続・後輩への手紙(VIII)
Hitoshi Takano OCT/2009
教えることの効用
前略
4月から競技かるたを始めた1年生も、それぞれに着実に歩を進めているようで、大変嬉しく
思っています。
さて、秋学期も始まり、秋学期から競技かるたに取り組み始めたメンバーも加わりました。
このことも、嬉しいことです。1年生の「読み」もお披露目されつつありますが、それに加え
て、秋学期からの新人に半年先輩として指導するという場面も出てきました。
慶應義塾には、先に学んだものが後から学ぶものへ教え、違う分野では、その関係が逆に
なることもあることから「半学半教」という言葉が根付いています。
実際、実戦その他において、まだまだ先輩から教えられることも多いかと思いますが、一方
では、半年後輩に教えなければならない状況になっているということです。
初めて指導するときは、だれでも不安なものです。半年の差で教えるのは、「無理だ」
とか「きつい」などと思うかもしれません。でも、半年の差は大きいのです。指導できるか
否かは、今まで、自分が受けてきた指導をどれだけ知識や経験として身につけているかという
ことでもあります。
自分が、教わってきた中で、大事だと思う事項を教えていけばよいのです。
私が競技かるたを始めたとき、大学2年のひとつ上の代の先輩で練習に顔を出していたのは
二人でした。その人たちは、秋からかるたを始めた人たちでしたので、競技上は半年の先輩
でした。私の代のメンバーは、この方々からもいろいろ指導を受けました。
半年の差でも充分指導できるのです。
教えることには効用があります。
まずは、自分自身が習ったことの復習になるということです。
そして、相手に説明をするために、自分の経験を言葉にしなければならないということで、
身体知を言語に置き換えるということで、非常に頭を使います。この言葉にするための工夫
は、競技かるたを考える上で、大事なことです。これは、あの札が出そうだとか、払いの感じ
はこんな感じという、感覚的な要素を理論的に考えることの第一歩だからです。
競技かるたを取っていて、払いとかの体を動かす部分において、また、あの札が出そうだ
という感覚的な部分において、理屈ではうまく説明できない、場合によっては、自分独自の
感覚というものがあるかと思います。しかし、それを人に説明するには、ちゃんと筋道立てて
言語にして理論的に説明しなければなりません。この訓練が、競技自体を理論的に考え、戦略
を練るために大いに役立つのです。
実際に、払いや構えをやって見せて、「こうするんだよ」という説明の仕方もありえますし、
それを否定はしませんが、人によって身長・体重・リーチなど違えば、身体の柔らかさや関節
の使い方にも違いがあります。音に対する響きも異なります。そうすると、見せるだけではだ
めで、普遍的な言葉で説明することが大事になります。普遍的な言葉で説明することで、今度
は自分自身の特徴を把握することにもつながります。
対戦練習においては、身体知を非言語的に身につけますが、指導においては、理論を言語的
に身につけることになります。これは、競技の上達の上では、車の両輪と言っていいのではな
いでしょうか。
さらに、教えることで、自分が説明したことに対して、自分がそれを実践できないと新人に
対して模範にならないという思いが働くこととなり、よりしっかり実践しようという動機付け
になることもメリットでしょう。例をあげれば、先輩から、「友札を攻めろ」・「攻め」が
基本だと習っていて、それを同じように後輩に教えたとします。このケースで、教えた後輩と
取った時に、友札を守ってしまったら、「攻め」ができなかったら、後輩にどう思われるで
しょうか。言っていることを実行できない先輩というふうに思われないでしょうか。「攻め」
を実践してこそ、面目が立つのではないでしょうか。
そして、もうひとつ、指導した相手が初心者であれば、先輩は強いという意識を植え付ける
ことにもなります。先輩は強いと思ってくれれば、その後の練習で、対戦成績や1試合での
札の枚差で、多少有利になることがあるかもしれません。
まあ、つらつらと教えることの効用を書きましたが、自分は弱いから、自分より強い人が
教えるべきだなどとは思わないでください。
人に教えるということは、自分を強くすることでもあるのです。精一杯、知恵を絞って、
言葉を紡ぎ出し、工夫をして指導してください。かならず、自分にプラスとなってかえって
きます。
「名選手必ずしも名コーチならず」と言う言葉もあります。苦労せずできてしまう選手は、
それができない選手のことがわからなかったりします。強いといわれる選手の中にはこの類
がいます。自分がなんの苦労もなくできたことは、みんなできるのだと誤解してしまうから
です。ところが、苦労して苦労して工夫を重ねてできるようになった選手は、できない選手
のどこがわからないか、何が悪いのかが自分の体験と比較してわかりやすいといえるで
しょう。
自分は弱いから、自分より強い人に教えてもらってくださいということではないのです。
男性集団に教える時に、引っ張りやすいのは、まず、力の差を見せつけることだと言い
ますが、女性集団に教える時には、その手法はきかないといいます。女性集団の場合は、
集団であっても、個人個人を見極めて個人にあった指導をすることが、集団を引っ張って
いく力になると言います。
強い人が教えればいいというのは、男性集団に対する考え方に近いものがあります。しかし、
良い指導者というのは、結局は、個の特性を見極めた指導ができる人ということではないで
しょうか。
今は、まだ自分が強くなることで精一杯で、指導のことまで考えられないというかもしれ
ませんが、教えるということも自分を強くするための一つの手段であることを忘れないで
もらいたいと思います。
では、また、練習場でお会いしましょう。
草々
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