心理戦

The forbidden fruit (6)

AUG/2010 Hitoshi.Takano


心理戦〜両刃の剣〜

(1)手談
 囲碁や将棋を手談と呼ぶことがある。これは、対技者が一手一手交互に打つ(指す) ことから、その打つ(指す)手によって、言葉は交わさなくとも、あたかも会話しているかのように対技者が感じることによる表現である。
 「この手を打ったら、あなたはどういう手で返してくれますか?」「あなたの手は、 私に二つの選択肢から選ばそうとしていますね。では、私から第三の選択肢を示しま しょう。この第三の選択肢は、あなたの読み筋にありましたか?」「もちろん、読んで いました。これには、その後の変化であなたが不利になる手順があるのを気づきませんでしたか?」「それは、ちょっと読みが甘いんじゃありませんか?」などと一手一手が対技者の思いを相手に伝えているのである。
 もちろん、実力に差があると相手の一手の意味がわからず、勝手に相手の意図を誤解してしまうこともあるので、手談が成立しないということもあるわけだが…。

 競技かるたにおいても、手談は存在する。競技かるたの場合は一手一手交互に打ったり、指したりするわけではないが、札の配置・移動や、カラ札の時の相手の手の出し方や、送り札などに、相手の意図が見えれば、それにどう対処しようかとの思いが、もう一方の競技者の中に生じる。これもまた手談である。
 以前、TOPICの1999年4月に“「スダレ置き」と呼ばないで!”という文章を書いた。ここでは、札と札とをつけずに数ミリ以上離して置く意図を紹介した。
 この意図を相手が、感じ、考えることがすでに手談なのである。この文章は、まさに、"The fobidden fruits"のさきがけとなるような文章である。自分にとっては、札から直接取りに行くという意思表示の仕掛けであり、相手に対しては、札から直接取りに来ないといけないという意識を植え付ける仕掛けであることを解説したわけである。
 "The fobidden fruits"(禁断の果実)の「禁断」の部分は、この札から直接を相手に 意識させ、相手が意識するあまりに、手が伸びなかったり、隣の札から払ってしまい取り残すというケースを想定した上で、こちらが相手より遅くとも札を取ることの可能性を示している部分である。
 何よりも、札を取り損なった相手に、「自分が先に行ったのに、自分の躊躇やミスで 取れなかった」という心理的な負の意識を持たせるということが、一枚を取るということよりも大きな狙いになっている。これこそが「禁断の果実」なのである。

(2)心理と向き合う
 "The fobidden fruits"のシリーズの中でいろいろ書いてきたが、「罠を仕掛けるような気持で…」とか「プラス思考で」とか書いてあるのは、まさに心理戦の自分の心理の問題の指摘である。また、「相手の心理を考える」とも書いたが、これも心理戦の大事な観点である。(シリーズ1参照)
 シリーズ2「掛声考」で書いていることも、自分への心理的な影響を考えての掛声が本筋の話である。本筋でない話では、似非掛声のぼやき・三味線などの話は、相手に対しての心理的な働きかけの話である。
 シリーズ4「札を動かしたい衝動」というのも、自己の心理的な衝動なのである。
 競技にかかわる以上、競技者は「心理」の面と向き合わざるをえないのである。

