新・後輩への手紙(1)

Hitoshi Takano JUN/2010


前略   1年生の皆さんには、はじめての"後輩へ手紙"ですね。このシリーズも 第3シリーズに突入しました。名付けて「新・後輩への手紙」です。10回+番外編を1シ リーズとしますので、しばらくお付き合いいただくことになります。
 飽きずにお付き合いいただければ幸いです。

 さて、6月の福井大会で、2年生に新A級が誕生しました。競技かるたを始めて1年3か月 でA級ですから、充分に早いスピードでの昇級だと思います。これで、2年生は、A級1名、 B級2名、C級2名、D級2名というところでしょうか。でも、最近は見かけませんが、昨年 顔を出していたメンバーは、もう2〜3人いたのではないでしょうか?
 今年の1年生も7〜8名いますが、2年目に出入りしている人数が減っていなければよいと 願っています。1年で去っていくケースもあれば、2年生から入会する人もいますので、 来年の今頃に、また、人数の変化があることでしょう。
 私の競技かるた同期には、4年生と2年生がいます。また、秋学期から始める人もいます。 特に1年生には、夏休みが終わると、4月に入ったサークルをやめて次のサークルを探し出す 層があります。実は秋学期の勧誘は大切なことなのです。私の1つ上の代は4月入学組は なく、1年の9月入会が2人います。

 今回の手紙のテーマは、同期の人数という切り口で、書きたいと思います。
 次の表を見ていただこう。これは、ある年の三田かるた会名簿に準拠した入学年度別人数 です。しかし、2年以降から始めた人も入学年度でカウントしているし、1年で去っていっ た人が欠けていたり、事情により名簿に名前が掲載されてないケースもあります。私の 知っている限りで備考欄に加えておきました。また、備考欄には職域・学生大会(団体戦)でのA級優勝のシーズン(年度ですので、75に夏・春とあったら、75年の夏の大会と76年の春の大会という意味です)を入れてあります。
入学年度
人数
備考
 
入学年度
人数
備考
 
入学年度
人数
備考
 
入学年度
人数
備考
1975年度
7人
夏・春
 
1982年度
8人
+2,夏
 
1988年度
4人
夏・春
 
1994年度
0人
 
1976年度
8人
夏・春
 
1983年度
6人
夏・春
 
1989年度
3人
 
1995年度
1人
 
1977年度
7人
 
 
1984年度
5人
 
 
1990年度
2人
 
1996年度
2人
 
1978年度
5人
 
 
1985年度
4人
 
1991年度
0人
 
 
1997年度
0人
 
1979年度
10人
+2
 
1986年度
2人
夏・春
 
1992年度
2人
 
 
1998年度
4人
+1
1980年度
9人
+1
 
1987年度
3人
夏・春
 
1993年度
3人
 
 
1999年度
1人
 
1981年度
11人
+2
                       
 1979年度は、私の入学年度です。A級選手は3人。その前の年度は、A級は0。
 1980年度以降のA級の人数は、80年度組4人、81年度組4人、82年度組3人、 83年度組はなんと6人中6人。その後もその期ごとにA級選手は出たものの、きちんと 数がわからないのでここまでとしています。ただ、高校時代にA級になった選手の入学なども あったし、人数の減少とともにA級選手の数も減っていくことになりました。
 職域学生大会のA級優勝は、上の表の期間でいうと75年夏〜77年春の4連覇、 82年夏の9大会ぶりの優勝、83年夏・84年春の連覇、86年春〜89年春の7連覇。 90年春・夏の連覇ということになります。このあと、A級優勝からは遠ざかっています。
 入学年度の3年後・4年後というのが、その入学年度の選手が主力となる時期です から、入学年度の人数とその3〜4年後の職域優勝などの記録を関係づけてみてほしいと 思います。
 何をいいたいか検討がつくと思いますが、会員数は、会の力だということです。底辺が 広がらないと、頂点は高くできないのです。
 ちょっと、この原則にあてはまらない時期もあるのではないかという指摘もあるかもしれません。しかし、この時期には、かるたで有名な静岡の某高校から3年連続でエース級のA級選手が入学し、団体戦の核となったり、大学院進学者がいたり、卒業までに4年で足りなかった人たちがいたりで、新入生の数に依拠せずに会としての人数と中心選手として確保されていた事情など、この表から読み取れない事情も加味して考えないといけません。
 さて、2年生と1年生の皆さんは、往年の強かったころの同期の人数と同じくらいの人数です。 あいにく4年生で練習に来てくれるのは1名、3年生は2人ですが、大学院生やOB・OGが 顔を出しています。人数的な面での練習環境は整っていると思います。
 ぜひ、同期の人数の多さ、会員の多さを活かした練習をしてください。そして、この 人数を次年度以降も新入生の大量獲得で維持してください。
 私の1年上の代は、春からの入会は、聴講生が一人。学部生は秋から2名(3名)。 2年の4月に1名という具合でした。そのあと、われわれの代から人数的な回復を果たし ました。
 人数は重要なのです。
 人数が量であるとすれば、質も当然問われます。質のひとつの測り方としては、すでにA級で入学してきた以外の人をどれだけ在学中にA級に昇級させたかということも、大事な指標であるかと思います。一番わかりやすいのは、大学から競技かるたを始めた人間をどれだけA級にあげたかということではないでしょうか。まあ、現在の高校以下の底辺の広がりを考えれば、大学に入った時にC級以下だった選手からという見方でもいいと思います。
 これには、当然OBを含めた先輩たちの指導力も問われると思いますが、同程度の実力を持つ人との対戦をバラエティに富ませてどれだけ多くできるかということも大事な要素だと思います。
 これが、同期の多さと、1年上と1年下の代の多さという量(人数)に依拠することだということはおわかりになるでしょう。
 同期との切磋琢磨、先輩に追いつき追い越そうとする思い、後輩に追い越され まいとする思いは、練習を充実させる気持ちのスパイスです。気持ちをどう持つかは 大事なことだと思います。
 私自身は、1年生のときに、明らかに出遅れました。入学年度の対1年生同期の 戦績は、16勝47敗(勝率.254)、勝越は2人。負越は6人でした。
 2年目になって、49勝31敗(勝率.613)、勝越7人、負越2人。3年目で 33勝22敗(勝率.623)、勝越7人、負越1人という具合でした。
 1年生の時のビハインドも、集中的な練習と継続的な練習でなんとか盛り返す ことができました。これには、後輩に負けたくないという思いが強くありました。
 後輩に負けたくないという思いも、後輩がある程度はいってこないと成立しません。 その意味でも、後輩を勧誘して入会させていくことは大事なことです。
 しかも、私は、B級決勝で、後輩から譲ってもらってA級にあがりました。本当に 後輩は、大切な存在なのです。

 2年生は、1年生に負けないように頑張るとともに、しっかりと後輩を育ててください。 また、1年生は、まだ見ぬ後輩のことは心の片隅にとどめておいて、先輩に追いつき、 追い越せるよう、身近な目標ととして頑張ってください。そして、同期同士の切磋琢磨 をしてください。

 では、また、練習でお目にかかりましょう。
草々


次の手紙へ        前の手紙へ

手紙シリーズのINDEXへ


感想を書き込む
トピックへ
慶應かるた会のトップページへ
HITOSHI TAKANOのTOP PAGEへ

Mail宛先