LETTER-Senpai-bangai

先輩への手紙(番外編5)

Hitoshi Takano May/2022


前略  いつもながらのご挨拶ですが、ご無沙汰しております。

 先月29日の昭和の日に、あいにくの雨の中、しかも寒い日ではありましたが、高尾の東京霊園で、母の納骨を無事に済ませてきました。
 翌30日は、キリスト教では特に言いませんが、一般的な言い方をすれば父の七回忌でした。 父は29日の深夜には心肺停止で、医師の死亡宣告が30日でしたので、 実質的な父の七回忌の日に、父と同じ墓に納骨されたことになります。

 

 

 実は、3月下旬に叔父の訃報が届きました。母の5歳年下の弟にあたります。母の逝去からわずか2か月、母を追うように逝きました。 私も、子供のころから可愛がっていただいた叔父でしたので、寂しく思います。 ベーゴマのまわし方を教わったり、北海道の板がるた(下の句かるた)の話を聞いたりしました。 板がるたの話は父母からも聞いていましたが、より詳しく教えてくれたのは叔父でした。 競技かるたをやるようになって、たまに板がるたの話題がでると叔父を思い出します。
 電話での声が私と似ているというので、母に電話すると叔父に間違えられることもありました。 ただ、私にしてみれば、叔父には北海道の方言のイントネーションがあり、声が似ていてもそのあたりで気づいてくれよという感じでした。 今では、そんなことも思い出になっています。

 4月から、私は人事異動で職場での立場が変りましたが、 現在の発令の前の2020年7月の人事異動の発令を母に告げた時に「頑張ったんだね」としみじみと言った母の言葉が耳に残っています
。  子供のころからを通じて、純粋に「頑張った」ことを認めてもらった言葉は、初めてではないかと思います。 母は、私が子供のころから私をほめるときも一言余計な言葉をつける人でした。それは、それ以上を期待してのことだったのだと思いますが、 余計な一言のないシンプルなその言葉は大変嬉しいものでした。

 母の思い出は語ればキリがないのでこのあたりでやめておきます。
 ただ、介護施設にはいってからの訪問時に何度か「まだ、かるたやってるの?」と聞かれたことは書いておきます。

 私が競技かるたを続けていることを母がどう思っていたかはわかりませんが、これからも続けていきますので、また、お手合わせを願います。
 では、先輩もコロナ感染の予防にご留意して、健やかにお過ごしください。
草々

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