LETTER-Senpai-bangai

先輩への手紙(番外編10)

Hitoshi Takano Jun/2023


===手紙の前に===
 「先輩への手紙」も番外編となり、10編目となった。本編10編で番外編1編で1シリーズというのがパターンだったが、 「先輩への手紙」はこのパターンを破り、番外編をここまで続けてきた。
 特に昨今は、私の家族の様々な出来事と、その別れを書いてきていたので、家内との別れにまで及んでしまったため、 今回をもって「先輩への手紙」いったんは締めることにした。
 次回に先輩への手紙を書く場合は、「新」などをつけた形で新たなシリーズにする予定である。
 願わくは、新しいシリーズは明るい話題を書いていきたいと願っている。
 もちろん、他の手紙シリーズも適宜書いていきたい。
 では、最後の「先輩への手紙(番外編)」の最終回をお読みください。

前略  
 前の手紙以来、様々に私のことを気にかけていただき、まことにありがとうございます。
 おかげさまで、いろいろな立場の方から、食事などのお誘いを受けております。 ありがたいことではありますが、納骨という一区切りまではお断りしておりました。 納骨は、いわゆる仏教でいうところの四十九日のあとの日付になりましたが、クリスチャンではありますが、 なんとなく、そのころというのは、いろいろ気持ちの整理をつける区切りの時期なのかなと感じるところです。

 先月の手紙で「妻の思いを私としてはいろいろなことに関してひとつひとつ進めて行こうと思います。」と書きましたが、 少しずつすすめていますので、ご報告しておこうと思います。

 実は、我が家には和室があるのですが、窓の障子の張替えを自分でやろうとしてうまくいかずに、障子の枠をはずして枠は家具のうしろに見えないように片付けていました。 家内が亡くなる前の月に、「和室の障子を張りなおして元通りにもどしたい。畳の表替えもしたい。」ということを言っていました。
 そのことを思い出し、障子の張替えと畳替えを行いました。
 業者さんを呼んで、見積りをとって、替えてもらったわけですが、家内も気にかけていた「畳替えは、家具を動かさないといけないから、それが、たいへんなので二の足をふむのよね」ということは実際たいへんでした。 家具と言っても「本棚」なので、棚の本を抜かなければならないのが結構な手間でした。
 それとセットで、本やCDを整理して、ブックオフに買い取ってもらうということもしました。 230点あまり整理することができました。本の整理もCDの整理も家内が以前から気にしていたことなので、それを実現できたのも一つ前進でした。
 和室の状況を写真にとりましたので、次に紹介します。

    
      
畳-Before
    
畳-After
      
障子張替後


 和室を整理するにあたり、和室の押し入れと天袋の整理も行いました。
 このあたりは、家内が整理していたので、何がどこにあるのかを把握する意味でも大事な作業でした。 物置の整理もおこない、捨てるものは捨て、必要な物はわかりやすいところに収納しなおさなければなりませんでした。
 家内が以前に試みてやっていなかった買い換えたPCの業者回収(リサイクル)も行いました。

 家内には笑われてしまうかもしれませんが、収納リストも作成しました。
 結局、天袋や押し入れや物置の特に奥の方にしまったものは、つかわない時期が長くつづくと何がどこにあるのかわからなくなってしまうので、 必要なことだと思いました。
 実際、家内も自宅療養中に、どこそこにしまったはずなので探してとリクエストしたものが見つからなかったことがあったのですが、 その記憶と全然違うところからこの整理中に見つかったものもありました。記憶というのはあやふやなものなのだとつくづく思いました。

 家内が世話をしていたベランダの花の水やりも続けています。
 植物は世話をちゃんとすれば、花をつけるということを日々実感しています。



 これも、昨年末の家内の入院時には、鉢の真ん中にちょこっと茎みたいなものがあるだけで、こんなところから伸びてくるのだろうかと疑問を持ちながら水をやっていたのですが、 こうして、葉がでて花が咲くと驚くとともに嬉しくなるものです。
 家内の召天式の弔辞で、ダメそうな鉢を買ってきて世話をして花を咲かせるのが上手だという話がありましたが、まさにそうなのかと実感したということでもありました。

 家内が買いだめていた食材も、賞味期限をチェックして、自炊で料理をしつつ消費していきました。防災用の非常食の賞味期限切れ寸前といった缶詰などもありましたが、 もうじき、そうした食材も食べきることができそうです。

 今年になってからの家内の思いは、こうして少しずつ自分なりにできることを実施してきていますが、34年の結婚生活をふりかえると、 大病が見つかってからの3年9か月(しかも新型コロナ禍で制限されていた3年間)の我々夫婦を支えてきたのは、それまでの30年の積み重ねだったのではないかと思います。
 病気がわかるまでは、私の両親のように日本人の平均寿命を超えるつもりでの人生設計でしたが、病気がわかってからは、 家内は確実に自分が私より先に逝ってしまうという前提で話をするようになりました。
 それまでは、「私が年金を受け取る年齢になるまでは仕事を続けてね」と言っていたのですが、 最後の入院の数日前には「退職したら、再就職はしないで自分の好きなことをやってね。長生きして楽しく過ごしてね。」と言っていました。
 私の職業人生の機微やアップ・ダウンを見続け、喜怒哀楽を一緒に感じ、喜びも辛さも様々な労苦もともに分かち合い続けてくれたいた妻としての直観から、 もうそんな場所に身を置かなくてもいいという思いのこもった一言であったと感じています。
 妻の前ではポジティブに話をし、見せていないつもりでいたネガティブな私の本音の部分も家内にはお見通しであったのでしょう。
 まだまだ、家内の思いに応えていくのには時間がかかりますが、一歩、また一歩と歩みを進めていきたいと思います。

 家内には嫌がられるかもしれませんし、マンションの2階ということで、かるたの練習をするのはご法度かもしれませんが、 和室を片付けたことで、しようと思えば一組は練習をできる環境にもなっています。 もしも機会を設けることができれば、先輩と自宅での練習でお手合わせをお願いしたいと思っております。
 その節は、よろしくお願いいたします。
草々

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