LETTER-Senpai-10

先輩への手紙(X)

Hitoshi Takano Feb/2021


前略  ご無沙汰しております。
 いつも私の家族のことを気にかけてくださいまして、ありがとうございます。
 コロナ禍で、基礎疾患&高齢の母、基礎疾患のある妻と私は、感染したら厳しい状況の家庭ではありますが、今のところCOVID-19とは縁なく過ごしております。
 昨年4月〜5月の緊急事態宣言時もそうでしたが、今回の緊急事態宣言時も、母のいる高齢者施設は、面会制限をかけざるをえずにいます。 都内の感染者数の急増は、大晦日の1300人超えから、1週間での2400人超えと緊急事態宣言発出日まで、正直驚きでした。 家庭のこととは別に、カルタの大会も中止が相次ぎ、ほそぼそと厳重な管理のもとに1組1試合ベースでの週1回の練習会も休止にせざるをえませんでした。

 母が高齢者施設にいてくれるおかげで、安全面では安心していますが、母の認知症の進行や骨粗鬆症という点では、やはり心配もあります。
 面会制限のあるために、数か月に1度しか面会できず、会って話した時のちぐはぐな会話は、家族として大変悲しくもなります。
 腰痛がひどいというので、医者にみせたところ骨粗鬆症のための圧迫骨折でした。 どうやら、ベッドから落ちたのではないかと推測されますが、本人の弁によると「崖から落ちた」というのです。 そんなわけはなく、夢でも見ていたのかもしれませんが、真顔を主張する姿をみると、認知症が進んでいるのだろうと思わざるをえません。
 ただ、その「崖から落ちた」という話は、私が母の体験として子供のころの話にディテールが似ているのです。 母は樺太(現サハリン)で生まれ育ち、敗戦後3年してやっと日本に引き揚げてくることができました。 この敗戦後の3年間の話を幼少期に聞かされたのですが、その時の話と似ているのです。 樺太は内幌というところで、三菱の炭鉱に私の祖父が勤めており、母はそこで育ちました。 特に敗戦後の3年間は、食事に困ることがあったり、それこそ崖から滑落するような経験もしていたようです。
 母が真顔で話す内容は、そのころの体験の記憶がフラッシュバックして、あたかも最近の記憶ででもあるかのように話しているのかもしれません。
 とはいえ、過去のことと今のことがごっちゃになってしまっているのも認知症のせいなのでしょう。
 それ以外にも、同じ質問を面会のたびに繰り返したり、自分に都合の悪い話には突拍子もない話をしてごまかしたり(本人にはごまかしているという感覚はないのかもしれません。 自己防衛本能がそんな作り話を生み出すのかもしれません。)、こちらがきちんと向き合おうとすると、私自身の気持ちの負担にもなります。
 認知症の母という状態を受け入れ、その進行も覚悟しつつ、理解していかざるをえないのでしょう。
 最近では、自分の父親(私の祖父)の話と、私の亡くなった父の話を聞くことが多くなりました。 以前は私の前では、私の父のことを「おとうさん」と呼んでいましたが、最近ではファーストネームで呼ぶようになりました。 自分の父親(私の祖父)のことも名前で呼びます。 思い出の中に生活しているのかもしれませんが、親や夫との関係性に気持ちの変化が表れているのかもしれません。
 私と妻のことは、以前からですがちゃんと名前で呼んで、気にかけてくれるところは変わらないのですが、わからなくなるようなことがないよう祈っております。
 新型コロナウイルス感染症の流行の件は、しっかりと認識していますので、まだまだ、大丈夫なところもあると思っています。 そして、緊急事態宣言により、母の高齢者施設も再び対面での面会禁止となりました。先月の発出前のギリギリに面会ができてラッキーでした。

 例によって、愚痴のような私の親の近況をきかせてしまい申し訳ありませんでした。

 先輩も、ご家族の介護の話をされていましたが、その後、おかわりはありませんでしょうか。
 人に話を聞いてもらうということで、気持ちが軽くなる部分はあると思います。本当にいつもありがとうございます。
 コロナ禍が収束したら、また、カルタでお手合わせ願いたいですし、食事をしながらお話もしたいと思っています。

 お互いに当面は、三密を避け、手指消毒をし、感染予防対策をとって、生活していきましょう。
草々

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