紀 友則
久方の光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ
決まり字:ヒサ(ニ字決まリ)
古今集には「桜の花を散るをよめる」という詞書(ことばがき)がある。
詞書とは、「和歌の初めに、詠んだ題意を書いたことば。題詞。序」(広辞苑)
である。
古今集などの勅撰集や、その他、私家集や私撰集などにも、採られた和歌に
詞書がある。しかし、小倉百人一首には詞書はない。もちろん、定家の時代の
歌をこととするいわゆる文化人は、歌をみれば、その詞書きなどを思い浮かべる
ことが可能であったろう。また、現代の我々も、解説書をみれば、その歌の
詠まれた背景としての詞書きは、解説者(研究者)の手によって明らかにされて
いる。
だが、定家は、
小倉百人一首に作者名と歌本体しか残していない。これは、
歌に付随する詞書は周知のこととして、手を抜いて入れなかったのだろうか。
それとも、意図的に、不要としたのだろうか?
詞書がないと、歌は、その歌のみでの作品となる、詞書がはずされた時点で
その歌は、詞書つきの時と異なる作品となるといっては言い過ぎであろうか。
たとえば、この歌の作者紀友則の従兄弟といわれる(甥・叔父説もあり)紀貫之
の「人はいさ」の「花ぞ昔の香に匂ひける」の「花」は詞書からも梅であることが、
わかるのだが、詞書がないと何の花なのかわからなくなってしまうこともある。
「香が匂ふ」という花は、詞書などなくとも梅なのだという説明を高校の時に
受けた覚えがあるが、和歌の道に暗い現代人は、この「人はいさ」の歌が「梅」
のことだとピンとくるとは到底思えない。江戸時代の川柳の中には、「百人は
ことばもかけぬ花の兄」というものがある。花の兄とは梅のことなので、百人
一首に梅のことを詠んでいるものはないという意味なのだが、このように間違えられる
のである。
いずれにしても詞書は、歌の理解にとって必要なものなのに定家は、それを一緒
に採ってはいないのだ。ふすまにはるという色紙和歌のための撰歌事情で、詞書を
はぶいただけなのかもしれないが、詞書がないということは、詞書のない歌だけの
作品にかわったということなのである。
反面、定家は作者名を残した。このことは意味がある。冒頭の親子の天皇、最後の
親子の上皇。詠み人知らずの歌を「猿丸太夫」の作として撰ぶ。それ以外にも
誰がその歌を詠んだかは、百人一首の中で大きな意味を持っていそうなのである。
ただ、作者のほうは、歌仙絵がないと男か女か僧侶姿か俗の姿かわからないような
作者名が多々あるので、それも江戸川柳でからかわれるのだが…
さて、「ひ」の音で始まる歌は、百首中に3首である。
「ひさ」が二字決まり、「ひとは」と「ひとも」が三字決まりである。
桜の花を毎年その季節に見る、やはりこの歌が頭の中によみがえる。この文章を書いている
今がまさにその季節なのである。
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2008年3月29日(東京都大田区にて) HITOSHI TAKANO