先輩への手紙(番外編8)
Hitoshi Takano Apr/2023
前略 悲しいお知らせをお許しください。
我が家のことではお騒がせをし、ご心配をかけておりますが、3月8日に家内が逝去いたしました。
令和元年5月末に病巣が発見され、7月23日に手術し、その後は、化学療法を続けてきました。
昨年末にはこれ以上の化学療法は身体に負担をかけすぎるということで、緩和ケアの方針に切り替わりました。
その後の、2度の入退院は、すでにご報告したとおりです。
さらに、3月5日に三度目の入院をすることになりました。
3月4日は、私たち夫婦の33回目の結婚記念日でした。自宅療養中の妻と記念の花をみながら過ごすことができましたが、
咳こむ様子があったので、コロナ感染対策で買った酸素飽和度をはかる機械ではかったところ94〜95%でしたので、
少し低いけれども安心していました。ところが翌日の昼になり、息苦しいというので再度計測したところ83%だったので、
あわてて訪問医療のクリニックに連絡しました。「救急車を呼ぶレベルです。」との回答に、救急車を呼び、慶應義塾大学病院に
搬送されました。
3度目の入院で、コロナ感染対策で面会ができない中での入院でしたので、つらい思いの中の入院になりました。
7日の火曜日に入院用の荷物を届けると、タブレットでリモート面会できるというので、お互いの顔をみながら
励ますことができました。次のリモート面会を金曜日に予約し、そのときには一般病室に移っているでしょうということでしたので、
次の面会を楽しみにしていました。しかし、翌日の8日の水曜日の昼過ぎに、「すぐに病院にきてください」と連絡を受けて
駆けつけましたが、妻は残念ながら息を引き取りました。
死亡宣告までの間、二人でお別れの時を持つことができました。
心にぽっかりと穴があくという表現がありますが、そのような状態でも、様々な今後の段取りをとらなければなりません。
昨年の母の時には、隣にいてくれた妻はおらず、一人での段取りとなりました。式場になる教会の方々にいろいろとお願いして、
励まされ、祈られつつ、一つ一つをこなしていきました。火葬場が混んでいるので、式までには日数がかかってしまいました。
3月13日に所属する久遠キリスト教会にて召天式を執り行いました。
振り返れば、家内に支えられての日常であり、仕事であり、かるた会の活動であったと痛感しております。
3年9か月の病との付き合いになりましたが、令和元年から、あしかけ5年になる間、家内は、本当によく辛い治療に耐えて
がんばったと思います。多くの方の祈りと支えがあったからだと思います。
まだ、気持ちの整理は充分についていませんが、前を向いて歩んでいこうと思っております。
先輩とかるたの練習で、また、お目にかかれる日を願っております。
草々
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