後輩への手紙(I)

Hitoshi Takano May/1999

本題とは関係のない話

皆さんは人物名を匿名にする場合、「Aさん」とか「Bさん」とか使うだろ うか。やはり、最近ではアルファベットを使うのが一般的なのだと思う。しかし 、今でも契約書などでは、「甲」とか「乙」とかが使われている。この「甲」「 乙」「丙」「丁」という記号は、昔は学業成績をあらわすのにも使われた。戦前 の徴兵検査においても「甲種合格」とか「乙種合格」というように使われていた 。
この「甲乙丙丁」というのは一体何かというと、「十干」である。古代中国 では、これと「十二支」の組み合せで暦をあらわした。60年でこの組み合わせが 一回りするので、生まれ年に戻ってくると「還暦」といってお祝いするわけであ る。
甲:コウ「きのえ」
乙:オツ「きのと」
丙:ヘイ「ひのえ」
丁:テイ「ひのと」
戊:ボ「つちのえ」
己:キ「つちのと」
庚:コウ「かのえ」
辛:シン「かのと」
壬:ジン「みずのえ」
癸:キ「みずのと」
この十干は、古代中国の思想である「五行説」に基づいている。「木火土金 水」のそれぞれに「兄」と「弟」がある。それで「木の兄」だから「きのえ(甲 )」、「木の弟」だから「きのと(乙)」になるわけである。
さきほどの暦の原理を解説すると、この十干と十二支が組み合わさるわけだ から、「甲子(きのえね)」で始まり、「乙丑(きのとうし)」「丙寅(ひのえ とら)」……となり、十干がひとまわりする11年めには「甲戌(きのえいぬ)」 、12年目には「乙亥(きのとゐ)」となる。十二支がひとまわりした13年目は「 丙子(ひのえね)」となる。したがって、十二支の奇数番目のエト(干支)は常 に「兄」(え)の系列の十干と組み合わさり、偶数番目のエトは常に「弟」(と )の系列の十干と組み合わさる。それで12(十二支)×5(五行:木火土金水) =60(年)で、還暦となるわけである。

さて、こんな話を長々としたが、これは本題とはまったく関係のない話であ る。私がこれから「後輩への手紙(I)」という題で書く手紙という形式に仮託 したフィクションの中で、匿名者を表すのに「甲」とか「乙」とかいう十干を用 いるということを宣言するために書いたことである。しばらくお付き合い願えれ ば幸いである。

はじめに

わたしは以前に「 かるた三省 」という文章を書いたことがある。これを書くきっかけになったのは、後輩と の練習だった。初心者の頃に教わった「敵陣を攻めろ!」という先輩の言葉に忠 実に、少なくとも中級者と言っても差し支えなくなっているにも関わらず、自陣 を省みずにただひたすらに攻める後輩に、臨機応変ということとバランスの大事 さ、大局観などを説こうと思って書き始めたのがこの文章だった。
この後輩は卒業してしまったが、今も現役学生の後輩達と練習していると、 「えっ?! ちょっと待ってよ! 何それ?」と感じるプレイがある。自分を省み るとえらそうなことは言えないが、まあ、それなりに気づいたことを練習のあと に話している。
そんな話を手紙という形で、後輩へのメッセージとして残せないかと考えた のが、この「後輩への手紙」シリーズである。一応、「○くん」というような形 で呼びかける形式をとっているが、「○くん」というのは特定の個人ではなく、 気になるプレイをする後輩たちの象徴的存在として考えてもらえればいいと思う 。また、学年などの設定はフィクションであることを申し添えておく。
では、「後輩への手紙」シリーズをお楽しみいただきたい。

先輩への手紙(I)

       ”甲”先輩へ

前略 甲先輩、ご無沙汰しています。
私の進級のことでは随分とご心配をおかけしました。先輩の期待に添えず、 結局、取得単位が2単位不足し原級にとどまることになりました。余分に一年か るたができるしアルバイトの時間もできてかるたの地方遠征に行く金も稼げると 、前向きに考えていこうと思っています。
しかし、頭の中では前向きなのですが、どうも私の行動や態度が回りからは 無気力に見られてしまいます。かるたも集中して取っているつもりなのですが、 なんか空回りしているように感じています。先日も束負けの試合を、一枚でも減 らそうとして逆にお手つきを連発して持ち札を増やしてしまいました。お手つき を連発すると札を取ろうと手を出すことに躊躇が生じてしまいます。それで手が 出ないものですから、回りから無気力に思われてしまうようです。
先輩もお忙しいでしょうが、また、練習に来て私と取ってください。よろし くお願いします。では、またお逢いできる日を楽しみにしています。草々

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“乙”くんへの手紙

前略 お便りをありがとう。進級できなかった件は、他からも聞いていました 。残念なことですが、前向きな君の考えを聞いて安心しています。学生時代は、 人生の中で本当に限られた時間なので、これもよい経験だと思って、有意義に過 ごしてください。

