LETTER-Senpai-02

先輩への手紙(II)

Hitoshi Takano Feb/2016

先輩への手紙シリーズ化にあたって

 手紙シリーズもいろいろ書いてきたが、「先輩への手紙」というのは、今までたったの一回である。 「後輩への手紙」を書くにあたっては、一応設定を考えていた。最初のとっかかりとして、後輩の乙から乙の先輩である甲へ手紙を書き、その手紙に甲が先輩として答えるという設定であった。こうして、「後輩への手紙」シリーズが開始し、その後、様々な展開を見せていったのはご存知のとおりである。
 今回、先輩への手紙をシリーズ化するにあたっては、とある先輩に対して、こちらから手紙を書くというような設定である。もちろん、この先輩というのは仮想のものであるが、手紙の内容によっては、先輩あてがふさわしいものというのがある。
 手紙シリーズもマンネリと言われないように工夫していきたいと思っている。
 他の手紙シリーズと同様おつきあい願えれば幸いである。

先輩への手紙

前略  先般は父の入院に際して丁重なお見舞いをいただきありがとうございました。 こちらも、急な入院であたふたしていたため、きちんとご挨拶もできずに申し訳ございませんでした。
 お見舞いに来ていただいた時は、はっきりと黄疸が出ていたので、だいたい病状もおわかりかと思いますが、胆管の閉塞による黄疸でした。ビリルビンという項目の値が健康な場合は1程度だそうですが、24.9もあったというので驚きでした。あと二日も入院が遅れたら、生命のほうが危なかったようです。
 おかげさまで、現在はその数値も5程度まで下がっており、ひどかった黄疸もおさまってきております。

 12月には黄疸で危険な状態だったのですが、年が明けると今度は肺炎(ステノトロフォモナス・マルトフィリア感染症?)になってしまいました。免疫力の低下とかいろいろな要因はあるのでしょうが、気管に挿管され人工呼吸器につながれている父の姿を見るのはしのびないものがありました。幸い、自発呼吸ができるように回復し、抜管もできまして、1月末には自分の口から食事もできるようになるまで回復いたしました。私としてもほっといたしまいた。

 お年寄りが本来入院した理由の病気ではなく肺炎でお亡くなりになるという話を耳にすることも多いので、肺炎には大変心配していましたが、昨年末と本年初に二度も死線を越えたのですから、本人の頑張りと医療スタッフの皆さんのご尽力と多くの方々のお祈りのたまものと感謝しております。担当の医師が「年齢の割りに体力があったので肺炎から回復できた」と言っておりましたが、日頃からの運動のたまものと感じいった次第です。年齢をとっても運動して体力を維持することは大切なことだと思いました。

 先輩はすでにお父上を見送られている経験をされていますが、親が危ないということの自分自身の気持ちの不安定さというものに今回直面することになりました。親の病気は残念なことでもありますが、年齢が年齢ですので覚悟してはおかなければならないことでもあります。自分の中でも大きな経験になりました。

 とりあえず、父は筋力の回復のためのリハビリをして、今の大学病院から療養型の病院に転院させないといけません。それよりもなにより、自宅に戻って生活できるくらいには回復してほしいと考えています。
 要介護認定の申請手続きやら、いろいろとしなければならいことはあるのですが、自宅に戻ったときに 今までの父の部屋では、本の山の中での生活だったので、この部屋の片付けをしておかないとまた体調をくずしてしまうというので、使わなくなった本などの整理を行いました。4畳半の部屋からダンボール20箱以上の本が出てきました。これは書籍の引き取り業者に電話して引き取ってもらうことになりますが、業者がくるのは2週間先だということでした。
 家内と片付けていたのですが、本棚の使い方とか収納物や収納方法などで、家内は私との共通点を見つけては、「親子なのねぇ。こういうところそっくり。」というのです。
 私自身は、全く意識したこともなくそのようにしていたのですが、自然と似るところというのがあるのでしょうか。

 こんなことから、ふと思ったのですが、それは、親父が競技かるたをしていたとしたら、どんなかるたを取ったのだろうかということでした。
 こんな話は、かるた会の先輩にしかできない話ですよね。
 先輩のところは、親御さんもご家族も競技かるたはされていませんが、中には、一族でされている方とか、兄弟・姉妹でされている方とかいらっしゃいます。かるたのスタイルが似ていると感じたり、家族の選手の取りを彷彿とさせる取りが垣間見えたりといった感覚を感じたことはあります。
 でも、あまり似てないと感じたり、全然スタイルが違うタイプと思うこともあります。きっと一概にはいえないのでしょう。
 ひょっとすると誰に指導を受けたかによる影響のほうが、大きいのかもしれません。

 実は、親父からは将棋は子供のころに親父と駒落ちで対戦してもらえるくらいまでには手ほどきを受けましたが、結局本格化はせずに大人になって再開し、指したときは双方の棋風は全然違いました。(とはいえ、まだまだ私のほうが弱いせいもあるのでしょうが、、、)
 囲碁は、親父に子供のころ手ほどきを受けたのですが、こちらはきちんとしたルールさえ覚えませんでしたので、大人になって入門書は読みましたが、親父とはちゃんと打ったことはありません。したがって親父がどのようなスタイルの碁(地に辛いのか、模様を大事にするのかなど)なのかもわかりません。(子供の頃は、盤全体をみるように言われたのは覚えていますが、、、)

 百人一首のかるたに関しては、いわゆるお座敷かるたは、子供の頃は親父に遊んでもらいました。 ただ、親父は北海道の函館に若い時に勤務しており、そこで板かるたをやったことがあるようで、その話は子供の時分によく聞きました。
 親父が競技かるたを取ったとして、どんなかるたスタイルになるかはわかりませんが、子供のころに様々なゲームで遊んでもらった経験から類推すると、「勝負師」であることは確かでしょう。相手の嫌がることを仕掛けたり、相手の意表をついたり、自分の取りやすさは考えるかもしれませんが、むしろ相手の取りにくさを考える工夫が好きなタイプのように思います。きっとこのような考え方を土台に 「思い切り」のよいかるたを取ることでしょう。
 私は、理論でこそこのようなことは言いますが、実践上では親父のような「勝負師」としての「あざとさ」は持ち合わせていないように思います。私が親父と競技かるたで対決したならば、相手の作戦を想定した上で正攻法でアドバンテージを広げていくような展開を目指すと思います。しかし、こんなシミュレーションができてしまうのも、親子としての日々があったからこそでしょう。

 あまり面白くない思い出話を含んだ仮想の話しにつきあわせてしまってすみません。

 親父の病気の回復については、ご心配をおかけしますが、お祈りいただきますとともに、今後も相談にのっていただく等、お力になっていただけますようお願い申し上げます。
草々


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