<古今和歌集>


大伴黒主

春雨のふるは涙かさくら花
   散るを惜しまぬ人しなければ


 六歌仙の中で、小倉百人一首の撰からはずれたただ一人が、この大伴黒主である。伝不詳と いわざるをえない。大友黒主と書く説もある。
 喜撰法師の項で六歌仙を紹介し、黒主の歌の様を「そのさまいやし」 と紹介したが、古今和歌集の仮名序は、さらにこう続ける。
 「そのさまいやし、いはば、たきぎおへる山人の花のかげにやすめるがごとし」
 今ひとつこの紀貫之の評の意味がわからない。 山人が薪拾いにいって、拾った薪を背負って花の咲いている木陰で一休みしている様の どこがいやしいのか、今ひとつわからない。かえって労働の間のホッとする瞬間を表現 しているようで、好ましい感じもする。
 しかし、それも現代人の感覚かもしれない。平安時代の貴族にとっては、肉体労働は縁のない ものであろうから、こういう評価としてつかわれたのかもしれない。
 実際に、黒主の詠んだ歌から、我々は印象、感想を持つしかないので、ここに古今和歌集の 春歌下からの一首を紹介した。
 意味は、非常に平易であろう。春雨が降って桜の花が散ってしまう。花の散るのを惜しまない ものはいない。その散るを惜しむ涙が、春雨としてふるのだろうか。
 桜の花がなく中での、春の日の雨に思う人々の心に共感を呼ぶうたではないだろうか。
 さて、せっかくなので、他の歌も紹介しておこう。

 思いでて恋しき時ははつかりのなきてわたると人知るらめや

 鏡山いざ立ち寄りて見てゆかむとしへぬる身は老やしぬると

 最初の「思いでて」の歌は、仮名序では下の句が「なきてわたると人はしらずや」となって いるが、恋歌四の部に入っているほうは上のほうの下の句となっている。
 一人、小倉百人一首にはいっていないということで、注目されるのであれば、それはそれで 藤原定家の「用捨在心」の精神が、生きているともいえるのかもしれ ない。


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2008年6月14日  HITOSHI TAKANO