先輩への手紙(番外編2)
Hitoshi Takano Feb/2022
前略 いつものことながらですが、ご無沙汰しております。
母のことでの報告です。
残念なことですが、1月12日に母が逝去いたしました。
ここにいたる流れですが、昨年も終わりの2か月は、救急車での搬送があったり、ホームの方からの電話報告、電話相談があったり、呼び出されての病状説明があったりと怒涛の2か月でした。
私が病院での診察を受けて家に帰って、昼食を食べて一休みしていると、母がトイレで車椅子に乗り損ねて転倒し、救急車を呼んで救急病院に運ぶので来てほしいという電話がありました。
救急車に同乗し、前に診察に行っていた病院の整形外科の医師が緊急手術で受け入れられないというので、別の総合病院に搬送してもらいました。
母は、認知症のせいで私が海外にいるものと思い込んでいたようで驚いていましたが、骨折がないかどうかの状況でしたので、レントゲンを撮ってもらいました。
骨折はないと言われて、ホッとしました。ホームに車で迎えに来てくれるようにお願いすると、痛がりもせずに車椅子に座っている様子に驚かれました。
トイレで倒れていた時の痛がる様子は尋常でなかったようです。
数日後、胸が痛いというので、整形外科に連れていくという連絡を再び受けると、レントゲンで肋骨の骨折が見つかりました。
救急車で搬送された病院の骨折はないというのはどういうことだったのでしょうか?
痛がっていた場所が異なっていたのでしょうか?
本人の発言に頼ると必要な情報が取れないことも多々あります。
その後も、車椅子からずり落ちて腰を打ったという電話があったり、レンタル費用は別途かかるが車椅子を変えてみてはどうかという相談の電話があったり、気持ちが休まりませんでした。
車椅子のレンタルには介護保険が適用可と思っていたら、在宅でなく施設にいるので介護保険は適用されないとのことで、今度はこちらが驚きました。
介護保険制度もいろいろ制限があることを知りました。
12月になっても、蜂窩織炎や腹水の状況説明で、土曜日に呼び出しを受けました。母は私が行ったら、自分が何か叱られるようなことをしたので、私が呼び出されたように思ったようでした。
ケアプランの更新でしたが、本人は「すべてのことから解放された。長生きした。山あり川ありの人生だった。」とケアマネジャーに言っていたそうです。
「川あり」は「谷あり」かとも思いましたが、母にしてみれば「川」だったのかもしれません。
ちなみに、この日も、午前中は自分自身の通院でした。仕事はなかなか休めないので、どうしても自分の通院を土曜日に入れると、同じ日にということになりますが、
事前に連絡があって調整しているので、緊急の救急搬送の時ほどのあわただしさはありませんでした。
とはいえ、以前よりも母のホームからの電話の件数が増え、仕事中にも連絡が来るので、緊急案件かと気持ちが落ち着かないこともしばしばでした。
年明けの1月2日には、面会に行き、元気な姿を見てきました。「長生きする」と本人も言っていたので、様子をみて安心していました。
ところが、12日の午前に、具合が悪くなり酸素投与しているので来てくださいと家に電話があり、家内から私の携帯電話(スマホ)に連絡が入りました。
私は、丁度、仕事で面接の最中でしたので、午前の部が終わったところで家内からの連絡に気がつき、電話をしたところ、よくない様子でしたので、
午後の面接を休む段取りを整えて、急遽、母のホームに向かいました。
結局、会話はできませんでしたが、耳元で声を届けつつ母の最後の1時間を家内とともに過ごすことができ、看取ることができました。
心肺停止から、医師の「老衰」という死亡診断まで、1時間半ちょっと待ちましたが、医師の話では昨日(1月11日)の定期訪問の時は、普通に会話していたので驚いているとのことでした。
その前日までは、自分でトイレにもいけるくらい元気だったそうです。
ホームには大変お世話になりました。3年4か月をここで暮らしておりました。入居したときは要支援1でしたからわりと身体が元気な中で、ホームでの生活に慣れ、入居者の方々と親しくなりました。
対人関係も良好で、自分が生活しやすいように周囲との関係性を築いていったのだと思います。その後、要介護1、要介護3となっていきましたが、
元気なうちにホームでの生活に馴染んだことが、車椅子を使うようになってからも生活上は良かったのだと思います。
1月15日に杉並区阿佐ヶ谷にある母教会の久遠キリスト教会で召天式を行い、杉並区の堀之内斎場で荼毘に付しました。
私は一人っ子ですので、両親を天に送ると寂しさを感じますが、家内に助けられて、家族の時間を大事にしていきたいと思っています。
そのあとは、母のホームの片づけや退去手続き、年金や保険関係の対応、相続関係の行政への手続きが目白押しで、7日間の忌引休はあっというまに過ぎていきました。
母の逝去で1月の練習は急遽中止にしていましたが、ちょうどその時期が新型コロナの感染拡大期にあたり、いわゆる「まん延防止措置」も決まりましたので、
練習の中止決定はタイムリーであったかと思います。
各都道府県で、1日の感染者数の過去最高を更新する日が続いています。1月28日には東京で1万7千人を超えました。
2月になると2万人を超えますという予測についても報道されたりしており、非常に心配であります。
できる対策はしっかりとおこなっていきたいと思います。とにもかくにも、新型コロナウイルス感染が早く収まり、また、練習再開できることを祈っております。
時節柄、先輩もご自愛ください。
草々
次の手紙へ  前の手紙へ手紙シリーズのINDEXへ
☆ トピックへ
★ 慶應かるた会のトップページへ
☆ HITOSHI TAKANOのTOP
PAGEへ