 しかし、こちらが自分への心理的な仕掛けだとか、相手の心理を考えるのだと言ってみても、中には、まったくそういうことを考えない相手だと、心理戦の意味をあまり見いだせないのではないだろうか。ただひたすら一生懸命札を早く取ることだけを考えて他のことは一切気にもとめないような人とは、心理戦の基本である「手談」が成り立たないのである。
 はたして「手談」が成り立たないと心理戦は成り立たないのであろうか?
 「手談」という対戦相手との会話を意図的に拒否するのであれば、それはそれで立派 な心理戦なのである。その場合には、相手が会話を拒否していることを前提に試合を組 み立てればいいのである。相手が拒否しているとしても、意図的な拒否ならば、根底に は意識があるから拒否するのであるから、こちらからのアプローチの仕方はありうるの である。たちが悪いのは、きわめて、まじめな初心者・初級者で、ただただ一生懸命な だけで、心理戦などには気も及ばず、手談という会話に気づかない選手である。こうい う人は、無意識であるがゆえにたちが悪い。心理戦を考えるこちらとしては、どうしよ うもないのである。こちらも、マイペースでやるしかない。それでも、無意識なうちに 心理戦とは気づかれないままに、相手に仕掛けることもできる。
 相手が意識していないだけに、なぜはまったのかのさえわからないかもしれない。ただ、こういう選手は、はめられたと思わないだけに、はめられたと思ってくれるよりは精神的ダメージが少ないだろう。
 しかし、初心・初級の域を越えてくれば、自ずから壁にぶつかったりするものである。この壁を越えることが上級者への道である。おそらく、そこでも、ただ一生懸命、無心でなどとはいかないだろう。そもそも無心でということを意図的に意識すること自体が、自分への心理作用を意識していることなのである。
 「心理」というものを考えることが、「壁」を越える力にもなりうるし、上級者にな れば、心理の大切さを理解しているのではないだろうか。
 なんにしても、「手談」も含めて、自分の心理と相手の心理とその双方に向かいあう ことが、心理戦の第一歩である。

(3)心理戦
<1> 盤外戦
 盤外戦というのは、囲碁や将棋のように盤を使う競技でいう言い方である。要するに 本来の盤上の戦い以外の戦いを言う。
 試合が始まる前に挑発するような言葉を言うようなことも盤外戦である。将棋で米長 邦雄が南芳一に対して、「横歩も取れないような男に云々」と盤外戦で挑発したところ、南は横歩を取ったというのが有名であるが、こういうのが盤外戦である。
 冷房の温度をめぐって対局者が、一手指すと温度設定を交互に変えたなどという話も あるし、煙草を吸わないどちらかというと煙のきらいな相手に対して、普段はあまり 吸わないのにわざとその時は吸いまくったというような話もある。
 まあ、いかがなものかと思うことが多いが、話題づくりもプロであるがゆえの観戦者に対してのサービスとも考えれば、許容範囲なのかもしれない。
 しかし、競技かるたにおいては、こうした盤外戦はなしにしてほしい。特に言葉による挑発などは、心理戦であることは間違いないが、直截すぎる気がする。
 むしろ、将棋で居飛車党の初手7六歩に対して、二手目3二金と指して、相手に慣れない振り飛車を選択させるような「手談」による挑発のほうが、奥が深いように感じるのだ。
 ただ、肝に銘じておいてほしいのは、勝負は純粋にその競技の中だけで争われているものではないということである。

