LETTER-Senpai-04

先輩への手紙(IV)

Hitoshi Takano May/2016


前略  先日は、ゴールデンウィークのさなかにもかかわらず、父の召天式に参列くださり、まことにありがとうございました。 キリスト教式の葬儀にはあまり参列されたことはなかったとのことでしたので、いろいろ戸惑ったこともあったのでないでしょうか。
 高齢の母が残されましたが、私たち家族も、前を向いて歩んで行こうと思います。

 さて、死んだ人間が生きている人間をわずらわせてはいけないと言葉を残して逝かれる方もおりますが、故人を弔うのは、残されたものたちが故人がなくなった事実を実感として受け取り、未来に向かって進んでいくための最初のステップなのだと思っております。
 そういう意味で、葬儀というものは故人のためではあると思いますが、むしろ残された人たちのためにも執り行われるものだと思います。

 父の召天式では、多くの方々から、あたたかい励ましと慰めの言葉をいただき、また、父の人生をふりかえり、あらためて父との思い出と、自分にとっての父の存在のありがたさとを感じました。
 父の生き方から私自身が、多くのことを学ばされたと思っております。

 百人一首との出会いは、こちらもすでに亡くなられた近所の方の家でのことでした(ご健在の奥様が今回参列してくださいました)が、自分のお年玉で買った百人一首の札で父の読みで、母とかるた取りをしたことを思い出します。いわゆるお座敷かるたですが、今の私の競技かるた人生につながる一ページであります。
 召天式に来た叔父たちから聞いたのですが、父も子供のころ家族で百人一首のかるた取りをしていたようです。父は結構、歌も暗記していたということでした。
 父から教わった囲碁は身につかず(いまだに打てません)、将棋は父にはかないませんでしたが、百人一首のかるた取りだけは、父をはるかに越えることができました。子供の時分は、父とガチでかるた取りをすることはありませんでしたが(当時は父にかないっこなかったので)、かるたで父にコテンパンにやられておいたほうがいい経験になったのかななどと考えております。でも、そうだったら、嫌になってしまって成長してのちに競技かるたの道にすすまなかったかもしれませんね。

 父との思い出は胸にしまうとともに、時にはそれをエネルギーとして、このあとの人生を前向きに進んでいこうと思っております。
 本当にありがとうございました。
草々


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