猿丸大夫

奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の
   声聞くときぞ秋は悲しき


決まり字:オク(二字決まリ)
 この歌は「よみ人しらず」とされるが、藤原定家は猿丸大夫の歌として小倉百人一首の 中に採用した。
 定家の日記である「明月記」に「用捨在心」とあるように、採用する歌の取捨選択は定 家の心の内に在ったのだろうが、実在が疑問視されるような猿丸大夫の歌として「よみ人 しらず」の歌を採っているのには、きっと何かわけがあるにちがいない。
 さて、どんなわけかは知らないが、猿丸大夫は三十六歌仙にも名を連ねることになった が、謎の人物のままである。
 説としては、柿本人麻呂の別名だったとか、人麻呂の親戚であったとか、大伴黒主の父親説さらには皇胤 説(志基皇子)などもある。俗説では、弓削道鏡説まである。
 弓削道鏡自身も、天智天皇の子である志基皇子のご落胤説などもある謎めいた人物では あるが、弓削出身ということで、物部の一族に連なる出自という説のほうが有力であろう。
 道鏡は孝謙女帝の看病禅師から、僧綱を駆け上がり、太政大臣禅師、法王にまでなり、 宇佐八幡の信託で皇位までをうかがったと言われる人物である。
 女帝の死後、下野薬師寺別当に左遷され、失意のうちに772年に没したと言われる。
 下野薬師寺には戒壇が設置され、東大寺の戒壇、筑紫観世音時の戒壇とともに三戒壇 と称される。僧侶になるには、これらの戒壇で、正式に僧侶として受戒しなければなら なかったのである。
 自分を重用してくれた女帝の菩提を弔うには、陰謀渦巻く平城京よりは、よっぽど 静かなよい場所であったかもしれない。

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2008年3月  HITOSHI TAKANO