 選手の心理に影響を与えることは、競技以前にすでに身の回りで起こっているのである。

<2> 言語的心理戦
 似非掛声について、「ぼやき」とか「三味線」などと書いているが、これは、言語的な仕掛けである。
 札を取りそこなって「いかんなぁ」とつぶやいたり、ぼやいたりすることが意図的でなく無意識に出ることがあるかもしれないが、無意識のうちに言葉を発することで自己の行為に対する負の部分を緩和させる効果を求めているのだ。
 無意識であったとしても、対戦相手は、これを聞いた時に「チャンス」と感じたり、 「気を引き締めなければ」と感じたりすれば、言語的心理戦の中に入っているのである。
 この「ぼやき」や「三味線」を意図的にやる選手もいる。野球界では、選手現役の 時代から、監督になっても「ぼやき」をやっていたのが野村克也である。バッター ボックスに入っては、ぼやいて相手キャッチャーやピッチャーを油断させる。相手 もプロだから油断しないまでも、微妙に心理的影響を与える。監督としては、マス コミのまえで「ぼやき」、TV報道やスポーツ紙の報道で間接的にそのぼやきを聞いた 選手に、激励したり、発奮を求めたりと、さまざまなメッセージを与える。直接いわ れるよりも、間接的に聞かされたほうが効果的という狙いがあったのだろう。
 キャッチャーとしては、「ささやき」戦術というのをやった。打者に対して、いろ いろなことをささやくのだ。これは、審判に注意されたこともあるようだが、打者は、 ささやかれたことで動揺したり、あれこれ考えたりする。これも立派な心理戦だ。
 これらは、言葉という「言語」による心理戦の仕掛けである。
 競技かるたでは、「試合中の一言は、暗記を一枚抜けさせる」という指導もあるし、 音に対して敏感な世界だけに、「言葉」は周囲に目だってしまう。
 「取った」・「取ってない」のいわゆる「モメ」などは、その後の競技者の心理に 影響を与えるものではあるが、これを意図的に心理戦の材料に使うということはすべ きではないだろう。
 相手の取りに「ナイス!」というような褒めるというケースもあり、これも「ほめ ごろし」的心理戦といえないこともないが、言語的心理戦は、そのシチュエーション、 言語の豊富さから、様々なケースがあることと思う。
 このように「言葉」による心理戦は可能性としては多岐にわたるのだが、個人的には 感心するものではない。言語は最小限にとどめ、あくまでも「手談」による非言語的な 会話による心理戦こそが心理戦の王道のように思う。

<3> 非言語的心理戦
 では、主に「手談」による非言語的な心理戦について、三つのポイントから考えてみ たい。
 言葉を使わずに語るのは、「札の配置」、「動作」、「表情」、「視線」などである。この「札の配置」には「札の移動」もその概念に含まれるが、ここでは、「札の移動」は分けて考えたい。「動作」の中には、払い、突き、押さえ、囲いと言った取りに関する動作が中心であるが、試合の途中に立ち上がったりすることも、広い意味での動作であるし、インターバルの素振りなども動作である。
 「表情」の中には「顔をしかめる」「首を捻る」などの「動作」的なものもあるが、 分けて考えることにしたい。「視線」というのも「表情」に入りそうな気もするのであるが、なかなかに難しい。しかし、相手に感じさせるほどの「視線」(「目力(メヂカラ」)も大事な要素であることはおわかりいただけるだろう。
 では、この点をふまえて、三つのポイントを見ていこう。

== POINT 1 == [ 情報には多義性を! ]
 相手に与える情報には、多くの意味を持たせたほうがよい。なぜならば、相手が勝手にその意味を考えてくれるからである。単純に一つだけの意味を汲み取る人もいるだろうし、その非言語的な語りからさまざまな可能性を考え、複数の選択肢の中から、どの意味が適切なのか選ぶという作業をする人もいるだろう。
 たとえば、「札の配置」を変えるということは、いろいろなことを相手に考えさせる。たとえば、左にあった札を右に持っていく。右利きの人だとすれば、取りやすい位置に変えたとも取れるし、その場の状況によっては、左右のバランスを調整したともとらえられる。さらには、相手陣に同音に札があったとすれば、その札との関係で、どういう攻め、どういう戻りを意図しているかを考えさせることになる。同じような行為を前半から数回行っていれば、後半に行う意図も同じと受け取るか、異なると受け取るかは相手次第である。
 インターバルの素振りの動作も、相手に対して、自分はどこを取ろうとしているのかというメッセージになりうる。しかしながら、素振りをしていないほうを中心に攻めることもありうる。これも、見せ方である。
 「表情」や「視線」も相手にわかるように見せるということは、相手にこちらの思いを判断してみろという問いかけである。
 首を捻るのは、自分のプレーに対してなのか、相手のプレーに対するものなのか。ある特定の札に対する強い視線は、その札への攻めの証なのか、それとも単なるブラフなのか。
 とにかく、相手にいろいろなことを考えさせるような情報の与え方をすることが大事なのである。
 情報をあれこれ考えてもらうだけでも、札に対する集中力が若干鈍ってくれるかもしれないし、誤った判断をしてくれれば、それはそれでこちら側の術にはまったという観点で精神的有利にたっていいだろう。
 ただし、攻めているのに守っているという情報を相手が感じれば、相手はそれをもとにより鋭く攻めようと感じるか、こちらの攻めをはずそうと自陣を守ろうと感じるかというような事例もある。相手の誤った判断の結果、相手がどういう行動に出るかを予測するのは、自分自身の判断にまかされることになるので、その点は注意しなければならない。
 情報が多義性を持ち、それにより、双方ともに試合展開が複雑化することは、競技の幅を広げることであり、普段から複雑な展開に慣れているというアドバンテージをもってこの展開に臨んでもらいたい。

