紫式部

めぐりあひて見しやそれともわかぬまに
   雲隠れにし夜半の月かな


決まり字:(一字決まリ)
 源氏物語の「紫の上」から紫式部と呼ばれるようになったが、それ以前は藤式部と呼ばれていた。 曾祖父は藤原兼輔、「みかのはら」の作者である。父親は為時。
 兄が史記を学んでいる時に、兄より早く史記を覚える式部を見て父の為時は、この子が男であっ たらと嘆息したという。式部自身漢学の才に自信もあったのだろう。紫式部日記における 清少納言への「したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち真名書きちらして侍るほども、よく見れば、またいとたへぬこと多かり。……」という記事は、自分自身の漢詩・漢文 の才への自信が書かせたものであろう。

 源氏物語54帖には「雲隠」というタイトルのみがあって、中身のない帖がある。ゆえに「若紫」 の帖を「若紫上」と「若紫下」と分けて54帖と数える向きもあるが、やはり「若紫」はそれで一帖、 「雲隠」はそれで一帖であるのである。中身がなくタイトルのみというのは、光の君が亡くなった ことをあらわしているものという。
 この源氏物語の謎の帖「雲隠」を下の句の頭にいだくこの歌を定家が 撰んだのには、きっとこの源氏物語の「雲隠」を意識していたことであろう。

 ひさしぶりにあなたにめぐりあって、あなたかどうかと思っているうちに別れてしまいました。 まるで、雲に隠れてしまった夜半の月のように。

 百人一首には、源氏物語を意識させる歌やモデルと言われる人物が撰ばれている。これもきっと 意識的なものだったのではないだろうか。そう考えると紫式部の撰入は必然であったろうし、 この歌であった必然もあったはずなのだ…。

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2008年5月2日  HITOSHI TAKANO