愛国百人一首
高杉晋作
後れても後れてもまた君たちに
誓ひしことをわれ忘れめや
<愛国百人一首における決まり字>
オク(2字決まり)
<愛国百人一首における同音の数>
オ音20枚のうちの1
<歌意・鑑賞>
国事に殉じた同志を馬関に祀った時に詠んだ歌である。
「後れても後れても」は、尊皇攘夷に奔走して命を落とした同志に対して、死に後れている
ということである。「誓いし言をわれ忘れめや」は、本懐を遂げるためには命を惜しまずと
誓いあったことをどうして私が忘れようかとの意味。
尊皇攘夷の大義に殉じて先に生命を落とした同志たちに遅れをとって生命長らえている
私であるが、同志たちに生命を惜しまず本懐を遂げると誓ったことをどうして私が忘れるで
あろうか。(けっして忘れることはない)
<コメント>
長州藩士、名は春風、号は東行。吉田松陰の松下村塾で、
久坂玄瑞とともに松門の双璧とその俊傑ぶりを称えられる。
文久元(1861)年、藩命で上海に赴き、翌年帰国し、江戸にでる。品川御殿山の英国
公使館の焼き討ちに加わる。
攘夷実行で、馬関での外国船砲撃の際は奇兵隊長として奮戦。四国連合艦隊の報復により
馬関を抑えられた際、長州藩の正使として講和をまとめる。その後は、攘夷の無謀なるを悟り、
そのエネルギーは倒幕に傾注されることになる。
幕府の長州征伐の際、藩内に恭順派優勢時には、筑前に逃れるが、帰藩後は幕府軍を破り、
小倉城を陥る。慶應3(1867)年、39歳で肺病のために没す。
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2008年5月31日 HITOSHI TAKANO