== POINT 2 == [ 情報は対技者の気持ちの隙間へ! ]
 慶應義塾発行の「三田評論」2010年8・9月号の特集は「ヒューマンエラーを考える」である。
 ここで取り上げられている「ヒューマンエラー」は、基本的に「安全管理」の観点からのものであるし、おもに医療関係や輸送関係などの現場を事例に取り上げている。Wikipediaなどを見るとその原理について「人間の注意力には限界があり、どんなに注意深い慎重な人であっても、疲労や錯覚などでヒューマンエラーを起こす場合がある。」と書かれており、さらにその対策としては、「対策とは言え、人間である以上必ず失敗(エラー)は起こりうる、人間に任せる完璧な対応策はないといった観点に基づいた対策を講じる必要がある」と指摘されている。
 大きなヒューマンエラーが起こる前には、多くの「ヒヤリ・ハット」が起こっているという。

(注)「ヒヤリ・ハット事象」:トラブルとしては顕在化しなかったが、トラブルになる可能性をもっている事象。当事者たちのヒヤリ・ハッとした段階以上には事象は進展しないで済み、被害は出なかった事象と言える。重大な事故の発生前には多くのヒヤリ・ハット事象が、事故の兆候として発生している。したがって、ヒヤリ・ハットの事例を収集し、その発生原因(ヒューマンエラーの要因も含め)を分析・評価し、対策を講じることが、将来における重大な災害や事故を防止する、つまり安全性を高めることにつながる。(「三田評論」2010年8・9月号26ページより引用)

 生命の安全にも関わる用語を、競技かるたの問題として使用するのは不謹慎であるという指摘もあるかもしれないが、そこはご寛恕いただき、競技かるたにおける「ヒヤリ・ハット」と「ヒューマンエラー」について考えてみよう。
 競技かるたにおける「ヒューマンエラー」の最たるものは「お手つき」であるといってよいだろう。「お手つき」にならないまでも、自陣の違う場所を払うとか、自陣にあるのに敵陣に攻めにいってしまう、敵陣にあるのに自陣を守ろうとしてしまうといった、結果、相手に遅く札を取られてしまったというようなものも、「ヒューマンエラー」と言ってもよいだろう。
 お手つきや上記のような錯誤によっての一枚の喪失の一歩手前の「ヒヤリ・ハット」は、競技かるたの選手であれば、「ヒューマンエラー」以上に多くの回数経験していることと思う。

 「人は間違えるものである」という大前提にたって、ヒューマンエラー防止の方策は考えられるが、逆に競技かるたにおいては、「人は間違えるものである」という前提にたてば、相手のエラーを起こりやすくすることも可能であろう。
 その相手のエラーを引き起こす可能性を高める方策を考える上で、重要な参考情報こそが、自分自身が体験した「ヒヤリ・ハット事象」なのである。自分がどういうときにエラーをしたか、また、エラーの一歩手前の「ヒヤリ・ハット」経験をどういうときにしてしまったかの情報を積み重ねることで、人為的にそうした状況を作りだすヒントにするのである。

