:ワガソ(三字決まリ)
 父親は摂津源氏の源三位頼政。歌人としても武将としても有名人である。武将としては鵺(ぬえ) 退治で有名であるし、歴史的には、以仁王の令旨にこたえて平氏打倒の挙兵をしたことで有名である。

 歌人として有名な逸話がある。
 いつまでも四位の位からあがれずにいたために、

 「のぼるべきたよりなき身は木の下に椎(四位)をひろひて世をわたるかな」

と歌を詠んだという。
 そして、この歌によって三位に上がっていないことに清盛が気づいて、三位に叙されたという。

 讃岐は、二条天皇の女房として仕えた。後世、この一首にちなんで「沖の石の讃岐」と呼ばれた。 定家が「沖の石」を後鳥羽院の流された「隠岐」にひっかけて撰歌したかどうかはわからないが、 この歌の「沖の石」が乾くことがないということで、恋を表現したことの印象は、後世の人にも 強く印象に残ったのではないだろうか。

 潮が干いた時にも海の底で濡れている沖の石のように、人に知られずに私の袖はあなたを思う涙で 濡れて乾かないのです。

 「石に寄する恋といへる心を」という詞書のとおりに題詠歌なのだが、この時代になるとこのように 少々奇抜な発想の題詠が流行ってきていたようである。歌の世界が、歌合などの影響で、さまざまに 変貌してきた時代であったのであろう。
 しかし、そうした事情はどうあれ、難しい題を見事に詠んだことは事実なのである。感嘆せずには いられない。

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2008年4月19日  HITOSHI TAKANO