LETTER-Senpai-New1

新・先輩への手紙(1)

Hitoshi Takano Mar/2024

前略  
 ご無沙汰しております。
 しばらくご連絡せずに申し訳ございませんでした。
 先日、妻の一周忌を無事に終えました。
 ご存知のとおり、我が家はクリスチャンですので、いわゆる仏教的な一周忌の法事というようなものはありません。 ただ、3月8日の命日を覚えて、亡き妻を偲び、神に祈るだけです。

 年明けから、ことあるごとに昨年のことを思い出していました。妻と過ごした最後の2か月と1週間のことを。
 年末の退院から再入院もあり、退院と自宅療養、二人で過ごした最後の結婚記念日、そして最後の入院。
今思えば、怒涛の日々でした。

 クリスマスには一人でケーキを食べ、正月は妻が用意していたおせちなど私はつくれないので数種類を買って、妻と祝った正月を思いつつ、正月料理を食べていました。 松の内の終わりは、妻の父の命日と母の三回忌となります。妻の父の突然の訃報を聞いた時のこと、母の危篤の呼び出しを受けた時のこと、 こうした悲しいできごとの時は、常に妻がかたわらにいました。夫婦は、喜びは2倍、悲しみは半分などといますが、これらの時とは違い、 いまは、悲しみを一人で感じなければなりません。
 こうした家族の命日への思いを超えると、日常も戻ってきます。私は今年の3月末で定年退職をするので、送別会をしていただいたり、 これから予定されている別の送別会の日程調整などもありました。 人事部からは、退職説明会の日程調整の連絡もあり、いよいよ退職へのカウントダウンの実感が湧いてきます。
 2月は、入試のシーズンですが、そんな中、人事部で退職の手続での書類への押印・サインを行い、役所に必要な公的書類を請求する手続なども行いました。 先輩も、経験されたことだとは思いますが、退職ということにもいろいろな手続作業があるのですね。
 その翌週には、三田キャンパスの保健管理センター(三田診療所)に行き、保健管理センター所長に退職後の継続治療のための慶應病院あて紹介状を書いていただきました。 保健管理センターには公私ともに長い間たいへんお世話になったので、退職後に慶應病院のほうで薬を出してもらうようになるのも、同じ慶應義塾ではありますが、 寂しい気持ちになりました。不思議なものです。

 2月23日には、私たち夫妻が所属しているキリスト教会で、妻が指揮などをしていたハンドベルチームのコンサートが行われました。

     

 新しい指揮者の方が、妻とベルチームの方々がつくってきたものを継承して発表するコンサートという趣旨で説明いただき、嬉しく思いました。
 チームの方の最後の挨拶では、妻の名前を間違えて訂正するというご愛敬はありましたが、その妻の縁で教会の礼拝堂でのコンサートができたという話をしていただきました。 ただ、おそらく事情を知らない来場者もいたのではないかと思いましたので、妻が亡くなったから新しい指揮者の方に代わったのだということがわかる説明があってもいいのかなとは思いました。
一昨年に病身の妻ががんばってこのベルのチームのコンサートの指揮をしていたことを思い出して、この日のコンサートは終始、滂沱の状態でした。
 メンバーの方にご挨拶をとも思いましたが、そんな状態ではきちんと挨拶もできないと思い、会場をあとにさせていただきました。

 一周忌の命日には、教会からお花を送っていただき、妻のご友人たちからもお送りいただき、 また、供花にとフラワーギフト券を送っていただいた方のお気持ちを使わせていただいた花を用意し、遺影の前に飾りました。

        
        
     

 いわゆる地味な供花ではなく、花好きの妻の好みそうな色合いのものにしてもらいました。
 こんなにも大勢の方からお花やお供えなどを送っていただき、妻が覚えられていることにただただ感謝しかありません。

 来月は、父の命日もまいります。
 先に天に召された家族のことを思いますが、私が後ろ向きでいることは誰も望んでいないと思います。
 前を向いて、しっかりと歩を進めていきたいと思います。

 競技かるたは、私自身の取り組みであるとともに、競技はしてはいませんでしたが、気にかけてくれていた両親と応援してくれていた妻との 大事な家族の思い出であります。
 健康がゆるす限り、しっかりと続けていきます。 ぜひ、練習で相手をしていただければ幸いに存じます。
 では、練習場での再会を楽しみにしています。
草々

次の手紙へ        前の手紙へ

手紙シリーズのINDEXへ


トピックへ
慶應かるた会のトップページへ
HITOSHI TAKANOのTOP PAGEへ

Mail宛先