さて、君のかるたについてですが、私の思うところを記します。

まず、感じるのは総じて中途半端の感を否めないことです。攻めようとして いるのか、守ろうとしているのか、どの札を取ろうとしているのか、ポリシーが 見えてきません。もちろん、勝負事ですから、相手に狙いがわからないようにと いうのも一つの方法なのですが、君の場合はそれ以前の問題のように思います。 お手つきをしてしまうのも、集中力が途切れてしまっているせいだと思います。 競技かるたを始めてまだ1年たっていないのですから、基礎的な力のアップをは かることも必要だと思います。素振りでもいいし、5対5くらいの練習でもいい から、敵陣の下段を抜くための練習をしてみてください。その上で、次の点に留 意してみてください。

途中まで結構リードしているのに、逆転負けをくらっているのを何度か見か けました。それも原因はお手つきからです。こういう時は、自分にリードがある のですから、焦らなくていいのです。お手つきをしそうな札を無理に取りにいく 必要はありません。間違えずに取れそうな札を攻めのポイントとし、あとは相手 が遅い札を確実に拾うことです。これだけでも随分違うと思います。全部の札を 取ろうなどと考えなくてもいいのです。たとえば、ダブルスコアでリードしてい たら、極端に聞こえるかもしれませんが、相手が2枚取る間に自分が1枚取って いくくらいの気持ちでもいいんです。それでも、最終局面では、2枚対1枚で1 枚のリードをキープしているのだと余裕をもっていればいいんです。だいたい、 そうなる前に相手がミスしてくれるものです。ミスしてくれず、1対1になって 負けたとしても運がなかったのだと思うくらいの気持ちでいれれば大したもので す。自分に余裕があれば、落ち着いて取れますから、お手つきも出ないものです 。なお、余裕と慢心は違いますから、お間違いのないように。

逆に早いうちからリードされている場合も多く見かけました。こっちのほう がリードしていることよりもはるかに多いですよね。この場合は、自分に身近な ところに目標を置くようにします。まず、20枚を切るようにしよう、次の目標 は15枚だ、つぎは一桁枚差だと。ダブルスコアにされたら、ダブルスコア以上 は開かないように取っていけば、すなわち相手が1枚取る間に2枚取っていけば 、2枚対1枚にはなって、そうなればあとはどうなるかわかったもんじゃありま せん。こういう展開であれば、どっかで相手も焦ってミスをしてくれるものです 。それから、普段から団体戦のケースを考えて早く終わらないように努力してほ しいと思います。団体戦ではリードを奪われたとしていても、チームが勝ち点を 取るまでは負けないという気概が必要です。したがって、数組で練習している時 は、負けたとしても自分のところが最後の一組になるまでは頑張るという目標を たててください。

粘りにお手つきは禁物です。お手つきしそうな札は、相手もしやすいのです から、相手にしてもらうようにしましょう。それから、粘る時は粘りの狙いを明 確にすることです。全部取ろうと思うから中途半端になって全然取れなくなって しまうのです。守るなら守る。攻めるなら攻めることです。たとえば、20対1 0のダブルスコアで負けていたとします。自陣が出る確率は敵陣が出る確率の倍 あります。そう思うなら専守防衛でもかまいません。相手もそう思って攻めてく ることでしょう。でも、守るならば、攻めてくる相手よりも自分は距離的には有 利なのです。相手が、確率論で多い自陣を攻めてくるから、敵陣にスキができる と思うならば、敵陣を徹底的に攻めればよいでしょう。攻めていると不思議と自 陣の札に上手に戻れたりするものです。とにかく、中途半端はいけません。リー ドされてしまったら、専守防衛ならそれに徹底する。攻撃一辺倒ならそれを徹底 する。これが粘りのポリシーです。これを徹底すると札が取れる取れないは、ち ょっと置いておいて、リードしている相手のペースが崩れ出したりするものです 。攻めても取れない。守っても取れない。こう相手が少しでも感じてくれたらし めたものです。向こうは無理に攻めてきたり、攻めのポリシーを変えて自陣を守 ったりし始めるのです。無理な攻めはお手つきの危険を犯してくれることですし 、自陣を守ってくれたりすると中途半端という事態を自分で招き寄せてくれるこ とになります。ありがたいことです。このときの注意点は、こうして相手が崩れ はじめて、差が縮まっていった時、どこでそれでの専守防衛なり、攻撃至上主義 の看板をかけかえるかということです。ここの見極めをつけないと、自分自身の バランスを崩すことになるのです。20対10のダブルスコアがうまい具合に9 対6くらいになったと言う時に、専守防衛なり攻撃100%からギアチェンジをし ないで同じようにやっていて、はたしてよいでしょうか。それは自分で考えて見 極めてください。

無気力に思われるのは、中途半端からだと私は思います。かるたにおいては 「中途半端」はよろしくありません。リードした時、リードされた時の自分自身 のポリシーをしっかりと確立してください。

練習への誘いをありがとう。仕事の合間を見つけて、また行こうと思ってい ます。その時は相手をしてください。

最後に乙くんの活躍をお祈りしております。草々


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