 POINT1では、一つの情報に複数の意味を持たせて相手に送ることを書いたが、ここでは、その情報を送り込むタイミングを問題にしたい。
 自分自身が「ヒヤリ・ハット」を感じたり、実際にお手つきというエラーをしてしまう時、それは、気持ちの隙間に情報が入ってきた時である。
 「気持ちの隙間」といっても、よくわからないことと思う。いったいどういう状態なのかを説明しなければならないだろう。
 一生懸命に札の確認をし暗記を繰り返している時、これは集中している時でもあるが、この時に相手に札を動かされたりすると、私の場合、気持ちに隙間が生じる。動いた札を確認し、暗記を入れなおしと集中を続けようとするのではあるが、一方でその動かした意図は何なのかと考える気持ちが働くのである。ここで考えがまとまればいいが、そうでないとそれが隙間を生んだ状態となる。次の一枚「ヒヤリ・ハット」が起こりやすくなる。
 試合の最中、足がつりそうになったり、手の交錯で指を痛めた直後、目に汗が入った時、汗をぬぐったとき等々、肉体的な事象に気を取られた時も隙間は生じている。団体戦などでは、味方の掛声に応答したあとも、空気感が変わるので、隙間ができる。取りでもめたあとなどは「隙間」の最たるものである。さらに、相手のお手つきの直後なども、隙間が生じやすい。また、数枚連取でリードを広げた時など、ふと取り札に書かれた下の句の文字を文字として読んでしまった時(普通はこんなことはしないかもしれな いが…)なども隙間が生じる。ついうっかり「しのふることの」などと目で読んでしまって、「しのぶれど」など読まれようなものなら、手が「忍ぶれど」ではなく「玉の緒よ」に伸びてしまう。これも変な話だが、私には「ひと」などが読まれると「ひ」音の札を確認するとともに取り札で「ひと」で始まる札の確認などをする習慣があるせいかもしれない。
 かように「隙間」が生じるきっかけは多くあるが、札を動かすことはある意味能動的に相手に「隙間」を生じさせる手段のひとつであろう。そして、同時に、その作った「隙間」に情報を送り込むことになる。
 だからと言って、のべつまくなしに札を動かすのはよろしくない(シリーズ4)。勝敗の要諦の局面で札を動かすことこそ効果があるのである。
 札を動かされると否応もなくその札が場所が変わったということで、その札を意識する。その音がすぐに読まれれば、意識した分、反応もはやくなる。場合によっては、相手にとってはその札の優先順位は低かったのかもしれないが、意識させたことで相手に取られてしまうことになってしまったのかもしれない。だが、その札に相手が意識したことで、別の音の札が読まれた場合、動かさなかったら狙われていた札を取れることになるかもしれないのだ。何よりも、相手のその札への意識が強くなりすぎて、お手つきをしてくれれば、札を動かした効果は最大限に発揮されたといってよいだろう。
 私が、よくやるのは決まっていない3字決まりを上段の中央部分にあげることである。上段中央の取りになれていないと、それまでと手の出し方やタイミングの取り方が変わるので、余計に意識して、(うまくいけば)手が浮いたり、急ぎすぎて札をさわったりしてくれるからだ。
 また、相手陣に同音がなく、その音がその場では自陣に一枚しかない一字に決まっていない札を、同音が読まれた直後に右下段にさげたりもする。
 相手が一字と勘違いしてくれるもよし、そうでなくとも意識してくれるだけでもよい。この意識の変化によって、双方のその場の狙いの分布が微妙に変わってくれればそれでよい。そこには「隙間」ができているので、何かが起こりやすくなるからだ。
 この何かが起こりやすい状況こそ、競技者としての本領を発揮できる場なのだ。本領発揮といえるためには、そういう場面をいつも練習で作って慣れておくことが肝要である。慣れておけば、そういう場には自分は強いのだと自信をもってプレーできる。この自信が、心理的に優位にたつことにつながるのだ。
 先に書いた(一生懸命で)「心理戦などには気も及ばず、手談という会話に気づかない選手」に対しての方策としては、この何かが起こりやすい環境を作ることに尽きるのである。一生懸命であるがゆえに、札を動かされれば、その動いた札の確認を行うのがこうした選手の常である。その動いた札の確認を行わせること自体が、相手には気づいてもらえないかもしれないが、心理的誘導なのである。

 勝負の肝となる展開での仕掛けとしては「情報を対技者の気持ちの隙間に送り込む」ということを心がけてもらいたい。

== POINT 3 == [ 負のスパイラルへ! ]
 さて、何かしらのこちらの仕掛けに対して、相手が反応した場合を考えてみよう。
 空札で何も動かなかった場合もあれば、お手つきしてくれた。タイミングが取れず、手が浮いた。違う方向を攻めた。払い残してしまった。守ってしまった。etc. etc.…
 いろいろなケースが考えられる。
 大事なのは、これらを相手がどのように考えて(感じて)くれるかである。
 (1)相手の仕掛けで失敗してしまったと考える(感じる)。
 (2)相手は関係なく自分がミスをしてしまったと考える(感じる)。
 (3)あえて考えず(感じず)、淡々と暗記を繰り返し、次の一枚を待つ。
 (4)最初から何も考えて(感じて)いないので、ただひたすら一生懸命札の暗記を繰り返す。
 ほかにもあるだろうが、おそらくは上記の4パターンくらいになるだろう。
 (1)のように感じてくれるのが、こちらには一番ありがたい。次の仕掛けがしやすくなるからだ。次には(2)と感じてくれることだ。同じようなことが続けば、同じように自分の責に帰してくれるので、今日の自分はあまりよくないという思考に入りやすくなるからだ。(3)は微妙である。「あえて考えず」ということで、奥歯に物がはさまったような感覚を(1)もしくは(2)に近い形でかかえていることが推測されるからだ。2回・3回と続けば、(3)が(1)・(2)に変化していく。逆にこちらから言うと二の矢・三の矢が続かないと、立ち直りのきっかけになるからだ。(4)を考えるのはやめよう。無駄な労力に終わる可能性が大きいから。
 ここでのポイントは、同じようなエラーやヒヤリ・ハットを繰り返してもらうことである。さらに、相手の行動・仕掛けのゆえに自分がミスしたという感じを繰り返し感じてもらうことである。そこで、相手は、心理的な「負のスパイラル」に入っていってくれる。
 繰り返してもらうための仕掛けとして、言語的な作戦もありうる。たとえば、「よしっ!」とか「ラッキー!」、「チャンス!」 などの掛け声をかけることである。また、それまでの緊迫した展開に水を差してしまったという雰囲気を醸し出すために「あ〜ぁ!」などの失望や落胆の声をかけるなどの方法もある。
しかしながら、これを非言語的な方法、すなわち、表情や視線、態度などでこれを表わすことができれば、ベターである。
 相手が、「負のスパイラル」に入っていってくれれば、こちらは相対的な意味で精神的優位にたつことができる。相対的な精神的優位は、余裕にも結びつき、好プレーに結びつく。好プレーが出てくるということは、相対的な優位さが、絶対的な優位即ち「札を取る」という現実に結びつくということでもある。

「負のスパイラル」に相手が入ってきたと思ったら、そこは大きなチャンスである。チャンスを作ることとチャンスを活かすことをセットと心得てほしい。

(4)両刃の剣
 さて、サブタイトルに「両刃の剣」と記してあるが、最後にこの点を述べておきたいと思う。

「策士策に溺れる」

 「両刃の剣」の要諦は、まさにこれに尽きる。
 相手に仕掛けようとしてして、自分が自分の仕掛けたトラップにはまることもあれば、相手にこういうことを考えさせようと意図することは、必要以上に、相手の行為を拡大解釈してしまう可能性が高いということである。相手は、深く考えていないにも関わらず、深読みして墓穴をほることもある。
 そこは、見極めが肝腎である。
 要は、心理戦の仕掛けと自分自身の心理のコントロールのバランスをいかにとるかである。「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのである。

 「心理戦」は「両刃の剣」であることを、肝に銘じながら、競技の中で「手談」と「心理戦」を工夫しながら、楽しんでいってほしい。

 本稿が、「競技かるた」を考える上で、何かのヒントになれば幸いである。


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